第25話 ただ一つの花

「あ!兄ちゃん!」



 まとまった休暇をもらい、故郷と呼べる場所へ帰ってきたら、町中でセオを見かけたから声をかけようとした。


 でも、ちょっと待て。


 その向こう側で、なんであんなに可愛らしい女性が嬉しそうに俺のハンカチを眺めているんだ。


 嬉しいが、嬉しいが、アレはダメだ。


 あれは、全体をあと1ミリ右にずらして作りたかったやつなのに。


 あんな女性に手にしてもらうなら、もっと完璧なやつに触れてもらいたかった。


 それに、質素な服を着ていても、雰囲気からわかる。


 彼女は、年下……いや、年上の貴族女性だ。


 ヤバい、セオは馴れ馴れしすぎるだろ。


 気軽な様子でセオから俺を紹介された女性は、俺とハンカチを見比べて驚いた顔をしていた。


 俺みたいなのが作ったと知って、がっかりさせただろうか。


 セオの失礼をまず詫びたが、友達だから心配しないでと言われて今度は困惑した。


 お嬢様が、孤児院にいるセオの友達?


 孤児院を訪れたことがあると教えてもらって、それで納得はできたが、お嬢様が手にしているハンカチは、どうしても返してもらいたかった。


 けど、お嬢様は、返金に応じないどころか、俺の腕に期待してくれた上にセオの自慢の兄とまで言ってくれて、嬉しくて頬が緩むのを抑えられなかった。


 職業柄、女性と接することはよくあったが、関心を寄せたり、誰かに心惹かれたり、誰かと親密になることなど一切なかった。


 自分はこの先絶対に誰かと結婚することなどないと、理解していたつもりだった。


 そんな俺が、故郷で出会った女性を好きになるのは、一瞬のことで。


 庶民が食べる物を当たり前のように口にして、嬉しい、ありがとうと、俺に向けて笑いかけてくる姿が、一人の尊い女性のもので、宗教も身分も自分の犯した大罪も忘れて、しかもしばらく元王妃様の公爵令嬢とも気付かずに、俺は虜にされていた。


 休暇を孤児院で過ごしていると、奉仕活動中のお嬢様の視線がずっと俺を追ってきて、そちらを見ないように気を付けていても、意識しないでいられるわけがなかった。


 おそらく、実年齢よりも幼く見せるクリっとした灰色の瞳がいつも俺を見てて、窓からの陽光に触れると銀色に見える時があって、思わず見惚れて、その存在を無視することなんか到底できない。


 マヤが垂れ流す王妃様の悪態は全く信じていなかったが、彼女がマヤの言うような悪女と思えるはずがなかった。


 セオや他の子達に向ける笑顔が何よりの証拠だ。


 俺とマヤが知り合ったきっかけは、マヤから声をかけられたことによってだった。


 絶対的な習慣によって、店で食事をする際に祈りの言葉を捧げた直後、マヤから声をかけられていた。


 私と貴方は同郷よと。


 マヤの本来の名前はデリラ。


 国王の愛人で、その時は街で遊び歩いていた。


 デリラは最初の見た目から派手で、“同郷”という言葉を聞かなければ、絶対に自分の領域に近付けさせたくない人種だ。


 勘違いだとその場はそう言って、さっさと別れたが、俺が働いている仕立て屋をどこで調べたのか、次にデリラと会った場所は、俺も何故か同行を指示された城でだった。


 それ以来デリラは俺を構うようになったが、正直言って迷惑だった。


 ドレッド領での休暇が終わり王都に戻った俺に、デリラが城のバラ園を見せてくれたことには感謝したが、その時もお嬢様を蔑める発言ばかりでキレそうになる。


 特に、お嬢様と知り合ってからは、お嬢様の悪口を言われるたびに腑が煮え繰り返りそうだった。


 そして、国王。


 お嬢様よりもデリラを選ぶ神経が信じられなかった。


 こんな女のどこがいいのか。


 女性を見る目がなさすぎて、呆れて、初めて会った時は、とにかく無言で頭を下げてその場を後にした。


 バラ園を見た直後の俺は、部屋に戻って、すぐに刺繍に取り掛かっていた。


 その時点で生地と糸はすでに用意していた。


 お嬢様の髪のような綺麗な糸を見つけて、すぐにそれを購入したから。


 脳裏に焼き付けた王城のバラを再現していく。


 針を通すたびにお嬢様のことを思い出していた。


 最後に見せた表情。


 セオのように拗ねてみせて、年上の女性なのにその仕草を可愛らしいと思って、相手を怒らせてしまったのにその頬に触れたいと思って、俺の中は終始混乱しっぱなしで振り回されて。


 ああ、もう、可愛い、ダメだ、クソっ。自分の中のわけのわからない感情が溢れ出す。


 彼女と握手をした時、彼女を見守っていた護衛に首を刎ねられても仕方がないくらい嬉しかった。


 小さな手から体温が伝わってきて。


 公爵令嬢の彼女がこんなものを身につけてくれるはずはないと思っても、ひと針ひと針心を込めていた。


 出来上がったストールを彼女が体に巻き付ける姿を想像して、それがなんだか自分の腕の中にいるように思えて、そんな妄想はすぐにヤメロと壁に頭を打ちつける。


 御令嬢が使うはずがないと思いながらも、今までで最高の出来は、誇れるものだった。


 自信を持って、お嬢様にお見せできる。


 お嬢様の目に少しでも触れてくれるだけで、満足だった。


 叶うはずがない。


 お嬢様にもう一度会いたいなど。


 俺は罪人で……咎人で……




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