第72話 そして、訪れる闇…
必死で穴の奥へと這っていくクレイ。穴はそれほど深くはなかったが、幸いにも少し奥に行ったところの脇に窪みがあり、そこに転がり込んだおかげで、直線的にしか飛ばない魔物のレーザー攻撃からは逃れる事ができた。
…いや、間に合っていなかった。
一瞬遅れて、焼けるような痛みを自覚したクレイ。わずかに遅れて窪みの外に残っていた足首が、レーザーによって焼き切られてしまっていた。
急激に身体の力が抜けていくのを感じるクレイ。切断された足首はレーザーで焼灼され、痛みはあったがそれほど出血はしていない。
だが、腹部が真っ赤に染まっているのにクレイは気づいた。魔物に殴り飛ばされた時、魔物の爪によって腹部を貫かれていたのだ。
傷はかなり深いようだ、動脈を傷つけられたのか、腹部からの流血は止まる気配がなかった…。
窪みの中に血が広がっていく。
血の海の中、しかしクレイはマジックバッグの中に
振り返ると、穴の中、クレイの入り込んだ窪みの少し前にマジックバッグが落ちているのが見えた。
拾わなければ。ポーションがあれば傷は治る。失った足は薬では戻らないだろうが、出血は止められる可能性が高い。
先程から見ていると、怪物のレーザーは連発できないように見えた。その間にバッグを取れば……
だが、クレイがのろのと手を伸ばしたところで、再びレーザーの光で穴の中が満たされた。
クレイは右腕の肘から先を失ってしまった。レーザーにはクールタイムなどなかったのか? 怪物は遊んでいただけで、その気になれば連発できたのか?
……万事休す。
片腕片足を失ったがそれは致命傷ではない。だが、腹部からの出血がまずかった。
意識が遠のいていく。
命が尽きるまで、残る時間はあといくばくもないだろう……
だがその時、クレイの脳内にメッセージが閃いた。
それは、転移魔法陣のデコンパイルが終了したメッセージであった。
今更とクレイは思う。
こんなタイミングで転移罠の魔法陣のデコンパイルが終了したとて、もはやどうにもならない。処理が終了して手にれられたのは、展開された転移魔法陣の “ソースコード” だけなのだから。
それを解析して、内容を理解しなければ、使うことなどできないのだ。
今更焦ってソースコードの解析を始めたとしても、とても間にあうはずがないのだ。
もう身体の痛みも感じなくなってきた。
終わりが近いのを実感する。
だが、クレイはもう、焦りも恐怖も感じなかった。
暗く冷たい洞窟の中で、ただ、静かに、やがて訪れる静寂の闇を待つだけ……それは、不思議と穏やかな心境であったのだ。
クレイは、ただぼーっと脳内を流れるソースコードを眺める。
時間はそれほどないだろうが、最後の時をクレイは、空間転移という不思議な現象のソースコードを読みながら過ごすことにした。
だが、焦らずリラックスしていたからであろうか。あるいは、ロウソクの火が消える直前に一瞬強く輝くような現象なのか? クレイの脳は冴え渡り、なんとなく眺めているだけのソースコードの内容が、スラスラと頭に入ってくる。
そして…
…見つけた。
転移魔法陣の、転移先の階層をランダムに決めていると思しき一行を。
乱数を定数に書き換えれば、転移先を自由に選べるのではないか。
だが、ダンジョンの “外” を指定する方法が分からなかった。
“1” を指定すれば、1階層目には帰れるかも知れない。だが、今のクレイにはもはや立ち上がる力もないのだ。第1階層に今更移動しても、最も弱いモンスターと戦う力もないだろう。
…クレイは階層の数値を “0” に書き換え、魔法陣をコンパイル処理へと回す。1より前の0。もしかしたらダンジョンの外かも知れない。そんな一縷の望みを託して…
…否、希望などなかった。間に合うはずがないのは分かっている。コンパイルにもそれなりに時間が掛かるのだ。完了するまでクレイは生きていられそうにない。
それでも実行したのは、ただ、どうなるのか、何が起きるのか、純粋な興味だった。
だが、クレイ自身の予想の通り。
クレイは結果を見ることなく
その意識は闇の中へと沈んでいき
静寂な闇だけとなったのであった……。
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―
― 序章 完 ―
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