第7話

「まさか……!?」

 わたしは恐る恐る綿貫に近づいた。


 綿貫の目は大きく見開かれていて、恐ろしい形相だ。

 わたしは彼女の腕をとって脈を測る。

 既に脈は止まっており、呼吸も確認出来なかった。


「……し、死んでる!?」


「はは、8分の1の確率でいきなりアタリを引くとは、つくづく運のないネーチャンだったな。むしろよくこれまで探偵として生きてこれたもんだ」

 鮫島が笑いながら寿司を口に運ぶ。


「同感ですね。ま、お陰で助かりましたが」


 続いて支倉が寿司を食べ、飯田と不破もそれに続く。


 その場にいる全員が綿貫の死に対してまるで無感動だった。


「…………嘘?」

 わたしは綿貫の死を目の当たりにして、とてもではないが食べ物が喉を通る状態ではなかった。


 逆に今にも胃の中のものを全て吐き出してしまいそうだ。


 ――気持ちが悪い。

 やはりわたしには、探偵としての覚悟が足りていないのだろうか?


「おいおいどうした? 早く食っちまえよ。残りはあんたたちだけだぜ」


「え?」

 そこで漸くわたしは異変に気が付いた。

 盆の上にはわたしの分の寿司だけでなく、まだ三つ残っているではないか。


 一体何故?


「断る」

「右に同じく」


 わたしの他に寿司を食べていないのは城ヶ崎と切石だ。

 二人は残った寿司を前に憮然たる面持ちだ。


「……どういうつもりだ?」


 鮫島がまたしても城ヶ崎に挑みかかろうとしている。こめかみの辺りがピクピク痙攣しているのを見るに、限界は近そうだ。


「どうもこうもない。オレはこんなものは食えないと言っている」


「ほォ、ならテメェら三人はここでリタイアするってことでいいんだな? 寿司を食べないんならよ」


「その必要はない」


 城ケ崎に全く動揺は見られない。

 その表情は自信に満ちている。


「あ? テメェ、ちゃんとルール聞いてたのかよ? ゲームに参加するには、ここにある寿司の何れか一つを食べることが条件なんだぜ」


「ルールを聞いていないのはお前の方だ。この『寿司アンルーレット』の目的は八人の中から一人の脱落者を決めること。そして烏丸の説明では毒入りの寿司が紛れていると言っただけで、それが一貫だけだとは言っていない。ここまで言えば、これがどういう意味か分かるよな?」


「なッ!?」

 鮫島の顔がさっと青ざめる。


「更に言うなら、そこで寝ている性悪女は現役の女優だぞ。死体の真似くらいは朝飯前だろうよ」


「ごぼッ!」


 次の瞬間、支倉の口から盛大に血が吹き出した。

 血は天井にまで届こうかという勢いで飛び散り、その量は誰が見ても失血死と判断出来る程だった。


「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 支倉は胸を掻きむしりながら膝から崩れ落ちると、胎児のように身体を折り曲げたまま動かなくなった。

 その顔は恐怖と苦痛で醜く歪んでおり、生前の優雅さは微塵も残っていない。


 ――死を受け入れ、覚悟した男のものとは到底思えない死に顔だった。


「あらあら、三人も騙されないだなんて意外ねェ。まだまだあたしも修行不足かしら」


「え?」


 気がつくと、綿貫は何事もなかったようにわたしの隣に立っている。

 栗色のボリュームのある髪をかき上げる仕草は、つい先程まで死んでいたいたとは思えない程で、艶めかしささえある。


「どういうことだ? こりゃあよ!」

 鮫島がテーブルに拳を叩きつけながらながら虚空に吠える。


 無理もない。

 たった今まで死んでいた人間が生き返るなどある筈がない。


 ――あり得ない。

 そうだ、わたしは確認したのだ。

 あのとき、綿貫の脈が確かに止まっていたのを。


「あら助手さん、信じられないって顔ね」


「う」


 図星を刺されて、わたしは言葉に詰まる。


「ふふふ、一時的に脈を止める方法なんて幾らでもあるでしょうに。お約束の方法としては、テニスボールを脇の下に挟むとかね。死んだふりなんてのは演技の初歩の初歩よ。助手さんが脈を取り易いように倒れるのには少し苦労したけど」


 まさか、わたしが脈を測ることまで計算ずくだったというのか?

 あの一瞬の間に?


「おい、この女狐。テメェ殺される覚悟は出来てるんだろうな?」


 鮫島が綿貫を凶悪な顔で睨めつける。少し笑っているようにも見えるのは、多分顔中の血管が痙攣しているからだろう。


「はァ?」

 しかし、対する綿貫は呆れたように肩を竦めるだけだ。


「一発目は顔か腹、どっちがいい? それくらいは選ばせてやるよ」


「何故?」


「こっちは危うく殺されかけたんだ。死んだふりとは舐めた真似をしやがるぜ。ただ殺すんでは怒りが治まらねェ。嬲り殺してやる!」


 すると綿貫は今度は可笑しくて堪らないというように笑い出した。


「あはははは、そりゃあなたが騙されたのが悪いんじゃなくて? それにあたしだってあなたと同様、本当に死ぬリスクを冒して罠を張ったんだから、それを兎や角言われる筋合いはないわね。問題があるとすれば、それはまだ寿司を食べていないそっちの三人でしょう?」


「……ちッ」

 鮫島は舌打ちすると、今度はわたしたちを鋭く睨みつけた。


「おいテメェら、残りの寿司とっとと食え。今回のところはそれで勘弁してやる」


「やれやれ」

 城ヶ崎は首を振ると、疲れたように溜息を吐く。


「何度も言わすな。オレは嫌だと言った筈だ」


「……そっちの二人も同じか?」


 切石は無言で鮫島を睨み返している。

 やはり食べる意志はないらしい。


 そしてわたしはと言えば、情けない話だが今のこの状況に付いて行けていないというのが正直なところだった。

 支倉の壮絶な死と綿貫の再生を目の当たりにして、何も考えられない。


「……よーくわかったぜ、テメェら」

 鮫島はニヤリと笑うと、懐から分厚い大型のナイフを取り出した。鮫島の剛力と合わせれば、骨ごと人体をバラバラに解体することも可能だろう。


「まとめて血祭りにあげてやるよ!!」


 先刻から好戦的な態度をとり続けていたのは、彼の性格以上に武器の存在が大きかったのかもしれない。


 城ケ崎は拳を構え、切石は刀の柄に手を触れる。

 それぞれ迎え撃つ構えだ。


「喧嘩はやめようよ」


 仲裁に入ったのは、今まで沈黙を守っていた大食い探偵こと飯田円だった。飯田は真っ直ぐ、わたしたちの方へ向かってくる。


「やかましいぞ小娘、死にたいのか?」


「引っ込みがつかないのは分かるけどさ、やめといた方がいいよ」


「しゃしゃり出るんならテメェが残りの寿司全部食え!」

 鮫島はナイフを振って、近寄ってくる飯田を牽制する。


「オーケー、分かった。そいじゃあ、いただきマース」


 そう言うや否や、少女は寿司を三つまとめて口の中に放り込んでしまった。


「なッ!?」


 ――正に一瞬の出来事だった。

 ――そこには刹那の逡巡もない。


「ほら、これで争いの火種はなくなったよ。さっさと話を進めてよ、烏丸さん」


「……承知しました、飯田様」

 烏丸は飯田に向かって恭しく一礼する。


「…………」


 飯田のこの行動に対する探偵たちの反応は、口を開けて唖然とする者、眉根を寄せて怪訝な顔をする者、興味深そうに目を細める者、呆れたように失笑する者、無関心を装う者、など様々だったが、すっかり毒気を抜かれてしまったという点においては皆同じだろう。


 わたしにはこのとき飯田が何を考えていたのか、見当もつかなかった。


「それでは、これより皆様をそれぞれのお部屋までご案内致します。長旅でお疲れの方もいらっしゃることでしょう、今のうちにゆっくりお休み下さいませ。ディナーは今夜18時からですので、ルール説明の続きはそのときにまたお話し致しましょう」

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