第一章 来訪者たち
第3話
わたしは車のハンドルを握り、夜の山道を走っていた。
道は狭い上り坂で、両脇には裸木がまばらに並んでいる。先刻から絶え間なく降りしきる粉雪で、視界はかなり悪い。同じ道をぐるぐる回っているような気がするのは、多分気の所為だけではないだろう。
助手席に座っている黒いスーツに黒縁眼鏡をかけた痩身の男、
詰将棋の問題集だ。
「こんな揺れる車内で、良く詰将棋なんてできますね」
わたしは一向に道案内しようとしない城ヶ崎に、皮肉のつもりでそう言ってやった。
「言ってる意味が分からないな。車の中だろうと何処だろうと、問題の難易度は変わらないと思うのだが?」
しかし当の城ヶ崎に皮肉が通じた様子はない。何時も通り、その横顔は無表情で口だけがよく動く。
考えてみれば、城ヶ崎の
この男に弱点など存在しない。
「しかし、考えに煮詰まったときなんかにはよく風呂場で閃いたりすることもある。となると、考える場所というのは存外重要なファクターなのかもしれないな」
「……はァ」
もしこれが嫌味なら大したものである。
しかし、興味のあること以外には淡白なこの男の性格を考えれば、それはまずあり得まい。
わたしは詰将棋から話題を逸らすことにした。
「それにしても、先生が今回の依頼を引き受けるとは意外でした」
城ヶ崎九郎は日本でも五指に入る程の名探偵である。高い依頼料にも拘らず引く手数多で、故に引き受ける依頼の選り好みはかなり激しい。
城ヶ崎に依頼を引き受けさせるには札束を用意するだけでなく、城ヶ崎の興味を惹くような魅力的な謎がなければならない。
しかし、今回の依頼は報酬も事件の性質も全て不明なのだ。
城ヶ崎の元にその手紙が届いたのは、二週間前のことである。
血のように真っ赤な封筒に入っていたそれには差出人の氏名と住所の他、招待日時のみが印字されただけの、酷く一方的なものだった。
「そういえば、まだ伺っていませんでしたね。先生が何故今回の依頼をお受けになったのか」
「別に。純然たる興味からだ」
城ヶ崎は詰将棋に視線を落としたまま、気のない返事だ。
「あの内容のない手紙に興味をお持ちになったということですか?」
「まァそれもあるにはあるがね。だがオレの目を惹いたのはやはり場所だろうな。
わたしは降りしきる雪の勢いが増すことを気にしながら、以前ネットで調べた内容を思い出そうとした。
「ええと、確か元々は16世紀のハンガリーの建物ですよね。ラスロ=バートリ。通称、
残酷卿はこの館で自身の欲望と快楽の為だけに、千人近くもの人間を拷問にかけ、処刑したといわれている。
彼の愛した処刑道具たちは今も館の地下でひっそりと眠っており、殺された人々の怨念が館内を
「現在、誰が館を所有しているかは不明です。しかし先生は本当にこんな話を信じているんですか?」
すると、城ヶ崎は漸く詰将棋の本を閉じて視線を上げた。
「それをこれから確かめに行こうというのだよ。だが、あながち単なる怪談とも思えなくなってきた。お前は残酷館に纏わるもう一つの噂については知らないようだから教えておいてやろう」
それから、そっとわたしの耳元でこう囁いた。
「残酷館を目指す者は必ず道に迷う」
わたしの背中に冷たいものが伝った。
「……や、やめて下さいよ、先生」
城ヶ崎は表情を変えず、静かに窓の外に視線を向ける。
「もしも血も凍るような陰惨な殺人事件が起こるとするなら、残酷館はこの上なくそれに相応しいロケーションだとは思わないか?」
「…………」
わたしは今更この男のことを不謹慎だとは思わなかった。
城ヶ崎が一年中喪服を着ているのは、殺人事件が起きることを常に期待しているからに他ならない。
城ケ崎は行く先々で人が死ぬことを望んでいる。
――そして、それは城ヶ崎九郎に弟子入りして助手を務めるわたし、
「見えてきたぞ」
城ヶ崎が指差す方角に目をやると、森の中に突如として無骨な黒い洋館が現れた。
「……えッ!?」
それは殆ど唐突と言ってもいい。
先刻から何度も同じ道を通っていた筈なのに、あれ程までに巨大な建物に気づかないなどということが果たしてあり得るだろうか?
「到着したら、お前はこのまま車で事務所に戻れ」
わたしの心中を察したように、城ヶ崎がそんなことを言ってきた。
確かにわたしは残酷館にただならぬ気味の悪さを感じ始めていた。しかし、そう易々と引き下がるわけにもいかない。
わたしにも探偵助手としてのプライドがあるのだ。
「いえ先生、わたしも同行させて下さい」
「ダメだな。残酷館に招待されているのは生憎オレ一人だけだ。二人で押しかけるのはマナー違反だ。それにこれ以上吹雪が酷くなると、無事に帰れなくなるぞ」
「嫌です。ここで何が起こるのか、最後まで見届けるまで帰りません」
すると城ヶ崎は諦めたように大きく息を吐いた。
「やれやれ。ならばここから先は自己責任だ。自分の身は自分で守ること。それが最低条件だ」
わたしは無言で頷く。
「たとえ、何が起きたとしてもな」
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