黒になる

へいたろう

第1話 前編~



 この世界の人間は区別できる。


 数年前から爆発的に広がった『白花黒花病バイオタキシス症候群』は、

 今やかかっていない人間がいないくらい当たり前な物となった。


 その病は『ポジティブ思考』や物事をあまり深く考えない人間の頭に『白色の花』を咲かせ。

 その病は『ネガティブ思考』や物事を深く考える人間の頭に『黒色の花』を咲かせると言う。

 まるで小説の世界の様な、ファンタジーな病気だった。

 原因は未だに不明だし。

 分かっていないことが大半だけど。


 病は爆発的な広がりにより、ある意味それは人の体の一部になった。


 僕はもちろん、白い花だ。

 一本の緑の茎に花びらを四枚つけている植物は、いつも僕の頭からぽつりと生えている。

 触っても何も感じない。引っ張っても抜けやしない。

 そんな奇妙な物が、鏡に映った自分と一緒に揺れていた。


 僕は自分が白い花を持っていることをある意味誇りに思っている。


 白い花はすなわち、ポジティブ思考の証明。

 持っているだけで。

 ある意味いい人間なのだ。


 だから僕は今日も、


「おいナツ!! 俺の昼飯も買ってきてくれよ」


 ポジティブに生きるんだ。


「うん!! 分かったよ!!」



――――。



 高校のクラスは白-1組だった。

 青空を飛んでいる鳥は暖かい風を自由に泳ぎ、校舎を見下ろす様に屋上へ足を付ける。

 その鳥の足元に教室があって、四階の一番端の部屋が僕のクラスだった。


 このクラスには白色の花を持っている人間が集められていた。


 黒い花を持つ人間と、白い花を持つ人間。

 同じ人間だけど、もちろん考え方や価値観はまるで違う。

 だから区別される。

 争いを起こさないようにだ。


「これでよかったかな?」


 と僕は買ってきたパンを袋から取り出し、目の前の男子に差し出す。

 すると男子は僕を見て、眉間にしわを寄せて。


「あー? 声がちいせぇぞナツ」

「こ、これでよかったかな!!」


 この時間のクラスは騒がしい。

 なんせお昼休憩だからだ。

 色んな人物が席を移動し、友達と夕食を過ごす。

 まるで青春を写し取ったような教室だったけど、みんなの頭には白い花が揺れていた。


「え? 明太子パンって。お前俺の好み分かってねぇな」


 そう僕の机に足を乗せながら、カースト上位の男子は唾を吐く。

 どうやら僕は彼の癪に振れてしまったらしい。


「ごめん。好みを教えて貰えれば、次はそうするよ!!」

「ん、とりまよこせ」


 僕の自腹の明太子パンを乱暴に奪った彼は、袋を開けて、握りつぶしそうな握力のままパンの匂いを嗅ぐ。


「うぇ」


 彼の右手は脱力し、パンを、床に捨てた。


「今度からはカレーパンにしてくれ、分かったなナツ」


 彼はまるでパンを作ってくれているおばあさんに何の罪悪感のないように、頭の白い花を揺らしながら冷たく言った。

 僕はその捨てられたパンを見て。

 すぐにそのパンを僕は拾って、


「分かったよ!」


 そうだね。次があるから大丈夫だ。

 次にこの間違いを活かせばいい。次に同じ間違いを犯さないようにすればいい。


 次こそは捨てられないように、がんばるぞ~。


「駅まで鞄持ってくんね?」


 そうだね。そのくらいやらなきゃ、友達じゃないよね。


「ねえナツ~ウチのマニキュアここらへんで落としたからさ、探しといてくんない?」


 そうだね。落としやすいもんね。

 前はここら辺だったけど、どうやら今回は違うらしいし。

 きっと彼女も、ミスを次に活かそうとしているだろうし。

 僕も次に活かして頑張ろう!


「ナツ、むしゃくしゃするから殴らせろ」

「………」


 そうだね。次があるから大丈夫だ。

 次こそは殴られないように、がんばるぞ~。









「………」


 これが僕。

 懐村(なつむら)ナツ。

 高校一年生だ。


 人通りの少ない河川敷で、片方のほっぺを赤く染め夕日の光が届かない線路下で息を吐く。

 上の橋で電車が通過して、下にその振動が伝わってくる。


「――――」


 こんな惨めな気持ちは毎日感じている。

 でも僕は、それでも僕は、白い花でいなきゃいけない理由があった。


「次がある。うん、あるんだから」


 頑張ろう。明日も。

 この日々を少しでも変えるために、努力しよう。

 努力……っ。


「オエェ」


 もうそろそろ、嫌いになりそうだ。


 努力と言う言葉が。


 僕が惨めで、僕が耐える。

 でも耐えなきゃ、僕は黒になってしまう。

 黒になったら、今の教室からも変わり黒いクラスへ行かされる。

 もう入学から半年経ってるんだから、馴染めるわけない。

 そう、中学もそうだった。馴染めないんだ。

 だから白でいなきゃ。

 だから、白でいなきゃいけないんだ。


 あ……。


「駄目だ、ポジティブに」


 今日はいい天気だなぁ。

 今日も学校疲れたし、早く帰って、ご飯を作って、課題して、寝て。

 また明日も学校行かなきゃなぁ。


「大丈夫ですか?」

「え」


 思わず小さな声が飛び出す。

 唐突に、上の電車と共に吹き抜けて来た言葉は、恐らく半年ぶりに聞く単語で。

 僕はいつの間にか両手を地面に付いていたから、僕は自分の重い顔を上げた。


「気分が悪いなら病院に」


 黒いワンピースが夕日に照らされて、鞄についているストラップが音を立てる。

 視線を上に流していくとだんだん見えてきたのは、いや、逆光のせいでよく見えなかったけど。

 黒いショートカットで、耳にピアスをしている。

 美女だった。


 見惚れるとはこのことなのだろう。

 男でも女でも、美形の人間は目の保養だと昔父が冗談めかしく言っていたけど。

 その理由が何となく分かった。

 実際僕は、きもいけど、9秒くらい見惚れてしまったからだ。


「じろじろ見すぎですよ」

「え、あっ! す、すみません」


 思わず僕は飛び上がり、すぐに視線を逸らす。

 さ、流石に気持ち悪かったのだろう。それもそうだろう。

 ああ、なんてことを。


「で、体調は大丈夫なんですか? さっき、川に吐いてたから」

「えっ、あ、ああ。大丈夫、だと思います。ただ酔っただけなので」

「電車酔い?」

「おそらく」


 そっか、河川敷の堤防を登れば、駅がすぐそこにあるんだった。

 確かにそれなら電車酔いと間違われても仕方がない。のかな。

 まあいいか。

 それの方が都合がいいし。


「酔い止めがあるので使いますか? 私も電車苦手で」

「そうなんですね。じゃあ、お言葉に甘え――」


 僕が受け取ろうと立ち上がった時、今まで見えなかったそれが視界に飛び込んできた。

 ユサッと音を出し、僕と僕の白い花は立ち上がると同時に。

 僕は彼女の頭の物を、見てしまったのだ。


「……ろ」

「この酔い止めで楽になってくれればいいんですけど」


 彼女の頭に揺れていたのは、紛れもない黒の花だった。


「……ありがとうございます。すみません、用事があるので僕はこれで帰りますね」


 思わず思考が停止したけど、また動かなくなる前に理性が働いた。

 その理性は呪いのように、僕は彼女とすぐさま離れた方がいい耳打ちしてくる。

 だから僕は酔い止めを少し乱暴に受け取り。


「さようなら」


 とくに彼女の言葉を待たずに、僕は彼女を追い越して、堤防を登った。


 登ってから気が付いたけど。

 多分さっきまで、暗い場所にいたからだろうけど。

 やけに背中を夕日に差されているような気がして、心に圧迫感を感じて。


 とんでもなく心が重くなったのを感じた。



――――。



「――なる」



 僕がどうしてここまで白い花であることを意識しているか。

 始まりは遡る事三年前。

 中学に上がる頃だった。


 春風が気持ちよく、これから始まる新世界に希望を抱いている時。

 飛び交う桜の花びらが届けてきたのは、新しい世界の門出と、カッコイイ黒の制服と、


「………え?」


 父親の事故死だった。


 居眠り運転をしてしまったトラックが、青信号を突っ切り父を轢いた。

 即死だったらしい。


 父は『黒い花』を持っている人物だった。

 母は『白い花』を持っている人物だった。


 珍しいカップルであり。

 白と黒は基本的に相性が悪いとされているのに、僕の両親は結ばれ、子供を作った。

 大きな段差がある土地で、気を抜くと坂から転がり落ちそうな道路の前に一軒家を構え。

 僕ら家族は暮らしていた。


 母と父は仲が良かった。

 時々喧嘩をしたりしていたけど、必ずすぐ仲直りをするくらい。仲が良かった。

 母は明るく、父は髭を蓄えやつれた顔をしていたのを覚えてるけど。

 もう随分時間が経ったから、父の顔を鮮明には思い出せない。


 でも、いい父親だった。

 じゃなきゃ死んだとき、僕はあんなに号泣はしなかっただろうから。


 父が死んだとき。

 母は少しメンタルがおかしくなった。

 白い花の癖に、母はどこか、落ち込んでいる時の父に似ていた気がする。


 母は言った。


「あなたは、ポジティブに生きなさい。黒くなっちゃダメよ。常に次に活かそうと努力しなさい」


 そう、母は父を否定するようなことを譫言(うわごと)の様に発していた。

 正直に言ってその当時の母は気味が悪かった。

 でもまるでその言葉が。

 トンカチで強く釘を打た様に、言葉は僕に突き刺さった。


 丁度その時から、やっと白と黒でクラスを分けるようにと制度が変わり。

 僕の中学生活は、最悪なスタートを切った。


 黒くなっちゃダメだと言う焦燥感は最初こそ小さかった。

 でもお見舞いに行くたびにそう言ってくる母は、

 さながら孫はまだかと帰省するたびに言ってくる姑のようだった。

 徐々に嫌になっていって、でもそう考えると白が染まってしまうと思ったから。

 僕はいつの間にか、母の言葉を受け入れていた。


 それでも、どれだけ母の状態が悪くても僕はお見舞いに行った。

 まだ忘れられなかったからだ。

 あの一軒家に暮らしていた時の事を。



 すっかり日が落ち、まだ蒸し暑い道を歩いた。

 向かった先は僕の住処のであるアパートで、僕は一人暮らしをしていた。

 母は現在、精神病院で過ごしている。

 僕は街の役所から色々と気をつかってもらい。

 今はここで暮らさせてもらっている。


「明日はゴミの日か」


 荷物をソファーに投げて、制服のままキッチンに立ちゴミの整理をする。

 そう言えば今日捨てられたパン、学校の鞄の中に入っていたんだった。


「いらないなら握りつぶして落とさなくてもいいのに。僕が変わりに食べたんだけどなぁ」


 流石に床に落ちた物を食べるわけにいかなかったから。

 僕は鞄から出したパンの残骸を明日出すゴミ袋に入れた。


「あ」


 すると鞄からポトッと落ちて来た物があった。


「これは……」


 床にあったのは、河川敷で黒い美少女から貰った、酔い止めだった。

 その存在を見てまた焦燥感を感じた


「僕、箱ごと奪っちゃったのか」


 最悪だ。

 こればかりは流石に擁護できない。

 彼女も電車酔いすると言っていたのに、僕は酔い止めを彼女から奪っていた。

 なんて事だろうか。

 謝りたい。


「――――」


 でも会う資格はない筈だ。

 だって僕は、彼女の善意を踏みにじったからだ。

 例えポジティブ思考に生きようと思っても、こればかりは自分でも擁護できなかった。

 もしかしたら酔い止めは、彼女にとって生命線だったかもしれないのに。

 僕はそれを一方的な感情で奪ってしまったのだ。


 穴があれば入りたい。存在を消せるなら消したいと思ってしまった。


 ――あ、黒に成る。


「次に会った時に返せばいい。次に会った時に謝ればいい。次に会った時に話せば、いい。次に会った時にお礼を言えば……言えば」


 無意識にゴミ袋を強く握る。

 反射的に何も持っていなかった手を床に振り下ろす。

 途端に気持ち悪くなって、腹の底が凍えたように冷たくなって。

 嫌な汗が垂れてきて。


「次ってなんだよ……っ!」


 黒く成る、黒く成る。黒に成る。黒と成る。

 白にならなきゃ。


 咄嗟に僕は落ちていた酔い止めに手を伸ばした。

 箱の中からゆっくり取り出した袋を開けて、中の錠剤を水もなしに口に放り込んだ。


 ……なぜかそんな時間も経たないうちに、楽になった。



――――。



 学校はいい場所!!

 今日も僕は登校して、作り笑いをしている先生の横を通り。

 校門の中に足を踏み入れる。


 少しずつ暑さも消えて来て、もうそろそろ肌寒くなりそうで。

 季節の変わり目だから。体調を崩さないようにしなきゃなと。

 今日は珍しく朝早くから登校しています。

 何故なら今日は、日直の日だからです。


 朝早く教室へ行き、職員室でクラス手帳を貰って、そして今日一日のクラスの様子を書かなきゃいけない。

 そんな仕事です。

 だから僕は今日、早めに学校に来ています。


 僕の教室は四階にあり。一番隅っこにあります。

 白-1組が僕の教室です。

 僕は教室に入ろうと入口に手をかけました。


「中々うまくいかないもんだよねぇ~」


 クラスの中でクラスメイトが会話していました。

 確か彼らは、ここら辺に家があって、近いからという理由でこの高校に来た人たち。

 だから朝早くから教室にいるのですね。

 勤勉です。


「白花を黒花に無理やり染めんの、もうそろそろ飽きてきちゃったなぁ」


 ん?


「でも手ごたえあるぜ? もう少しで俺らノーベル賞っしょ」

「この病気自体まだまだ分かんないことが多いんだから、これで成功したら、もしかしたら世紀の大発見だったり?」

「あっるー!! うちら新聞に載ったらさ、お金とか貰えるんかな?」

「そりゃもうたんまりと貰えるでしょ、だって」



「無理やり花の色変えれるのが証明されれば、きっと世界も平和になるだろうし!!」




 何を言っているのだろうか。




 僕には理解できなかった。


 血の気が引くとは、このことなんだろうか。


 目の前が見えなくなって、視界が霞んで。


 僕はただ、腹の底から湧いて来たその感情を噛みしめる事しかできなくて。


 その感情に名前を付けるなら。


 憤怒だった。




 ――あぁ、黒に成る。




――――。



 クラスメイトは数日後には転校していた。

 僕自体もだったし、他のクラスメイトが証人になってくれて。

 いじめの事実は明るみになった。

 知っていて黙っていた先生は早いうちに学校から消えて、

 もう何度見たか分からない校長先生の土下座も見飽きた頃。


 僕はクラス変更を言い渡された。


 黒-1組に。




 精神的疲労が見られるのでと、精神病院からの進言により、僕は一定期間、学校を自由に休んでいい事になった。

 と言っても、家にいてやることも無いから。

 僕は適当に街を散歩していた。


「――――」


 黒い花になったからと言って、何か精神的な変化は無かった。

 強いて言うなら、解放されたって感じだ。

 今まで我慢を続けて来たから。

 その解放感で一日中は笑って過ごせた。

 でも笑えたのは一日だけで、すぐに僕は笑えなくなった。

 でも不思議と、本当に不快感がない。

 これが本来の自分だと思えるくらい。体が軽く思えた。


 街を散策した。

 初めて知ったけど、この時間に外で出歩いている人は、黒い花の人が多かった。

 僕がいつも学校に行くために外に出るときは、白と黒の割合は五分五分くらいなのに。

 不思議と、この時間に歩いている人は、みんな黒色だった。


 公園に入った。

 遊具で遊んだ。

 駅の前を歩いた。

 河川敷まで歩いた。


 私服で歩く外は、制服の時より少し違ったものに感じた。


 河川敷のあの場所を見て。僕は少し後ろめたい気持ちになった。

 あの黒い花の人は、何をしているのだろうか。

 酔い止めを奪ってしまったのを謝りたい。

 昔の白い僕なら、そうは思わなかったのかもしれないけど。

 黒く成った僕なら言える気がした。

 会おうと思えた。


 でももちろん、物事は上手くはいかない。


 そこに来たからと言ってあの人に会えるわけでもなく、僕はそのまま家に帰った。


 一応、捨てずにとってある。あの酔い止めを。

 捨てられるわけがなかった。

 人の善意を。



「あ」

「え?」


 河川敷から帰ろうし、横断歩道を渡り、駅の前を通った瞬間。

 僕は思わず、「あ」と驚いてしまった。

 何故ならそこには。


「あの時の!」

「え、あれ? ……あ! あの河川敷に居た少年か!!」


 疲れたような顔をしており。

 黒いコートに白いシャツを着ており黒い帽子にマスクをしていたけど、両耳に銀色のピアスで誰か判断できた。


 そう、あの酔い止めをくれた女性が今目の前に立っていたのだ。

 僕は驚きながらもすぐに持っていた手提げ袋を開いて、

 中からずっと渡そうとしていた物を取り出した。


「あ、あの時焦っていて。箱ごと奪ってしまい、本当にごめんなさい!!」


 僕は飛びこむ様に頭を下げると共に、思ったより大きな声でそう叫んでしまっていた。


「いいよいいよ! 私も好きであげたんだし、それで酔いが醒めたならね私も善行を積んだって訳だし」


 マスク越しでも分かる笑顔でそう諭してくれる。

 でも僕はあの時の無礼を含め、まだ頭を上げるわけには行かなかった。


「お、おーい」

「………」

「少年―!?」

「…………」

「おねがいだから頭上げて!! 場所かえよ!! 人目がっ!」

「えっ、あっ!」


 周囲の視線が痛い事に気づかず、僕はどうやら、彼女に恥をかかせてしまったらしい。

 本当にごめんなさい。



――――。

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