紅の女騎士と白の王女 ーー二人の想いが結ばれたあとにーー
青木 赤緑
第1話 紅の騎士の誕生
異世界の牧草地に咲くアマリリスの精は、飛び去って行くドラゴンの後姿を、茫然と見ているしかなかった。
小さな花の身では、騎士の
アマリリスの精は思った。
私など踏みつけて、己を守ればよかったのに。
あの暴虐な竜は、これからまた数え切れぬほどの人を殺し、草木を焼き、生き物を屠ることだろう。
だからこそ、騎士の命は自分のそれとは比べ物にならないほど重くあってよいはずなのに。
しかしそうはしなかった騎士の気高さを悼み、アマリリスの精はただ泣いた。
王家の騎士団長の印である首飾りをつけたその騎士は、あと少しでドラゴンに止めをさせるはずだった。
しかし騎士は、瀕死のドラゴンが放った毒々しい色の火焔を、アマリリスの精を守るため、一身に浴びてしまったのだ。
騎士を守る聖なる鎧にわずかにひびが入った。
王家を守り続けてきた鎧の力が、瞬時弱まる。
しかし歴戦のドラゴンが、それを見逃すはずはなかった。
竜は残った力をふりしぼり、鋭い爪を鎧のひびに食い込ませるや、騎士の心臓をえぐり出した。
鎧は割れ四散し、むき出しになった騎士の胸からは鮮血が噴き出した。
アマリリスの花弁のような紅い血だった。
しかし不思議なことにその血は、固まることがなかった。それどころか、湧水のように騎士の心の臓からとめどなく流れ続けたのである。
ドラゴンが今を誰かに狙われてはならぬとばかりに、弱々しい羽ばたきで、北の地のさらに奥にあるという竜の隠れ家へと逃げ去ってからも、騎士の出血はとどまることはなかった。
一方、彼の死を悼むアマリリスの精の涙もまた、止まることはなかった。
そして一昼夜が過ぎた。
泣き明かしていたアマリリスの精の涙は、すでに一滴残らず枯れ果てていた。
一方、騎士の身体も魂も、すべては血となり流れ出て、残る
しかし流れ出た彼の血は、やはり依然として固まることはなく、亡きがらの周りには小さな池のような血だまりが出来ていた。
血だまりは、少しずつではあるが、静かに土へと吸い込まれて行く。それにつれ、
アマリリスの精は思った。
騎士はその聖なる力を、大地に返そうとしているのではないか。
このなんの変哲もない牧草地の土には、あの騎士の力がみなぎっているのではないか。
ならば私は、この血を
そしてその力を持って、憎き竜を切り裂き
だが、それだけでは済まさない。
北の地のさらに奥の竜の隠れ家に乗り込んで、一族郎党を根絶やしにしてくれよう。
それは穏やかな牧草地で、平和に咲いていたアマリリスの精がはじめていだいた、猛々しい怒りと憎しみの感情だった。
アマリリスの精は土中の根を精いっぱい伸ばし、騎士の血に触れようとした。
あと少し。
もう少しだけ。
そしてアマリリスの精の思いが大地に届いたのだろうか。
ついに土中で、アマリリスの根は騎士の血に触れることが出来た。
騎士の血が、根をつたいアマリリスの精へと流れ込んでくる。
小さなアマリリスの精の身に余るほどの力が、奔流のように根に茎に葉に、そして花弁へと伝わってくる。
瞬く間にアマリリスの身体は、その花弁だけでなく、根も茎も葉もすべてが鮮血のような
アマリリスの精は、過剰な力の流入に、自らの死を覚悟しながらも願った。
『私の命を、騎士さまに捧げます。
あの暴虐なるドラゴンは、街を焼き村を焼き山や草原を焼き、数え切れぬほどの無垢の人々や生き物を殺して来ました。
ずっと私をかわいがってくれた、この牧草地の
ですから騎士さま。
もう一度立ち上がり、今度こそあの憎き竜に正義の鉄槌を。
北の地のさらに奥の竜の巣に住むという、すべてのドラゴンに死を。
そしてこの地に平和をもたらし、人々をはじめ我ら全ての生きとし生けるものに、神が与える死までの、ほんのささやかな幸せが与えられますように。
それが叶う時まで、どうかこの小さな花に、あなた様のお力を与えてください』
そしてアマリリスの精は、そのまま気を失った。
それから百日と百夜が過ぎたころ、その場所にすでにアマリリスの花はなく、その代わりに鮮血で染まったかのような紅い甲冑に身を包んだ、一人の女騎士が立っていた。
女騎士はつぶやいた。
「私は……誰だ?」
彼女には記憶というものがなかった。
まるで、今この場に生まれた赤子のように。
しかしその時、騎士との戦いでの痛手から復活したドラゴンが、遠くの空で、その真下にある村を焼き払っているのが見えた。
一目で紅い騎士は悟った。
「私には、私がいつ生まれ、どうやって生きて来て、なぜここにいるのかはわからぬ。だがはっきりとわかることがある」
紅い騎士は燃えるような目で遠くの空を、傍若無人に飛ぶドラゴンを
「私は、あの竜を
騎士は、さらに言葉を重ねた。
「それだけではない。またあのように竜が復活を果たさぬよう、北の地の奥にあるという、竜の巣に乗り込み、一族郎党を根絶やしにせねばならない」
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