第27話 告白1

 ある意味予想どおりと言うべきか、想定内と言うべきか。そんな感想を抱きつつ、立ったまま拳を握っているノアール殿下の右手にそっと触れた。


「殿下、落ち着いてください」

「……しかし」

「僕は大丈夫ですから」


 子ができるまで挙式は認めないと言われたときは、殿下と一緒にどんな壁も乗り越えるんだという気持ちが先走ってしまった。しかしいまは、あのときよりもずっと冷静に国王の話を聞けている気がする。おそらく懐妊したことで心境が変わったからだろう。


「無事に子が生まれるまでは、正式な王太子妃として認めるわけにはいかぬ。ゆえに挙式を行うのはまだ先だ」


 重厚な椅子に座ったまま告げる国王に、ノアール殿下が冷たい目を向けた。


「それでは話が違うと申し上げているのです。国王ともあろう方が、ご自分の発言を覆されるのですか?」

「覆してなどいない。あのときも“子ができれば”と申したはずだ。“懐妊したら”とは言っていない」


 国王の言葉に殿下がグッと唇を噛んだ。たしかに「子ができる」とは「子が生まれる」という意味でも使う表現だ。しかし、あの場では誰もが「懐妊したら」と解釈しただろう。殿下が反論するのも頷ける。


(一見すると理不尽な気もするけど……意地悪でそんなことを言っているようには見えないんだよなぁ)


 国王の眼差しは相変わらず冷たいものだが、殿下を見下したり見放したりしているようには見えない。もちろん敵意のようなものも感じない。

 それに、殿下に厳しく当たることが目的なら僕まで呼ぶ必要はないはずだ。そもそも国王も喉から手が出るほど孫がほしいはずで、その孫を身ごもった僕につらく当たる理由はない。


(……もしかして、とんでもなく不器用なだけとか?)


 自分の思ったことに「まさか」と苦笑したくなった。しかし、あり得なくはないなとも思った。

 僕の想像が当たっているとしたら、国王は僕の体を心配して式を先延ばしにしようと考えたんじゃないだろうか。大国の王太子妃として正式にお披露目される結婚式は、僕が想像するよりずっと心身共に負担が大きいはずだ。小国から来たリュネイル様を見てきた国王なら、同じ小国出身の僕が感じるであろう負担も想像できたに違いない。


(うん、あり得なくはないか。そもそも本当に冷たい人物なら、リュネイル様をずっと大事にしているとも思えないし)


 子を生む妃しか必要ないとも取れることを口にしながら、国王は子が生めないリュネイル様をいまでも大事にしている。それは隅々まで整えられている月桃宮を見ればわかることだし、リュネイル様との会話でも十分伝わってきた。

 そういった国王の姿をノアール殿下は見たことがないのだろう。国王と王妃の間では夫婦らしい様子が見られないようだから、殿下が知らなくても当然ではある。


(もう少し歩み寄るとか思いやるとかがあれば、ここまで拗れなかっただろうに)


 国王の態度は殿下が小さい頃から変わらないようだから、幼かった殿下に歩み寄りを求めるのは無理な話か。それなら父である国王がもう少し愛情を示していれば……いや、それこそ無理な気がする。厳しい表情ばかりの国王が満面の笑みを浮かべている姿を想像するのは難しすぎる。


(……もしかして、陛下も父王にそういう接し方をされてきたのか?)


 だから、子にどう接してよいのかわからないのだとしたら……。代々の国王がそうだったとしたら、あまりに根深く切なすぎる話だ。

 殿下に聞いた後継ぎの条件や後宮の様子を想像すると、我が子なのに愛情を抱けない国王がいても不思議じゃないとは思う。それでも家族だ。背景にいろいろあったとしても、家族であることに違いはない。

 きっと家族揃っての食事もしたことがないんだろうなと思うと、胸がぎゅっと詰まるような思いがした。


「挙式の件はいま伝えたとおりだ。子が無事に生まれてからとする」


 それまで僕は正式な王太子妃ではないということになる。となると、僕の立場はどうなるんだろうか。


(王太子妃候補のまま……でも、まぁいいか)


 それならこれまでと何も変わらないということだ。妃候補のままで困ることはとくにないし、あとは無事に子を生みさえすれば解決する。


(どっちにしても、僕次第というわけだな)


 妃候補になったときは「妃になるぞ!」と拳を握りしめたりもしたが、今回は「母になるぞ!」と両手を振り上げるべきだろうか。「いや、そんな気合いの入れ方も変か」と思い直していると、隣から「あなたの……」とつぶやくのが聞こえてきた。

 視線を向けると、仄暗い表情をしたノアール殿下が国王じっと見ている。


「陛下のそのような考えが、皆を苦しめているのではないですか?」


 静かな声だったが、逆にそれが強い怒りを含んでいるように聞こえた。何かよくないことを言い出すのではと思い、小声で「殿下」と声をかけたが殿下の言葉は止まらなかった。


「陛下のそういったお考えが、母上と月桃宮の方を苦しめているのではないですか?」


 殿下の言葉にチラッと国王を見たが、表情は変わらない。それが殿下には不満なのか、さらに言葉が続いた。


「なぜわたくしが王妃になれたのかしら」


 殿下の言葉に「は?」と首を傾げた。急に何を言い出すのだろうか。


「わたしが幼い頃、母上が口にした言葉です。一度きりの言葉でしたが、いまでもはっきりと覚えています。母上のこの言葉の意味は陛下のほうがおわかりでしょう」


 何を言いたいのかわからないが、殿下はなおも淡々と言葉を続ける。


「わたしを生んだことで母上は王妃になった。その後月桃宮が作られ、あの方は後宮にすら行くことができなくなった。これらのことは、すべてにおいて子が優先されるという陛下の、これまでの王家の考えが招いたことではありませんか」


 静かな言葉のなかに燻るような怒りを感じる。いや、それだけではない感情も含まれているような気がした。


(どちらにしても、このままでは衝突してしまうぞ)


 殿下の言葉がさらに続き、国王が不快に思えば前回のようなことになりかねない。この部屋には僕たち三人しかいないが、どこからかノアール殿下が国王の不興を買ったと噂でも流されたら大変なことになる。


(殿下が何かしらの思いを抱えていることはわかった。それは後で僕が何とかしよう)


 そういうことも妃となる僕の役目に違いない。その前に、まずはこの場を納めなくては……そう思いながら殿下の右手を両手で包み込むように優しく握り締める。


「殿下、少し落ち着いてください」

「しかし、挙式できないままではランシュは正式な王太子妃ではないということになる。わたしにはそれが我慢ならないのだ」

「僕なら大丈夫です。それに万が一ということもあります。もし式の最中に産気づいたりしては、大勢を慌てさせてしまうことになるでしょう。ですから、式は子が生まれてからでよいと思います」

「……ランシュ」


 殿下の表情が少しだけ和らいだ。よし、このまま挙式の話は終わらせてしまおう。僕自身が陛下に返事をしてしまえば、殿下ももう何も言わないはずだ。


「結婚式は子を生んでからということ、承知しました」


 国王にそう答えると、なおも「ランシュはそれでいいのか?」と殿下が尋ねてくる。


「はい、問題ありません。むしろ出産までの時間をたっぷり子に使えるわけですから、周りが驚くくらい元気な子を生んでみせます」


 思わず右手でグッと拳を握りしめてしまい、慌てて下ろした。国王の前だというのに、いまの仕草はさすがに不作法すぎると反省する。


「わかったのならもうよい。下がれ」


 国王のひと言で話は終了した。殿下はまだ何か言いたそうな表情をしていたが、諦めたのか軽く頭を下げてから踵を返す。慌てて僕も胸に手を当て頭を深く下げようとしたとき、国王の手が「よい」と遮るように動いた。


(……もしかして、お腹に負担がかからないように気遣ってくれたとか?)


 殿下は国王の動きに気づいていないようだったが、僕にはそう思えた。

 やはり僕には国王が冷たい人だとはどうしても思えない。表情も言葉も厳しいが、そういう国王であれと言われてきたのなら仕方がないような気がした。


(うん、やっぱり式の先延ばしは僕を気遣ってのことのような気がする)


 確証はないが、やはりそう思える。それに、最後に僕に向けられた国王の眼差しは冷たいものではなかった。


(もしかしなくても、お互いに誤解しているだけなんじゃないのか?)


 それでは親子としてあまりに悲しすぎる。できれば誤解が解けてほしいと思うが、いまの二人では難しいことも容易に想像できた。


 その後、まだ執務が残っている殿下とは途中で別れて後宮に戻った。別れ際に「夜はランシュのところで休む」と言っていたから、そのときに少し話をしてみるべきか。


「表舞台で役に立てないなら、せめて別の面で役に立てればと思うんだが……」


 前回のことと言い今回のことと言い、殿下は国王に対して小さい頃からいろんな思いを溜め込んできたに違いない。それを何とかうまく聞き出せないだろうか。


「少しでも吐き出せれば楽になると思うんだけどな」


 僕は落ち込むたびに妹に愚痴っていた。兄としてどうなんだと思わなくもないが、妹のルーシアは意外と聞き上手で、おかげで何かあっても腐ることなく前を向くことができた。まぁ、最後には手厳しいことを言われたりもしたが、気の置けない言葉で気分が楽になることのほうが多かった。

 ノアール殿下も、誰かに話せば気が楽になるのではないだろうか。聞き役は当然僕が担いたいと思っている。身近な人物に言いづらいことでも、他国からやって来た僕になら話せることもあるだろう。むしろ国内の事情を詳しく知らない僕にだからこそ言えることもあるはずだ。


「それに、僕は殿下の妃なのだしな」


 ……自分で言った言葉に照れてどうする。パタパタと手で顔を扇ぎながら、僕に話すことで少しでも殿下の気持ちが軽くなりますようにと願った。




「さぁ、僕が何でも聞きますから」


 寝る準備を終えてベッドの上に腰掛けた僕は、「何でも話してください」と言ってベッドの上に殿下を座らせた。急にそんなことを言い出した僕に驚いたのか、黒目がパチパチと瞬きをくり返している。


「一体どうしたのだ?」

「言ってみれば僕は完全なよそ者ですし、ビジュオール王国のことには詳しくありません。だからこそ、僕になら話せることもあると思うんです」


 傍から見れば何を言っているんだと不審に思うだろう。しかし、殿下なら僕が言いたいことがわかるはず。そう思ってじっと見つめていると、きょとんとした顔が苦笑するような表情に変わった。


「やはり、わたしの隣はランシュしかあり得ないな」

「当然です。僕はもうすっかり殿下の妃の気分ですからね」


 そう告げながら、少しだけ顔が熱くなってしまった。殿下の頬もほんのり赤くなっているような気がする。


「陛下との会話が気になったのか」

「それもありますが、殿下は何もかも一人で抱え込みすぎなのではと思ったんです。言えないこともたくさんあるでしょうが、吐き出せるものは吐き出してしまったほうがいいと思います。僕がしっかり受け止めますし、もちろん口外することもありません。あー……その、これは夫婦の会話ですから秘密は守ります」


 言いながら、やっぱり顔が熱くなる。「さすがに夫婦という言葉はまだ恥ずかしいな」と思いながら殿下を見ると、柔らかな眼差しで僕を見ていることに気がついた。


「そうだな。ランシュになら話せそうな気がする」


 そう告げた殿下が、ゆっくりと口を開いた。

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