第16話 訪問者
まだ王妃だったあの時の私は、王家に嫁いで簡単に離婚を選択するなど、無責任なことだと悩まないわけではなかった。
私が国の将来で悩む事なくアルテュールとの別れを決意できたのは、あの日、私の元を訪れたあの方の言葉があったからだ。
前王の異母弟で、アルテュールの叔父にあたるティメオ・ローハン公爵が、城の執務室に籠らざるを得なかった私を訪ねてくださった。
アルテュールに暴力を振るわれ、離婚を決意したあの日より数日前に遡る。
ローハン公爵とは何度か公的にお会いした事はあったけど、個人的な話をするような間柄ではなく、アルテュールの事で何かお叱りを受けてしまうかもしれないと、少しだけ不安はあった。
でも、予想に反して客間で対面したローハン公爵は物腰が柔らかくて、とても話しやすかった。
黒髪を肩に届くくらいに伸ばしており、深い青色の瞳は落ち着いた雰囲気を見せている。
あまり華やかな場には姿を見せないけど、アルテュールとは異なる系統の整った顔立ちは貴婦人の憧れの的で、高い統率能力もあって騎士達の信頼も厚い。
ローハン公爵は、騎士団の顧問も務めていた。
騎士団だけでなく、あらゆる方面からの相談役を引き受けたりもしている。
ローハン公爵が上手く立ち回ってくださっているから、アルテュールが若くして即位しても混乱は生じなかったとも言えるかもしれない。
私とはひと回り歳が違うのだけど、私がローハン公爵と同じ年齢になった時に、彼のようになれているとは思えない。
「突然の訪問をお許しください。本日は妃殿下にお伝えしたい事があり、参りました。マヤの兄、ジェイデン・バーンズ男爵から相談を受けた事です」
挨拶を交わすと、気品あふれる姿で姿勢良く座っている、そんなローハン公爵が丁寧な言葉で話し始めた。
その声は、とても温かみのある声だけど、
「あの、ローハン閣下。どうか楽にされてください。貴方様に畏まられると恐縮してしまいます」
「そうはいきません。貴女は王妃なのですから」
「…………」
正統な王位継承権を持つ、誰からも信頼されている方に敬われた態度を取られると、心中は複雑だ。
王妃であっても、自分はそれに値する価値はあるのかと。
王妃という冠を被った、ただ利用されるだけのただの小娘に過ぎないと。
膝の上に乗せた手で、指先に触れたドレスをギュッと握った。
アルテュールに軽んじられている自分の不甲斐なさが、ローハン公爵にはどのように映っているのか。
この時はまだ、マヤに見下された笑いを向けられた時よりも、ローハン公爵に叱られる方が辛いと思っていた。
「えっと……それで、男爵からはどんな相談を……?」
不安と自信の喪失から、徐々に声は小さくなっていた。
「はい。マヤは、正確には血の繋がりがない妹だそうです。男爵の実の妹である本物のマヤは、幼い頃に病死しています。結果的にアルテュールを騙していた為罰せられるのではと恐れていました。前バーンズ男爵は、王族を欺くつもりはなく、ただ、病死したマヤにあまりにも酷似していたから孤児であった少女を引き取ってきたと」
ローハン公爵から伝えられた事は、少なからず驚きがあった。
では、アルテュールが幼なじみだと思っていた少女はすでに亡くなっており、このお城にいるマヤは元々はバーンズ家の生まれではなかったと。
「お父様がマヤさんの情報を守ろうとしていたのは、平民出身だと言うだけではなかったのですね」
国王の隣に当たり前のようにいるマヤがどんな人物なのか、こぞって記者達が暴こうとしていたのを、お父様が情報統制していた。
そして私にも、出来るだけ王家が平穏であるように手助けしてあげろと仰っていた。
「それだけではありません。引き取られた少女が孤児となった原因は、両親が赦されない犯罪に手を染めたからです」
「その言い方は、まさか……」
「少女の両親は密猟者でした。それも、白鹿の」
思わず、自分の口を両手で押さえていた。
信じられないと。
リカル公国に不法に入国して白鹿の密猟を行った場合、多くはホルト王国に面した海から逃走する。
マヤの両親はホルト王国内で捕縛されて、そのまま罪を問われて罰を受けたのだ。
両親がどちらも罪を犯したということは、海外から部族単位で密猟を行いに来た者達となる。
海を越えて国を越えて、わざわざ禁忌を侵しにくる行為は理解できないものだった。
その土地ではその土地の大切なものがある。
遵守しなければならない法があるのだ。
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