言語習得と、絵を描く能力の習得のアナロジーの話
昔から思っているのが、自分は幼児期~小学生期に落書きをたくさんしていたから絵が若干上手いのではないかということです。
この説は、今活躍しているプロの絵師さんたちに対して自分が追いつけないまでもなんとか最後尾についていけるのではないかという若干の希望となっています。(今はついていけてません)
プロの人たちに比べて描いてる時間は明らかに短いので、時間が短くても効率的だった期間があればいいのになあという願望があります。願望に基づいた仮説です。
デジタルネイティヴとか言いますが、言語ではないスキルにそれがあるなら絵や音楽のそれも当然あるはずです。
これは「なんか幼児期に習得がいい感じの時期がある」という言語習得の臨界期の話とも似ています。
ゆる学徒ハウスというyoutubeのチャンネルに「第一言語は絵」とでかく書いてあるサムネの動画があると思うのですが、その動画はそこまでこの仮説が主題ではなかったと思います。ただ、印象的な部分としてサムネになっているようです。
自分はもちろんその動画の前からこれについて考えていたわけですが、なんかそういう研究とかないんですかと思います。調べたけどあまりありません。BingのAIに聞いたらあるっていうけどソースみたら嘘でした。ありませんでした。
日本語では無いんかなと思って今英語で調べたら
Parallels between the Structure and Development of Language and Drawing
みたいな題のがありました。
僕は研究者とかではないので論文を検索するというのはイーガン作品内でしかみたことが無いのですが今珍しくしました。本文を読む方法はわかりません。
アブストラクトだけ読めるのですが、そこに「言語と絵は人間特有の表現方法なのになぜ言語習得は当たり前で絵はそうではないのですか?」と書いてあります。その通りです。
絵にも、言語でいうチョムスキーの生成文法みたいなものがあるのではないですか?と思います。
しかし、進化上というか、生存上有利ではないものが脳にデフォルトで組み込まれるはずがないという反論が予想されます。
それはその通りです。ただ、チャンギージーの本にあるように、なんか文字を認識するときに、自然界に見える形の抽象化みたいな能力が使われており、それが描画能力にも流用されてるんじゃないの、ということです。
なんか洞窟の壁に何かしらの顔料で原始的な絵を描く人類という光景を思い浮かべます。ホモサピエンス以前かも。それらの能力は言語能力の副産物なのでしょうか。言語以前に絵を描いてた人類とかがいたら、言語が絵の副産物なのでは?そういうSFとかあってもよさそう。
そういう小説を書くときは今言っているようなことが丸々出てくるかも。
■実用的か
こういった仮説を、今の卑近な話題にするなら、絵はどうやったらうまくなるの、ということです。
よく才能と言われるとき、この仮説をもとにすれば、大抵の人が言語と同レベルの先天的潜在能力を持っているので、生まれつき絵の上手さが決まっているということは無い、ということになります。(言語にも先天的な不調、LDなどがあるのは例外として)
そして臨界期だけに支配されるのか、成長してから学んでも意味がないのか、となるとそれも否定されます。
そうでなければ、第二言語としての言語習得は不可能だからです。
我々(大人)が絵をうまくなろうというとき、それは第二言語の習得に似てきます。
昔、「絵をうまくなるコツってなんかないの?」という質問をされました。
それは、第二言語を習得するコツを聞くのと等しいと思います。
果たしてこの比喩は正確か。言語は、語彙という恣意的なものがあって、それは総当たりで覚えるしかない。覚えゲーです。対して絵は、なんかパターンみたいなものを習得すればあとはそれの応用で全部うまくいくんじゃないの?
どうでしょう。自分は人体の部位なんかは単語のようにそれぞれ覚えていく必要があると思います。顔を描けるようになっても手は上手くなっていない。手を描けるようになっても背景は上手くなっていない。
ならば単語の連続であって「生成文法」みたいなものがないのか?といえばなんかありそう。俗に言う立体把握能力、みたいなものは全部に通底していそう。
なんか円筒とかを脳内で回転させることができるか。こんな能力は自然界で必要だったことはないはず。そして生まれつきあるものではない。(人間は生まれつき立体は描けない)
ちょっと難しくなってきたのでこのへんでこの話は終わります。
なんかお絵かき講座の配信とかあるけど、自分がそれをするならこんな話をするかも。
■定期 AIの話
言語と似たものとするなら、絵はコミュニケーションの古い道具だったはず。それを外部化してよいのか。それは文字を覚える能力とかを外注するのに近いと思う。
今のAIと呼ばれる謎技術の先にあるのは欲望を言語化したら全部やってくれるやつです。(バルファキスの言うHALPEVAM)なぜそこで言語は残るのか。言語化も外注すればいい。そして思考は言語化の先にあるから、思考も外注すればいい。(よくない)
生成AIに洞窟の壁画は描けるか問題。それっぽいものは当然簡単です。しかし、とても根源的な抽象物であることから、結果は文字の生成に近いものになると思う。やったことないけど。それは舟のアンカーに近いところにあります。現実の直接的な抽象化。
このような方向性での生成AI批判は、無断学習や権利の問題と関係がないので主流にするものではありません。
イーガンはつい先日、chatGPTに知性があると思ってしまう現象を詐欺にたとえた記事をRTしていました。画像生成AIに創造性があると思ってしまうのも同じジャンルです。
■
AIの話は蛇足でした。
メインは絵の上達の話です。
>昔、「絵をうまくなるコツってなんかないの?」という質問をされました。
>それは、第二言語を習得するコツを聞くのと等しいと思います。
この比喩に話題を戻します。
第二言語の習得と同じくらい大変なので諦めろんということにもなりますが、我々はそれでも絵が上手くなりたいのです。
最初に思いつくのが、じゃあ言語と同様に英語話したいなら英語環境に行く、ということです。それは金とか労力がかかるので嫌です。
実は英語は、映画とか洋楽とかゲーム配信を見てるだけで上手くなります。ここに基礎となる普通の勉強をあわせるだけです。
絵も同様で、たくさん作品を見る環境がよいようです。しかし、作品だけだと文脈が足りません。それは単語帳で単語を覚えるようなもので、文脈がありません。
言語が言語だけではなく現実という文脈を必要とするように、絵も絵だけでは弱い。
なんか謎のネットワークと謎のネットワークが謎のノードでガチャっと部分的に結びついていくイメージで、そういうのが必要なのかも。
無理に言語とのアナロジーで語るから面倒なので、普通に絵の用語で言うと、あるモチーフを見ずにどんな角度やポーズからでも描けるようになるとよいのではと最近思います。たとえばドラえもんの顔を覚えて描ける人はいると思います。それは二次元ですので、それの立体版をやるだけです。それは言語で言えば、ある外国語の詩や文章の暗記に相当し、ただの暗記ではなく意味を理解して、それが言語として使用できる状態になったことに相当します。
その詩だけでは言語の中のいち部分だけのようですが、重要で頻用される文法的特徴を含んでおり、応用できます。このことによって、総当たりしなくてもいくつかのモチーフを暗記するだけでかなり対処できることになります。
このような謎の講座的文章を読んでいると(書いていると)不安になってきます。これは本当に有効なの?再現性あるの?そもそも、著者はやってるの?著者は実際やったことを主に書きました。(8割くらい)
匿名の文章で、絵を描かない人がただ理屈上こうなると言ってるだけのことがネットではよくあったと思います。こういう練習法がいいぞ、とそれをやってない人が言ってることがよくありました。
ただ、近年は絵描きが配信をやっていて生の声を聞けるので、そういった匿名の言葉に惑わされる必要がなくなりました。自分も他の絵描きの人と接する機会がないので助かります。ただ、絵を一枚もあげないのに絵を描く心得みたいなのを大量にツイートしてるアカウントがあってそれは怪しいと思いました。
ちょっと競争的、マッチョ思考になってきました。上手くなろうとすると他人にもそれを強制するような雰囲気になってうざい感じがあります。
ただこの記事の前半で言ったように、もし言語との類似で考えるなら、それはコミュニケーションの手段なので、本来は競うようなものではないのかも。
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