103、堕ちる者と救う者

 次の日、事態じたいは急速にすすんでゆく。

「お、おい!ちょっとて!待っ、ニアっ‼」

 クリファのあせるような声と共に、俺とユキの意識は覚醒かくせいした。どうやらクリファは電話の最中らしく、電話機を片手に必死に相手ニアと話している。

 しかし、途中で電話がれたらしく、焦った様子と共に電話機をそのまま乱雑らんざつに投げ捨てた。そして、あわてて出て行こうとするクリファを、俺は止めた。

 比較的落ち着いた声で、俺はう。

「待て、何かあったのか?」

はなせ!このままじゃニアが、ニアがっ‼」

 慌てて出て行こうとするクリファを、俺は黙ってなぐりつけた。

 おどろいた様子で、俺を見るクリファ。そんな彼を、俺は比較的落ち着いた声音でもう一度だけ問う。

 その声は、俺自身驚くほどに平坦へいたんで、淡泊たんぱくだった。

「良いから落ち着け。何があったんだ?」

「……ニアが個人的に行っている研究けんきゅうの結果、全ての始まりの観測かんそくに成功した」

「…………それで?」

「結果、どうやら自分の人生をふくめたこの世界の全てが茶番ちゃばんだったとそう感じて絶望したらしい。このままでは、ニアが絶望のあまり自殺じさつしてしまうかもしれない。こうしている間にも、もしかしたら‼」

 そうか、お前はそれについてどうおもっているんだ?」

「……………………?」

 言っている意味いみが理解出来ないのか、怪訝な顔で首をかしげるクリファ。

 だが、待っている時間じかんはない。こうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎ去ってゆくばかりだ。だからこそ、俺はさきに聞いておくべき事をクリファに聞く。

「お前は自分の人生が茶番だと思っているのか?全てが茶番だと、自分の想いや苦悩の全てが茶番だとそう感じているのか?こたえろ」

「…………ちが、う」

 クリファの口から、絞り出すような激しいいかりを抑えるような言葉こえが漏れ出た。

 そんな彼の言葉の続きを、俺は待った。そして、クリファの感情いかりはついに耐えきれずに爆発した。

「違うっ‼俺の人生せいは茶番なんかじゃない‼俺の、俺のあいつへのおもいは、俺があいつに抱いた全ては断じて茶番なんて言葉でくくって良いものじゃない‼」

「……そうか、じゃあ行くぞ」

 そう言って、俺はクリファの腕を黙ってった。再び怪訝な表情をする彼に、俺は静かに断言した。

彼女ニアを絶望から救うのは、お前以外にないだろう?少なくとも、俺なんかじゃ断じてない筈だ」

 瞬間、俺達はその場から消失しょうしつして、気付けば今まさに自殺する寸前のニアの前に立っていた。

 ・・・ ・・・ ・・・

「ニアっ‼」

「クリファ……君」

 どうやら、今ようやく俺達の存在そんざいに気付いたらしい。ニアの表情はうつろで、生気というものがまるで感じられない。まさに死人しにんのような表情だった。

 そんなニアに、クリファは真っ先に飛び掛かり自殺しようとしていた彼女を何とか止めた。

 勢いあまって、クリファとニアは共にゆかに倒れ込む。しかし、相当精神的に参ってしまっているらしい。ニアの表情に全く苦痛くつうの様子は見られない。むしろ、どこまでも虚ろで感情の起伏きふくが見られない。

「っ、どうして!どうして自殺なんか!何故なぜ、俺に相談そうだんの一つもしてくれなかったんだよ‼」

「クリファ君、放して……死なせて」

「っ!?」

 ニアは涙を流していた。無表情のまま、虚ろなひとみで涙を流していた。

 その表情に、クリファは思わず絶句ぜっくする。そんな彼に構わず、むしろ懇願こんがんするようにニアは虚ろな言葉をただき出している。

「こんな、全て茶番でしかない世界せかいはもうイヤ。私がいだいてきた想いも情熱も苦悩も全て、茶番でしかないなら、んだ方がよっぽどマシよ」

「…………っ」

 血を吐くような、それでいて絶望に染まり切ったような言葉だった。

 その絶望の言葉に、クリファは身体をふるわせる。いや、これは……

 クリファのこの感情は……

「お願い、そうでなければ私を殺して。クリファ君に殺されるなら、私は……」

「っ、馬鹿野郎‼‼」

 クリファは声の限りさけんだ。そして、にぎり締めた拳で床を思いきり殴りつける。

 あまりにも強く殴りつけたのか、その拳から血がながれだしている。それでも、クリファはニアをにらみ付けてその瞳をらさない。その瞳は、何処までも真っ直ぐにニアを見詰めている。

 何処までも強く、怒りに染まったでニアを睨み付ける。

「……クリファ、君?」

「そんな事、例えどんな事があろうと口にするな。ニアが死んだら俺も死ぬ」

「っ!?」

 何処どこまでも強い瞳で、クリファはニアをにらみ付ける。しかし、クリファの表情は今にも泣きそうで、それをこらえるのに必死なのが理解出来た。しかし、それでも彼はニアを睨み付ける。涙を堪え、きそうになるのを堪えて。

 瞳だけは強く、ニアを真っ直ぐと睨み付ける。

「……ニア、俺はお前がきだ。お前だけが俺にとって、唯一絶対ゆいいつぜったいなんだ」

「それ、は……」

「お前が居なきゃ、この世界せかいに何の価値かちだって無いんだよ。お前を死なせたら俺は無価値な凡愚ぼんぐに成り果ててしまうんだ。だから、お前が死んだら俺は絶対に死ぬ。お前の居ない世界に価値なんてありはしない」

 ニアの居ない世界に、価値などありはしない。

 真っ直ぐニアの瞳を睨みながら、クリファはそう断言だんげんした。そんなクリファの言葉にニアは、目を見開みひらいて黙り込む。

「全て茶番ちゃばんなんかじゃない。少なくとも、俺のお前への気持きもちは断じて偽りなんかじゃないんだ。俺は、お前の事が何よりも大好だいすきだ。決して、それだけは茶番だなんて言わせはしない」

「そ、れは……」

「お前はどうなんだ?こんな俺の事なんか、いやか?」

 真っ直ぐ見据みすえ、クリファはニアにい掛けた。その言葉に、ニアの瞳が僅かにだがらいだ。

 しばらく視線をさまよわせた後、ニアはようやく口をひらいた。

「私、だって……私だって、クリファ君の事が大好きよ。決して、偽りなんかじゃないんだからっ」

「だったら、断じて茶番じゃないだろう?……少なくとも、それだけの価値かちがあると俺は思っている。俺が保証ほしょうする」

 そのやさしい言葉に、ニアはこらえ切れずに涙を流した。

 そう、決していつわりではない。断じてその涙にうそなんて欠片もありはしない。断じてこの世界は茶番ではない何よりの証明が其処そこにはあった。

 ニアとクリファは、しばらく互いにき合いながら涙を流していた。その涙は何処までも暖かくて優しいものだと俺には思えたから。

 少なくとも、俺にはそれだけの価値を感じた。

 ・・・ ・・・ ・・・

「そう、だったんだ……クロノ君もおなじだったんだね?」

 互いに抱き合い、涙を流し合うクリファとニア。その二人を見詰みつめながらユキは静かに涙を流す。

 まるで、彼等をとおして何かを深く理解りかいしたかのように。まるで、彼等と誰かを重ねるようにして、ユキは滂沱ぼうだの涙を流している。まるで、ユキの心の中で何かがほどけていくかのように。

 まるで、ユキの心の中のやみが、ようやくれ上がったかのように。ユキは暖かで優しい涙をその瞳から流し続けている。止め処なく、あふれさせている。

 そして、そのまま俺に視線をけないままに声を掛けた。

「私が死をえらんだ時。クロノ君に殺されて死のうとおもった時も、クロノ君は彼と同じ気持ちを抱いて、同じ絶望ぜつぼうを感じていたんだね?それでも、クロノ君は私を諦めはしなかったんだね?」

「……ああ、そうだよ」

 実際には、俺には仲間達が居たから。俺がくじけそうになっても、それでも俺を殴りつけてくれる仲間が居たから。だから再びち上がる事が出来たんだ。

 でも、それを俺は敢えて言わない。端的に俺がこたえると、その返答にユキは再び肩を震わせて泣いた。

 まるで、千年もの間ユキの心をこおり付かせていた氷がようやくけたように。ユキの頬を次から次へと涙がつたい落ちる。ユキ自身、それをめる事が出来ないようだったから。そんなユキの肩を、俺は黙って抱き寄せた。

 今はきっと、それだけで十分だろう。ただ、黙って俺はユキのかたを抱き締めるだけで良い。

「ごめん。ごめんなさい、クロノ君……」

「大丈夫だよ。何があろうと、俺はユキの味方みかただ。決してユキをあきらめたりなんかしないから」

 そして、俺は変わらず全てを背負せおう。そうめたから、だから……

 俺は決して最後まで諦めたりなんかしない。絶対ぜったいにだ。

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