第32話


黒の鉤爪クランのリーダー、日下部雅之は驚いていた。


深層探索の帰りに、下層を通りかかってみたら、今話題の高校生ダンジョン配信者、神木拓也に遭遇したからだ。


「奇遇だな。まさかこんな場所で会うとは」


神木拓也は、現在ダンジョン配信界隈を賑わせている有名探索者だ。


人気配信者桐谷奏をイレギュラーから救ったことで脚光を浴び、その後の配信で高校生ながら下層でソロで十分に通用する実力を知らしめて配信者としての人気を不動のものとした。


また噂では、神木拓也はイレギュラーで現れた深層のリトルドラゴンをソロで倒したという。


最初その話を聞いた時、日下部はとても信じることができなかった。


一流の深層探索者である自分でもソロだと倒せるかどうかわからない深層の竜種を、高校生の探索者がソロで倒した。


そんな話を信じろという方が無理な話だ。


だが、神木拓也はそのドラゴンを倒した時にダンジョン配信を行っており、その配信に訪れていた十万人を超える視聴者が実際に神木拓也がソロで深層のドラゴンを討伐する偉業の瞬間を目撃している。


日下部は自分でもあちこちに転載されている切り抜き動画などを見て確認したのだが、映像の中で神木拓也は、人間とはとても思えない、まるで創作物のキャラクターのような動きでドラゴンと戦い、倒していた。


あまりの現実感のなさに、コメント欄には作られた動画ではないかと疑う声がたくさんあったし、日下部もそれを疑っていた。


あらかじめ作られた動画を配信で流したのではないか。


日下部にはそうとしか思えなかった。


だから…


「リーダーだってよぉ、気になってんだろぉ?こいつの実力をよぉ」


自らのクランメンバーの一人、佐々木竜司がそんなことを言い出した時、日下部は強く反論することが出来なかった。


目の前には、今深層クランの間でも噂になっている前代未聞の高校生ダンジョン配信者神木拓也がいる。


こうして実際に相対して見て、やはりドラゴンをソロで狩れるような強さは感じない。


日下部自身、神木拓也にどれほどの実力があるのか、知りたいという気持ちに抗うのは難しかった。


だから、神木拓也に突っかかる佐々木竜司を本気で止めたりはしなかった。


もしクランリーダーである自分が本気で止めようと思えば、佐々木竜司の暴走を止めることが出来たかもしれない。


だが、佐々木同様日下部もまた、こうして偶然あった神木拓也の実力を試して見たいと心のどこかで思ってしまい、それが結果的に佐々木竜司の暴走を許すことになってしまったのだ。


「ほぉ?これを止めるのか」


佐々木竜司は、思っても見なかった行動に出た。


なんといきなり神木拓也に殴りかかったのだ。


これは流石の日下部も予想外だった。


「何してるんだ竜司!?」


「うるせぇ」


日下部は竜司を糾弾するとともに、ほっと胸を撫で下ろしていた。


もし竜司の拳が神木拓也にあたり、怪我でもさせていたら大事だった。


(しかし……竜司の拳を止めるか。実力は本物だな)


竜司の拳を真正面から受け止めて表情一つ変えないところを見るに、神木拓也に人並外れた実力があることは確かなようだ。


本当にドラゴンを倒したかどうかはわからない。


だが成人の深層探索者と同レベルの実力を持ち合わせていることは明らかだった。


「こいよ。俺からだけじゃ不公平だろ?お前も一発殴ってこいよ」


神木拓也に殴りかかり、そして止められた竜司は今度は神木拓也に自分を殴るように催促した。


神木拓也は戸惑っていたが、日下部は神木が竜司を殴ることを容認した。


このままだと自分たちクランは、いきなり神木拓也に殴りかかった最低の探索者集団ということになりかねない。


だから神木からも竜司を殴ってくれた方が好都合だと思ったのだ。


「このままじゃ、俺たちは高校生のお前に一方的に手を上げたことになってしまう。一発でいい。勝負という体裁を整えるために、竜司にも同じように殴りかかってくれないか?」


「わかりました」


仮にも竜司は深層探索者。


神木拓也も相当な実力を持っているが、殴られても死ぬことはないだろう。


多少怪我するかもしれないし、痛みを伴うかもしれないが、そこは竜司から仕掛けたということで自業自得だ。


治療費がもし発生したら経費として落としてやろう。


そんなことを考えた矢先に、あり得ないことが起こった。


ボッ!!!!


何かが爆ぜるような音が鳴り、気づけば神木拓也の拳が竜司の目と鼻の先にあった。


そして、次の瞬間…


ドガガガガガガガガ!!!!


「…っ!?」


衝撃波が発生し、竜司の背後のダンジョンの地面や壁が大幅に削れた。


「は…?」


竜司は何が起きたのか理解できずにぽかんと口を開けている。


「まさかこれほどとは…」


想像のはるか上をいく威力だった。


神木拓也の拳の動きを、日下部は目で追うことが出来ていなかった。


深層探索者の自分の動体視力は、一般人よりも圧倒的にいいはずなのに、それでも神木拓也の動きを捉えられなかったのだ。


(決まりだな…疑った俺が間違っていたんだ)


日下部は確信する。


あの動画は本物だ。


神木拓也にはソロで深層のドラゴンを討伐できる力がある。


軽く振ってしかも寸止めにした拳の威力をたった今目にして、日下部はそのことをいやというほどわからされた。


(一体どんなことをしたら、高校生にしてこのレベルに至れるんだ…)


日下部は途端に神木拓也が恐ろしくなってきた。


一見無害そうに見えるこの高校生が、下手したら黒の鉤爪のメンバー四人全員で勝負を挑んでも勝てないほどの実力を秘めている。


そんな信じたくないような事実が、よく出来たホラーよりも怖くなってきたのだ。


「ひぃいいいいいいいいい!?!?」


誠に情けないことに、竜司は自分から勝負を挑んだにも関わらず、神木の前から逃げ出した。


まぁあの拳を正面から喰らいそうになったのだから気持ちわわからなくもない。


きっと竜司は、拳が迫る寸前、死すら意識したかもしれない。


…実際あの拳が寸止めではなく隆二に当たっていたら、命はなかったかもしれなかった。


「い、色々本当にすまなかったっ」


結局その場は神木にそう謝罪して、日下部たちはその場を退散した。


そして黒の鉤爪はその夜、大炎上した。


それは順当な結果と言えた。


大の大人である成人の深層探索者クランが,未成年の高校生にいきなりダンジョンで殴りかかったのだ。


当時配信は、十万人を超える視聴者が見ていたらしく、目撃者は十分。


事件は瞬く間に拡散された。


黒の鉤爪クランの名前には、今後挽回できるかもわからない程の傷がつき,中でも自分から喧嘩を売っておいて恐れをなして逃げ出した佐々木竜司の信用は地に落ちた。


「おい、いるんだろ?竜司?おい」


高級マンションの一室のドアを、日下部は叩く。


神木拓也との事件から一週間が経過。


あれ以来、佐々木竜司は、自分の借りている高層マンションの一室から出てこなくなってしまった。


世間から色々言われ、自分を恥じているのかもしれない。


あるいは、圧倒的強者である神木拓也の前から逃げ出してすっかり自信を失っているのかもしれない。


「…どうしてこうなった」


深層クランとして着実に成り上がっていた道が一気にたたれてしまった。


メンバーのうちの一人のたった一つの行動で、自分たちを取り巻く環境が何もかも変わってしまった。


「もし…あの日に戻れるのなら…」


やり直したい。


そう日下部雅之は、出来もしないことを夢想する。


あの日に戻って……神木拓也という前代未聞の『怪物』に身の程を弁えず喧嘩を売ってしまった哀れで愚かな佐々木竜司を全力で止めたい。


そんな、出来もしないことを頭の中でぐるぐると考えながら、日下部雅之は竜司の部屋のドアを今日も叩くのだった。




黒の鉤爪とかいうクランと配信中にもめたその翌日。


俺はいつもの時間に登校してきて、校門をくぐるなり生徒たちに群がられ、サインや握手を求められる………ことなくコソコソと校舎へ入ることに成功していた。


…最近裏門からこっそり登校するという賢いやり方を覚えました、はい。


「はぁ…昨日は色々あったなぁ…まぁ、同接上がったし別にいいけど」


なるべく俯いて顔を伏せながら廊下を歩き,教室へと向かう。


その間、頭の中で反芻するのは昨日の配信での出来事だった。


俺のファンだという高校生を中層でダンジョンスネークから救い。


スタンピード並のモンスターの群れを、全方位攻撃という即席で編み出した技で殲滅し。


その後、下層で黒の鉤爪クランとばったりでくわし、そのうちのメンバーの一人、佐々木竜司にいきなり殴りかかられたのを返り討ち?にして…


「ちょっとやり過ぎだったかな…?いや、でも先に手を出したのは向こうだし…」


結局黒の鉤爪の人たちがいなくなった後、俺は普通に下層探索を続け、頃合いを見て地上へと帰還した。


家に帰ってSNSを確認してみると、黒の鉤爪は大炎上していた。


神木拓也が黒の鉤爪クランに格の違いを見せつけた。


そんな胸の呟きがめちゃくちゃバズったりもしていた。


…ちょっとやりすぎてしまったと反省。


でも先に手を出したのは向こうだし、俺に非はないと信じたい。


日下部とかいう人も、殴っていいって言ってたし。


実際に拳を当てたわけじゃないし。


寸止めだったし。


「あー、考えることが多すぎる…」


結果的に最高同時接続を更新したのだから、よしとしよう。


そう自分に言い聞かせ、俺は自分を悩ませている事後処理のあれやこれやを首を振って思考の外に追い出す。


「そろー…」


教室に着いた俺は、後ろの方からそっと中へ入る。


クラスメイトたちは未だに俺の存在に気づいていない。


昨日あんなことがあったし、俺が登校してきたってわかったらちょっとした騒ぎになるかもしれない。


桐谷を助けた時みたいに。


…それは勘弁願いたい。


昨日のことで疲れも溜まってるし、冷静に対処できる自信がない。


「よぉ、神木拓也。お疲れか?」


「…祐介」


俺は空気。


そう自分に言い聞かせて自分の席で縮こまっていると、すでに登校していたらしい悪友が話しかけてきた。


「なんだそのいやそうな顔は」


「頼むから静かにしてくれ」


「みんなに気づかれるのがいやか?」


「…」


祐介がニヤニヤしながら聞いてくる。


わかってんなら話しかけてくるんじゃねーよ。


「皆に気づかれることを心配する、とか、お前もすっかり有名人が板についてきたねぇ」


「…っ」


「ちょっと前のお前なら自分がそうなるなんて想像もしなかったろ?クラスで空気だったお前が、今は逆に空気だった頃の平穏を欲している。今どんな気分よ?」


「お、お前なぁ…」


いちいち鼻につくやつだ。


…だが確かにその通り。


最近、高校内だけでなく道を歩いていても話しかけられることが増えた。


…別に有名人を気取るつもりはないが、盗撮をされていると気づいたこともここ最近一度や二度ではない。


自分が配信者として成り上がった証左だと思えば嬉しくもあるのだが、俺は以前の平穏な暮らしがちょっと懐かしく感じるようになっていた。


配信にはたくさん人が来てくれるけど、現実では誰からも声かけられないし、写真も要求されない。


そんな都合のいいことが起こらないだろうか。


…無理ですよね。


「有名税だと思って諦めろ」


「…ああ、そうするよ」


はぁ、とため息を吐く俺。


祐介はこれで会話を終わらせるつもりはないらしく、以前としてニヤニヤしながら聞いてくる。


「で、どうよ?深層探索者に10万人の前で格の違いを見せつけた感想は?」


「…っ…やっぱ本題はそれかよ」


予想できたことだが。


やはり俺は祐介に昨日のことを根掘り葉掘り聞き出される運命らしい。

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