第10話・エデン

 この頃の人類にとって、雌性というのは尊かった。女神信仰は全国各地に存在する。日本も、女神である天照大神が最高神である。

 よってその尊い女神とされる、ウカに隠され。神格化されたエヴァにも同様に、隠されたのである。サピエンス最初の浅ましい嫉妬は。

 とはいえ、原初より現代まで雌性というものは敏いのである。


「アダム! 貴方なにか隠してるでしょ!?」


 と、エヴァは詰め寄るが、宇迦之御魂うかのみたまは逆に考え込んだ。


「あんたが隠すのは私たちのためかい?」


 エヴァに詰め寄られてアダムが困った顔をしたから、そのように思った。


「……」


 アダムは答えられない。二人を尊敬しているからこそ、二人に対しても及んでしまう侮蔑を告げられないのである。


「はぁ……馬鹿だね! 少なくとも私に言わないのは大馬鹿さ。あんたの今の状況を作っちまったのは私だ。それは本当にすまないと思ってるんだ。でも、言ってくれなきゃ手を貸せない。なんでも知っててなんでもできるなんていううんじゃないんだ」


 とても長く生きているから少しだけものを知っている。そして、少し力も強いから多少の肉体労働を代わってやれる。あとは、頭が柔らかいままだから、一緒に考えてやることができる。宇迦之御魂は、自分をその程度の存在と思っていた。


「アダム、貴方は賢くて強い。そんなあなたに並ぶためなら、私はいくらでも働きたい。それでも、貴方は言ってくれないの?」


 少なくとも、エヴァと宇迦之御魂うかのみたまは、アダムの絶対の味方である。たとえ失望したとしても、二人だけはアダムを必ず見捨てない。

 そんな時、宇迦之御魂うかのみたまの耳に息を切らせて走る音が聞こえた。


「少し待ってな。あんたにはどうやら、もう一人味方がいるみたいだ」


 それは、間違いなくアダムと呼びながら探し回っていたのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 宇迦之御魂うかのみたまは、探し回っていた男。いつだかの、芋強奪男を連れてアダムの前に戻った。


「アダム! 探してた! アダム! お前は、働いている! 誰よりも! 若いの! 間違えた! よそ者! 頭悪い! 俺だけ庇う! おかしい!」


 それだけ聞いて、宇迦之御魂うかのみたまにはおおかたのことが予想できた。


「エヴァ、アダムはだいぶ辛い思いをしてるみたいだ。それでもきくか?」


 宇迦之御魂うかのみたまはエヴァに尋ねる。


「うん!」


 エヴァは強くうなづいた。エヴァにとって最大の偉人にして、最愛の人。その苦悩をどうして見逃すことができようか。そんな思いである。


「分かった。もう、隠せないみたいだし。俺さ、ほら三人で考えた洞窟を広げる道具。それを作れる人を増やそうっていうウカの言うとおりにしたんだ。それがさ、言葉だけで食べ物をもらっているって言われたんだよ……」


 洞窟を広げる道具とは、屋根のことである。アダムは、この原始時代に建設の現場監督のような仕事をしていたのだ。


「それは……。本当にすまなかった」


 宇迦之御魂うかのみたまはアダムの言葉を一瞬だけ曲解してしまった。


「いや違う! 少なくとも、それがどうなるのかわかってる! 作れる者が増えて、毎日洞窟が大きくなる勢いが増してるんだ! すごいことなんだって、わかってる! ウカが言ってくれたことは、正しかったんだ!」


 技術の伝承、それは間違いなく正しいのだとアダムは理解していた。


「そうだよ! ウカが間違ったこというわけ無い!」


 エヴァはそれに同調した。

 この二人の言葉によって、宇迦之御魂うかのみたまは曲解を正した。


「あぁ、でも、間違いだった。教えすぎた、考えすぎた。あんたたちは、今を生きる人々の中で未来ばかりを見ている。あんたが口を出して、洞窟を広げられる人が増える。それで楽になるのは、数ヵ月後だろうね。私は生きるのに苦労したことなんて一度もない。だからだね、未来ばかり考えるのをあんたたちに教えてしまった。本当にすまない」


 技師の育成は一日にしてならずだ。今日を生きるのに必死な群れから来た人々では、明日の怠惰は絵空事なのだ。ましてや、農業は一年後の怠惰だ。人間が30年と少し程しか生きない時代にはあまりに先進的すぎた。

 人間の思考的視野には限界がある。それは死だ。死のほんの一寸先までしか人間は考えられない。ここのいる者ばかりが、死が遠退くのを実感している。あまりに一気に遠のくから、まるで不老不死になった気分になっているのだ。だから彼らは、百年でも二百年でも生きていける気になった。


「間違い! 違う! 絶対!」


 芋強奪男の語彙にそれを説明する言葉はなかった。ただ、宇迦之御魂うかのみたまの否定に対する拒絶の感情だけが有り、それを叫んだ。


「そうだウカ! 私たち旅に出られない!? ウカにいろいろ教えてもらって、未来ばっかり見ちゃう変な人になっちゃったから! だからさ、もっと美味しいものたくさんあるんでしょ!? そこに連れて行ってよ! それでさ、戻ってくるの! 美味しいものたくさんもって! いろんなことを勉強して!」


 エヴァは言った。希望に目をキラキラと輝かせながら。

 アダムもエヴァも決してサピエンス種を見捨てたわけではない。見捨てるような人物だったら、技師の育成などするはずもない。


「いや、そんなことしたら……」


 宇迦之御魂うかのみたまは、そうすればきっとこの地のサピエンスは滅びるだろうと思った。宇迦之御魂うかのみたまは、芋強奪男を侮っていたのである。


「行け! 俺、道具、作り方、教える!」


 芋強奪男は、アダムの瞳から旅への憧憬を感じた。


「でも……」


 アダムはそれでも、残らなくてはと言う思いがあった。


「行け! 自由なれ!」


 芋強奪男は、絶対に譲ってやらないと、強い瞳でアダムを見た。彼はアダムのやりたいことを、全力で応援したかったのである。


「ねえウカ! この人に名前くれない?」


 エヴァは言う。自分たちが旅に出るのであれば、この地にも権威が必要だと思ったのだ。


「私でいいのかい? 間違えた、馬鹿だよ?」


 と、宇迦之御魂うかのみたまは困った顔をした。だが、男は言った。


「違う! 英雄!」


 宇迦之御魂うかのみたまは英雄であると。否、その言葉にはアダムとエヴァも含まれていた。我が群れの英雄アダムとエヴァ。種の違う、英雄を助けた全能なる賢者ウカ。そのように思っていたのだ。


「……ッ。あんた、本当にいいやつだ! よし決めた、あんたはジル。いや、濁してズールーだ。良き男だ!」


 宇迦之御魂うかのみたまによって、名付けられた彼こそがズールー族の始祖である。

 去ったカメレオンは、この三人のこと。アダム、エヴァ、宇迦之御魂うかのみたまの暗喩である。

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