第六章 正体

第40話

 拘束され床の上に寝転がされている綿貫わたぬきは、依然沈黙を守っていた。


「…………」


 その表情からは何の感情も読み取ることが出来ない。


「まさかとは思うが、黙っていればやり過ごせるとでも思っているのか? 一応断っておくが、お前の置かれている状況はそんな生易しいものではない。お前が犯人であることは既に明白なのだからな」


 城ケ崎じょうがさきが倒れている綿貫の顔を覗き込む。


「……何故?」


「ん?」


「何故それであたしが犯人だと言い切れるの? 生き残っていることが犯人の証になると言うのなら、貴方やそこの助手さんだって犯人である可能性は等しい筈よ」

 綿貫が女性にしてはややハスキーな声で呟いた。


 その瞳は虚ろで、何を考えているのかよく分からない。


「残念ながらその言い逃れは通用しないな。オレと眉美には烏丸が殺された夜のアリバイがある。お互いが証人だ。そしてこの殺人事件の犯人は七人のプレイヤーの中の一人、つまり共犯者はいないことが烏丸からすまによって明言されている。綿貫、お前は既に詰んでいるのだよ」


 その通りだ。

 わたしと城ケ崎はお互いのアリバイを証明することが出来る。

 もしもこの場にわたしがいなければ、お互いが犯行を否定し、相手を犯人だと指摘し合う水掛け論になりかねなかった。


 そうなれば犯人が相手だと主張しても、それはお互いに同じ条件ということになってしまう。

 城ケ崎がわたしを気絶させておいたのはこの為だろう。

 もしわたしが切石や飯田と同じように換気窓から館の外を見張ることを思いつけば、大切なアリバイの証人を失うことになるのだから。


「流石は喪服探偵、見事な推理ね」

 綿貫は大きく息を吐くと、ゆっくり瞳を閉じる。肩を落とし、人形のように身体を投げ出している。


「まさか殺人に使ったトリックを逆手にとって、切石と飯田を容疑者から除外するだなんて。恐れ入ったわ」


「ふん」

 城ケ崎はつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「…………」

 わたしが回答権を使ったあのとき、城ケ崎はわたしのアリバイを証言してくれた。

 何故城ケ崎があのときわたしに助け船を出したのかずっと疑問だったが、今その謎が氷解した。


 城ケ崎としては、何としてもわたしの話す内容を探偵たちに信じ込ませなければならなかったのだ。多少不自然ではあっても、今のこの状況を作り出すには、それは必須条件である。

 ということは、城ケ崎は鮫島の死が確認されたときには既に今の状況を思い描いていたことになる。


 ――否。

 正しくは、少なくとも鮫島の死が確認されたときには、だ。

 城ケ崎が何時からこの「絵」を描いていたかについては、確かめようがない。本人のみぞ知るところだろう。


「綿貫さん、何でこんなことを?」

 わたしがそう言うと、綿貫は弱々しく微笑んだ。


「そのことについては助手さんにはもう話したと思うけど? あたしの行動原理は面白いか面白くないかの二つだけ。面白くないことは徹底してやらないし、面白いと思うことの為なら何だってする。

 最初は探偵として事件を解決出来ればそれで楽しかった。けれど、事件を解決していく中で段々不満が募るようになっていったの。謎が簡単過ぎたり、事件がつまらなかったり、犯人が間抜けだったりね。それで思い立っちゃったわけ。そうだ、あたしが面白い事件を起こせばいいんだって。そこから先は早かったわ。どうせやるんなら、まだ誰もやったことのないような大掛かりな犯罪にしよう。曰く付きの洋館に現役最強クラスの名探偵を集め、全身全霊を捧げて対決する。あたしにとって、この推理ゲームは命を懸けてでもやり遂げたかったことなのよ」


「そんな理由で…………」

 わたしは綿貫のあまりにも身勝手な考え方に愕然とした。


「あら、助手さんはそんな理由では御不満? だけど人生の先輩として言わせて貰えるなら、犯罪の動機なんて全部『楽しいから』で説明出来るわ。強盗も通り魔も正義も復讐も、この世のあらゆる犯罪の動機はどう繕ったって、結局は快楽を得る為なのよ」


「…………」


 これまでに幾つもの事件を解決してきたであろう綿貫の発言だけに、かなり説得力のある言葉だった。

 わたしは反論することが出来ず、沈黙するしかない。


「ふん、動機など、そんなものは犬にでも食わせておけばいい」

 城ケ崎が心底つまらなそうにわたしたちの会話を打ち切った。


「そんなことより綿貫、オレはまだお前の口からオレの回答に対する答えを聞いていないが? いい加減、素直に負けを認めたらどうだ?」


「ええ。それじゃあ、最後の確認よ」

 綿貫が余裕たっぷりに言った。


「犯人は綿貫リエ。犯行に使われたトリックは残酷館をエレベーターのように動かすこと。喪服探偵さんの回答はこれで間違いないかしら?」


「なッ!?」


 不穏な空気に飲まれて、わたしと城ケ崎は一瞬言葉を失う。

 この綿貫の落ち着きようはどうだ?


「……何のつもりだ?」


「だから念の為の確認よ。後から『そんなつもりで言ったんじゃない』とか文句を言われたくないから」


「…………」


 わたしには綿貫が何を考えているのか理解出来ない。

 そもそも綿貫のその発言は、綿貫自身が犯人であることを吐露したも同然ではないのだろうか?


「どうしたの? 早く答えて」


 城ケ崎は迷いを断ち切るように素早く首を振る。

「……何を考えているかは知らんが、揺さぶりをかけることが狙いだとすれば無駄なことだ。お前が犯人であることは、切石と飯田が死んだことではっきりしている。トリックについても、オレがこの目で確かめた。オレの推理には一分の隙もない」


 そうだ。

 城ケ崎の推理は、それ以外の全ての可能性を完全に否定している。


 ――完全なる推理。


「オーケーよ、回答を受理するわ。では次にこの拘束を解いてくれないかしら?」


「馬鹿な!?」

 わたしは思わず声を漏らす。

 綿貫は一体何を狙っているのか?


「まさかそんな要求が通ると思っているのか? お前はこのまま警察に引き渡す。拘束を解くことは金輪際ない」


「あらそう。ならいいわ。自分でやるから」

 そう言うと綿貫はあっさりと拘束を解いて、勢いよく立ち上がった。


 綿貫の自由を奪っていた縄は、綺麗に切断されている。


「こういう事態に備えて、ドレスにカミソリを仕込んでおいたの。流石に拘束を解くには少し時間がかかったけれど。喪服探偵さんの話が長くて助かったわ」


「な…………ッ!?」


 流石の城ケ崎も一瞬、何が起きたのか分からなかったのだろう。暫し茫然とした後、漸く武器のナイフを構える。


「うふふ、心配しなくても今更戦うつもりはないわよ。貴方とやり合ったところで、勝ち目は薄いでしょうしね」


「……では、何の為に縄を切った?」


「決まってるじゃない、これから貴方の推理の反証を行うのよ」


 ――綿貫リエは目を細め、蠱惑こわく的な笑みを浮かべていた。

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