第2話 遅咲きの出来損ない

 いよいよ四年に一度開催されるアールエッティ王国最大のイベント、芸術祭が始まった。僕は予定どおり離宮の一角を使って、「Ω王子が手がけた絵画」と題した絵画展を行うことにした。

 自慢じゃないが、僕の絵はそこそこ評価が高い。大国の王族にも顧客がいるし、特別な肖像画を頼まれることもある。もちろん各国には画家と呼ばれる人たちたちがいるが、アールエッティ王国の画家からすれば彼らは芸術家ではなく職人だった。その違いを知る王侯貴族は、ここぞというときの肖像画はアールエッティ王国の画家に頼む。その中でも一番人気なのが、何を隠そうこの僕なのだ。


「どうか、芸術がわかるαとの縁がありますように」


 手を組んで芸術の神に祈る。あまり欲をかいてはいけないのだろうが、できれば共通の話題はほしいところだ。それなら嫁いでも楽しい日々が送れそうな気がする。


「……いや、僕のことを知らない相手でもいいか」


 今回の絵画展で初めて僕のことを知ったという相手でもかまわない。展示している絵から僕に興味を持ってもらい、こういう絵を描くΩなら……という展開も十分にあり得る。

 そんなことを考えている間に、絵画展を開いている大広間に続々と煌びやかな人たちが集まってきた。漏れ聞こえる声から、ほとんどが僕のことを知っているようだった。それならそれで話が早いと思いつつ、中央に立って同じ年頃の男性や女性たちに視線を向ける。


(どのあたりがαかな……)


 そんなふうに視線を動かしながら、僕はあることに気がついた。


(そういえば、相手がαだとどうやって見分けるんだ?)


 聞いた話では、αやΩは本能で互いのことがわかるらしい。しかし、本能でどのように感じるのか僕にはまったくわからない。Ωになったばかりの僕は当然Ωとしての教育を受けていないし、αのことも詳しくは知らなかった。


(……ここは、相手のαに頼るしかないか)


 そもそも絵画展自体が「Ω王子が手がけた絵画」と題しているのだから、相手から声をかけてくれる可能性が高い。本人がαじゃなかったとしても、兄弟や親族にαがいるという人が声をかけてくれる可能性だってある。


「……うん、ここはじっと待つことにしよう」


 そう思って中央に立ち、談笑しながら絵画を見ている人たちを眺めることにした。

 そうして少し時間が経った頃、一人の男性が近づいてきた。αかどうかはわからないが、王族かそれに連なる家柄に違いないと思われる格好をしている。


(よし、早速来たぞ)


 僕は内心拳を握りしめながら男性に視線を向けた。


「もしや、あなたがランシュ殿下ですか?」

「はい」


 男性がαかもしれないと思うと、自然と顔もほころんでくる。現金だとは思うが、これは僕と王国の未来がかかっているお見合いの場でもあるのだ。


「お噂はかねがね……。なるほど、珍しい純銀の髪自体、芸術品のようでいらっしゃる」

「ありがとうございます」


「お噂はかねがね」ということは、すでに僕の画家としての話を耳にしているのだろう。そのうえで容姿を口にしたということは、もしかして脈ありなのかもしれない。


「純銀の髪に淡い碧眼、それに白い肌というのは、殿下自身が真っ白なキャンバスのようですね」

「それは……過分に褒めていただきまして……」


 なんだろう、この甘ったるい美辞麗句は……。思わず「ははは」と乾いた声を出してしまった。画家として絵画を褒められることには慣れているが、こうして僕自身のことを言われたことがなかったからか頬が引きつりそうになる。


(ここは耐えるんだ。まずはαと出会わなければ意味がないからな)


 そう思いながら笑顔で男性を見上げていると、微笑んでいた男性の表情が少し変化したのがわかった。


「……失礼、殿下はΩだと伺ったのですが」

「はい、Ωで間違いありません」


(きた……!)


 やっぱり今回の絵画展という方法は間違いではなかった。でなければ、こうも早くにαに声をかけられるはずがない。僕は内心拳を振り上げながら、満面の笑みで男性を見つめた。


「……それにしては、香りが……」

「?」


 男性が少し眉を寄せている。そうして少しだけ僕に近づき、気のせいでなければ「クン」と鼻を鳴らすような音が聞こえた。


(なんだ? もしかして、僕の匂いが気になるのか?)


 僕は昔から香水の類いは使わない。父上も母上も使わないからかもしれないが、どうもあの人工的な匂いが鼻について駄目なのだ。妹のルーシアは「香水だってたしなみの一つよ」と言って使っているようだが、あまり人工的な匂いはしない。香水瓶をデザインするついでに、中身も自分で調合しているのだろう。


(……勝負の日なんだから、ルーシアにとっておきの香水でも借りるべきだったか)


 そんなことを思っていると、男性が「やはり香りがしない」とため息をついたことに気がついた。


「あの……?」

「あぁ、いえ。見た目は悪くないと思ったのですが、どうやらわたしとは縁がなかったようですね」

「え……?」

「しかし、殿下の描かれる風景画はすばらしい。あちらの噴水の絵ですが、買わせていただくことにしました」

「なんと! ありがとうございます!」


 男性が指さした絵は、昨年の夏にめいっぱい時間を使って描いた力作だった。自分でも気に入っている作品で、それを買ってくれるとは、この男性はなかなかよい目をしている。


「では、失礼します」

「はいっ。あの、ありがとうございました!」


 お気に入りの絵が売れたということで、僕は上機嫌で男性を見送った。


 しばらくすると、今度は商人らしき風貌の男性が近づいてきた。一瞬「商人か……」と残念に思ったが、「いや、それでも十分だ」と思い直す。

 芸術祭にやって来る商人は、ただの商人ではない。大国に太いパイプを持つ豪商がほとんどで、なかには元王族αが当主となって大きくなった商家もある。


(……王族でなくても、豪商のαなら十分だ)


 アールエッティ王国の財政状況を考えると、多くの富を生み出し続ける豪商のほうがいいかもしれない。なにせ、ここ数十年は本当にどん底状態なのだ。それもこれもひいお祖父さまが芸術家たちを派手に招き入れた結果だと言われているが、そのツケはひ孫である僕の代にも暗い影を落としかけている。


(そのツケをルーシアとその夫に背負わせるわけにはいかない。そのためにも、僕はΩとして豊かなαに嫁がなければいけないのだ)


 僕は挨拶を受ける前から満面の笑みを浮かべて男性を見つめた。


「これはランシュ殿下、ご機嫌うるわしく」

「ようこそ、アールエッティ王国の芸術祭へ。よいものは見つかりましたか?」

「芸術祭には初めて来たんですが、どこに行っても感嘆のため息しか出ません」


 内心「そうだろう、そうだろう」と鼻も高々に微笑み返した。

 会場として解放している離宮では、僕の絵画展だけでなく王族たちが手がけた彫刻や絵画も多数展示されている。自慢の庭は王国一と言われている庭師が手がけたもので、庭を眺めながら歓談できるガーデンパーティでは、今年初めて“美しきスイーツたち”というスイーツの展示試食会も行われていた。もちろん腕のよい奏者たちによる演奏会も行われ、楽団の貸し出し受付も行っている。

 ほかの部屋ではドレスや宝飾品の展示販売が行われ、さらに若き芸術家たちの作業を眺められる吹き抜けの大広間も用意した。アールエッティ王国は、四年に一度行われるこの芸術祭に力を入れまくっているのだ。


「何かお気に召すものはありましたか?」

「そうですね、殿下の描かれた絵画を数点、買わせていただきました」

「それはそれは、ありがとうごいます」


 僕の絵を気に入ったということは、それなりに芸術に明るい商人なのかもしれない。そう思ってニコニコ笑っていると、突然商人がズイッと顔を近づけてきた。驚いて一歩飛び退いたが、それでも商人の顔が追いかけてくることに「なんだ、なんだ?」と目を瞬かせる。


「……ふーん、Ωの王子と聞いたが、匂いがしないな」

「匂い……?」


 まただ。先ほどの王族らしき男性も香りがどうこうと口にしていた。それほど僕の体臭が気になるのだろうかと思っていると、商人がニヤリと笑って僕を見下ろしてきた。


「匂いが気に入れば愛人の一人にでもと考えていたんだが、こりゃあ駄目だな」

「……っ」


 愛人と聞いて、思わずキッと睨んでしまった。側妃ならまだしも、一国の王子をつかまえて愛人とはどういう了見だ。そんな奴はこっちから願い下げだと睨んでいると、商人が「フン」と鼻で笑ったのがわかった。


「二十を過ぎた男のΩだって聞いていたが、これじゃあ行き遅れるのもわかる。そもそもΩ特有の匂いがしないってのは致命的だろ」

「Ω特有の匂い……?」


 言われた意味がわからず眉をひそめていると、さらに嫌な笑みを浮かべた商人が「かわいそうにな」と口にした。


「あんたがあちこちの王族αに手紙を出してるって話は知っている。それに興味を引かれて来てみたんだが、これじゃあもらい手はないだろうよ」

「……さっきから、随分と無礼だな」

「そんな無礼な奴にすら求められないってことだ」


 ハハハと笑いながら商人が去って行った。僕は言われた意味がまったくわからず、ただ無礼な商人を黙って見送ることしかできなかった。




 夕方、僕は残念な気持ちと憤慨する気持ちとを抱えながら王宮へと戻った。父上と母上は親しい賓客たちと晩餐を楽しむからと離宮に残ったが、そういう気分になれなかった僕は「疲れたので」と言って早々に引き上げたのだ。


「はぁ……」

「大きなため息ということは、うまくいかなかったんじゃなくって?」

「……ルーシア」


 国王とその家族がくつろぐための奥の居間へ入ると、ルーシアが紅茶を飲んでいるところだった。テーブルには“美しきスイーツたち”で出されていたスイーツがいくつも並んでいる。


「一度にそんなに食べると、また太るぞ?」

「お兄様はまずデリカシーを学ぶべきだわ」


 そう言いながら、自分の唇と同じくらい真っ赤な色をしたケーキを口に運んでいる。


「で、お目当てのαは見つかったの?」


 いくら小さめのケーキだからと言って二口で食べるのはどうなんだと思いながら、ルーシアを見た。紅茶色の目は「ほらね」と言っているようにも見える。


「十人以上のαに声をかけられたよ」

「声をかけられただけじゃ、その先には進まなくってよ、お兄様」


 痛いところをつかれた。昔からルーシアは口が達者で、僕は八歳も年上なのに負けっぱなしだ。それでも、言われっぱなしというわけにはいかない。


「何事も、まずは出会いが大切だろう?」

「ただ挨拶するだけを“出会い”なんて呼ぶのは、お兄様くらいだわ」

「……挨拶から発展する関係もある」

「せいぜい、絵画が数点売れるだけだと思うのだけれど」

「……僕の絵を気に入ってから、改めてってことも、」

「そんな悠長なαとΩの出会いなんて、聞いたことがないわ」

「…………ルーシア」

「ちょっと、二十四歳にもなって妹に口で負けたからって泣かないでくれる?」

「泣いてなんかない」


 昼間のことを思い出し、ほんの少し自分が情けなくなって涙が出そうになっただけだ。決してルーシアに言い負かされての涙ではない。


 芸術祭初日の今日、僕が思ったとおり「Ω王子が手がけた絵画」と題した絵画展には大勢の王侯貴族や富豪が訪れた。会場である大広間にいた僕は、十数人のαらしき男性たちに声をかけられもした。


(ここまでは、予定どおりだったんだ)


 ただ、その先はルーシアに指摘されたとおりになった。相手から「Ωの王子ですか?」と問われるたびに笑顔で「そうです」と答えたのに、結局最後は全員が絵を買うだけで僕自身には興味を抱いていないようだった。一番ひどかったのは無礼なことばかり言ったあの商人だが、その後も似たり寄ったりの状況にしかならなかった。

 なにより気になったのは、全員が僕の体臭を気にしていたことだ。あの商人のように突然顔を近づけるような無礼なことはされなかったが、皆一様に鼻を鳴らすような仕草で僕の匂いを嗅いでいた。そうして「香りがしない」と言っては離れていった。


「……僕の体臭って、そんなに変わっているのかな……」


 思わず出てしまった僕の言葉に、紅茶を飲んでいたルーシアが「ぶっ」と吹き出した。


「ちょっと、何を言い出すの」

「ルーシア、先に拭いたほうがいいと思うぞ」

「わかってるわよ」


 口元とドレスをハンカチで拭っているルーシアが、かわいそうなものを見るような目で僕を見ている。


「……なに?」

「わたしはΩでもαでもないけれど、それでも一般的な話くらいは知っているわ」


 何が言いたいのかわからず、とりあえずルーシアの向かいの席に腰をかけた。


「お兄様が絵画以外に疎いことはよく知っているけれど、まさか自分のことにまで疎いなんて思いもしなかった」

「それは少し失礼じゃないかな」

「失礼もなにも、どうして肝心のことを知らないまま今日を迎えたのか、本当に意味がわからないわ」


 もしかして、僕は何かしでかしていたのだろうか。そんな不安がよぎり口をつぐむ。

 ルーシアが言うとおり、僕は絵画にしか興味がない。いや、第一王子として我がアールエッティ王国の未来には関心を持っているが、はっきり言って政治のことはさっぱりだった。元々父上もそういった感じで、政治経済は大臣や官僚たちにほぼ丸投げ状態と言っても過言ではない。


(というより、口を挟むとひいお祖父さまのようになりかねないからな)


 素人が口を出しまくった結果がいま現在なのだから、おとなしく芸術活動に勤しんでいるほうがよほど国の役に立つというものだ。

 それでも自分がΩだとわかったいま、ただ絵を描いているだけではいけないと思い直した。だから絵画展を開き、Ωである自分を売り込もうとした。よい嫁ぎ先を見つけることが第一王子として最大の貢献だとも思っている。

 それなのにルーシアがこれほど呆れているということは、何か見落としていることがあるということなのだろう。


「……ええと、肝心なことって何かな……?」


 おそるおそる訊ねる僕に、ルーシアが大きなため息をついた。


「そもそもお兄様は、どうやってαを探そうと思っていらしたの?」

「僕がΩということは公表してあるから、相手から来てくれるかなぁと」

「……なるほどね」


 ルーシアの紅茶色の瞳が細くなった。これは「これだからお兄様は」と思っているときの目だ。


「お兄様はご存じなかったのかもしれないけれど、αとΩは本能で互いの香りを感知できると言われているのよ。香りで相手がαかΩかだけじゃなく、自分と相性がいいかまでわかると言われているわ」

「香り……あぁ、だからか」


 なるほど、だから声をかけてきた男性たちは香りがどうこうと言っていたのか。僕が感心して頷いていると、ルーシアが再び「はぁ」とため息をついた。


「αとΩしか感知しあえない特別な香りは、発情を迎えないとわからないそうよ」

「そうか、発情しないとわからないのか……って、えぇ!?」

「だからわたし、お兄様は発情していないじゃないのって言ったのよ」

「あぁ……あれは、そういう意味だったのか……」


 発情しないと子が生めないことは知っていた。てっきりそのことを言っているのだと思っていたが、まさかそれ以外にも重要なことに関係していたとは……。


「今日出会ったαの方々は、お兄様からΩの香りがしないからおかしいと思ったのね。だって、香りがわからないと相性もわからないんだから」


 ということは、明日も同じことになるということだ。だって、たった一晩で僕が発情を迎えるなんてことが起きるはずがない。ということは、僕はΩの香りを漂わせることができないということになる。


「……それは、困ったな……」


 眉を寄せて唸る僕に、ルーシアが「はぁ」とやっぱり大きなため息をついた。


「困ったもなにも、こればっかりはどうしようもないじゃないの。それでもαに嫁ぎたいのなら、直接会うのはやめて手紙での打診を続けるしかないんじゃなくって?」


 手紙なら香りはわからないだろうから、というルーシアの言葉に頷きながら、「これはとんでもない難題になってきたぞ」と頭を抱えた。

 このままでは、僕はΩとして認識すらされない“出来損ないのΩ”になってしまう。ただでさえ行き遅れ感が否めない年齢なのに、そんなΩに嫁ぎ先が見つかるはずがない。しかし、どこかに嫁がなくては第一王子として国のために僕ができることはなく、この国の財政を考えると何がなんでも大国に嫁がなければいけないのだ。


「とりあえず、お兄様は発情を迎えるための方法を探すほうが先決じゃなくって?」

「そうだな……。うん、そうするよ」


 幸い、アールエッティ王国にはそれなりの蔵書がある。すべて「文字や表紙が芸術的だから」という理由で集められた本ばかりだが、なかには有益な情報が書かれている本があるかもしれない。


「お兄様がΩとして一人前になれなかったとしても、画家として腕を振るえばいいわ。わたしが優秀な夫をつかまえるから、安心して」

「……ルーシアって、時々かっこいいよな」

「時々はよけいよ。それに、“かっこいい”より“美しい”のほうがうれしいんだけど」


 そんなことを言いながら紅茶を飲むルーシアの頬が、少しだけ赤くなっている。

 まだ十六歳になったばかりだというのに、僕よりルーシアのほうがよほどしっかりしている。そんな妹に頼りっぱなしでは兄として駄目だと思い直した僕は、翌日からΩの発情方法を調べるため書庫にこもることにした。

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