その日、私は龍に喰われた。

蒼依泉

プロローグ

 それは、凄絶な心象風景。 

 かつての私が辿り着いた、一つの終わり。

 崩れゆく王城のなか、炎を浴びてたった一人。

 口腔に溜まった灰と砂利を吐き捨てる。渇いた身体は唾液も出せず、粘っこい粒が舌に残った。

 蒼穹は昏く、張りついた星々は冷ややかな眼を以て私を迎える。

 鼻をつくような硝煙に、腐肉と鉄の混在した、むせ返るような死の臭い。すなわち、勇者たらんと剣を執った、果敢な青年の成れの果て。


 


 千年にわたって全世界を手中にし、私たち人間を抑圧してきた邪悪。

 世界の側からしてみれば、あらゆる王を従えた、不世出の貴き大王。

 除け者にされた人間たち──とりわけ、私にとっては、何もかもを奪った外道。

 人類と魔王の決戦は、これで九百と九十九回目。敵味方の区別なく、多くの死体が積み上げられた。

 その頂点に、九百九十九代目。勇者が眠っていた。彼の背中に突き立てられた聖剣は、既に先端が折れている。他でもない勇者の武器で、魔王は、人間たちの最後の希望を、潰えさせたのだった。

 およそ千年にも及んだ、人間たちの抵抗は、今宵、ついに終わってしまった。


 ──だから、この戦いは、私個人のためのもの。


 後ろ手に結んだ茶髪が靡いて、忽ち私の視界を遮る。瞬きを合図に一陣の風が吹き抜けて、死屍累々は薄汚れた砂塵となる。城には私と魔王だけが残った。

 先の血戦に参加しなかったのは、戦いの後の隙を衝く方が、奴を確実に仕留められると思ったからだった。

 

 総毛立つような感覚があるのは、私が恐怖を覚えたからか。

 或いは、魔法によって手繰り寄せた稲妻のためか。

 吐いた息の出処すらもわかりはしない。腹部を衝撃が迸り、視界が一気に反転する。

 頬と脇腹を光が貫き、遅れて鮮血に身体が染まる。唇を強く噛みしめれば、獣の如き興奮が脳髄を怒りに浸らせる。私は少女のかおを捨て、雷霆を両手に駆け出した。

 間髪を容れず、我々は肉薄する。

 私が先か、奴が早いかも知らん。魔力を乗せた全霊の打撃は、確かに互いの急所を突いた——搾られた内臓から果汁のように血が噴き出し、握り拳はたったの一度で砕け散った。

 止まれば死ぬし、退いても死ぬと瞬時に悟った。

 夜明けの頃まで殺し合って、最後に捨て身の一撃を決めた。

 走馬灯のように脳裏を過るのは、何より愛した故郷の思い出。

 死んでもいいと、躊躇わずに思えたのは、の居ないこの世界に、ひとつの未練も持たなかったからだろうか。


 ……だとすれば。

 私が魔王に敵わなかったのは、明日の世界の肖像を、思い描けなかったからか。


 生の最期の輝きは、ぬるい。

 内臓の破裂を決着の合図に、喪失感と諦念が、零れた血液の代わりになって、全身を巡る。

 倒れ伏した時、死は寒さの中にあるのだと知った。


 人生というものの最期が、こういう死だと解っていたのなら。

 私は此処まで走り切れただろうか。


 ——或いは。

 もし、たったひとつ。

 一つの奇跡が起こったとして。

 私に、再び人生を送る自由が与えられたのなら。


 私はまた、魔王に立ち向かえるだろうか?

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