24/並んで棒立ち





 夏の暑さは通り過ぎて、秋の涼しさも風に吹かれた。

 明るく色付いた葉は役目を終えたように散っては落ちていく。


 窓から見える木々はやせ細って枯れ木の模様。


 早くも朝の気温が十度前後を示しはじめた冬目前。


 肇と渚は、それでも変わらず塾の自習室で二人きりの時間を過ごしていた。


「…………、」

「…………、」

「……………………、」

「……………………、」


 ……とは言っても、そう期待するような関係ではない。


 暦の上では十一月。


 二学期の目玉行事を二つとも終えて、あとは細々としてイベント事も済ませて。

 大体の学校生活が落ち着いてくればやる事などひとつに絞られる。


 すなわち勉強。


 建前上は学生の本分であるそれに力を入れるのは言うまでもなく進学のため。

 両者ともに目指すところは同じだ。


 難関の高校入試を前にして、ペンを走らせる手は滞りない。


「――――、」

「…………、」


 カリカリと淀みないリズムで音が刻まれていく。


 優秀とまではいかないが、実直な努力は最近実を結びがち。

 肇の成績はいまのところガンガンと上がっている。


 渚と出会った当初はてんで駄目だった数学もそれなりに解け出した。

 この分だと本当に、一年かけた時間はもしかするともしかするかもしれない。


 そんな己の学力の成長っぷりがちゃんと分かるのは大きな成果だ。


(手応えがあるのって良いな、やっぱり)


 芸術方面ではからっきしだったその感覚に肇は胸中でほころぶ。


 筆を握るのは嫌いじゃないが、昔ほど熱が有り余っているワケでもない今は人並み。

 描きたいモノがないワケじゃないけれど、全身全霊の全力をかけても良いぐらいに描きたいかと言えば――それより大事なコトもあるんじゃないかな、というぐらいで。


 まあ、過去からして下手の横好き。

 やるとしても趣味程度で、というのが本音だ。


(狂ったように描いてたけど、なってから全然だもんな。完璧に糸が切れてる。実際、それで構わないんだろうけど)


 良いものを見たらその熱で一瞬繋がりはするが、一度切れたものは仕方ない。

 耐久度も持久力も性質ですら残っているのは微かなもの。


 試しにこの前、少しやる気を出して描いてみたものだって全然進歩もなにもない有様だった。


 長年のブランクで腕が落ちていなかったコトだけが救いか。


 まあそもそも、元からない腕に落ちるもなにもないのだが。


(楽しいのは楽しかったけど、あれだ。費用対効果というか……かけた時間に対する満足感が足りないのはどうもね……せいぜい暇潰しが関の山かなぁ)


 あ、この問題この前教えてもらったとこだ、と問題集を解く一般無自覚絵師。


 ちなみに完成品はクラスメートの美術部女子にあげたのだが、なんと泣いて喜ばれた。

 それどころか五体投地の姿勢で「ありがとうございます家宝にします!」と教室の中心で感謝を叫ばれた。


 大して価値もないズブの素人が描いた代物とはいえそこまで言われると肇も嬉しい。


 売りに出しても金額はつかないだろうし、本職の部員でもあるのだからおそらく大事にしてくれるだろう。


(……まあ、それで思い出したコトもあるし、収穫はゼロじゃなかったんだけど……)


 久々に掘り返した彼自身の遠い記憶。


 幸せに満ち溢れた人生のなかで、きらりと光る砂粒みたいな未練があった。


 最後の最後、眠る前に描いていた間際の作品だ。


 それだけはあとちょっとというところでお迎えが来てしまったので未完のまま。

 時間があったらいつかこっちで完成させてあげたいな、と思う親心……もとい画家心である。


 クオリティに難はあれ生み出した絵画かいがはみんな子供同然なので。


(いや一枚も売れなかった奴がなに言ってるんだって話なんだけど)


 自嘲するように内心でくすくす笑いながら勉強に励む。

 才能の無さだって結果の付いて来なさだって悲観するものではない。


 なんであれ過ぎたコト。


 大事な思い出になっているのなら気落ちする要素などなかった。


 そういうものがあったコトは、幸せで変わりようもない事実なのだから。




「――よし、一旦休憩!」

「……ん、私もちょっと一休み」


 それからしばらくして、ふたりでほうと息を吐く。


 彼女は机にべたっと顔をうずめるよう突っ伏して。

 彼は背もたれに体重を預けながら、ぐぐっと伸びなんかしてみた。


 ぱきぱきと、どこかしら分からない骨の鳴る音がする。


 座ってばかりが身体に悪いのは年若い彼らだって同じコト。

 エコノミークラス症候群なんてその代表的な例だ。


「んー……っ、肩でも凝ってるのかな? やっぱり」

「……最近、多いみたいだよ。私たちぐらいの歳でも」

「そうなの? あれかな、みんな何だかんだで勉強してるからかな」

「それは、そうだろうけど……詳しくは私もあんまり……」

「へぇ、そっか」


 なんでもないように肇が頷く。

 大して躍起になるワケでもない世間話。


 落ち着いたやり取りはいつも通りの彼と、いつも通りを必死で装えるようになった彼女の努力の賜物だった。

 というのも、人間一度強すぎる刺激を浴びれば慣れるというもの。


 西中文化祭の執事服で乙女心を粉々に叩き砕かれた少女は、そんじょそこらのかれでは取り乱さないぐらいになっている。


 いつまでだって恋に振り回される軟弱なお姫さまとは違うのだ。


「……ねぇ、水桶くん」

「ん、なに」


 気の抜けた返事は言ったとおり休んでいる途中だからか。

 ペンを放った肇は手首を回したり首を傾けたりと軽く身体を動かしている。


 それは別におかしくもなんともない日常の風景だ。

 新鮮味もなければとくに指摘することでもない。


 ただひとつ、微かに鼻をついたそれに彼女が気付かなければ。


「……絵、描いてるの?」

「? なんで?」

「いや……ちょっと絵の具の匂い、して……」

「……あー……優希之さん、苦手だったっけ。……ごめんね?」

「や……別にその、謝らなくても……」


 目を伏せながら、渚は唇をきゅっと噛み締める。


 口に出すまでもなく引き金はこうも簡単に。

 どこか重なる部分の多い少年は、それこそ特有の香りをまとってしまえば余計にだ。


 何度も味わったいまの光景が過去の傷を抉る感覚。


 懐かしい雰囲気と懐かしい匂い。


 彼と弟は別物だと分かりきっているのに、未だ切り離せない未熟さに嫌気がさす。


「――――……あんまり、描かないんじゃなかった……?」


 震える指を握り込みながら渚は口を開いた。

 沈む心を釣り上げるように、なるべく声のトーンを維持しつつ話を振る。


「うん、そうなんだけど。この前、少しだけね。気が向いて描いてみた」

「……そっか。……上手く、描けた……?」

「まさか、全然。我ながら才能ないなーって。下手くそだもん、俺」

「……? 賞とか取ってるんじゃ……?」

「あはは……中学生レベルではね……」


 そうなんだ、と胸を掴むように手を握る少女。


 やっぱり似通っているのはその空気だけのよう。


 なにせ弟は超の付くレベルで技術と素質に溢れていた。

 天才というのならああいうのを言うのだろう。


 少なくとも彼の実力があれば下手だなんて間違っても思えない。


 ――けれど、


 そしてはしっかりだ。

 以前までの渚なら深くまで沈んでいただろう話も、こうして頑張れば乗り切れる。


「……機会があれば見てみたいな、水桶くんの絵」

「本当にいうほど上手じゃないよ……? あんまり期待しないでね」

「…………うん、期待しておくね……っ」


 えぇー……なんて困った表情をする肇を前に、渚がくすりと小さく微笑む。

 蕾がわずかに花開くようなほんのちょっぴりだけの笑顔。


 その表情は曖昧だ。

 苦みが浮き出ているようでもあるし、ちゃんと笑えているようでもある。


 どこか複雑な視線は肇自身も渚から何度か受けていた。


 だから気付かないワケではなかったし。

 理由は分からないけど、時たま彼女のどこかを刺激しているのは密かな疑問だった。


「――――――、」

「…………、」


 仄かに眉尻を下げる渚は、それでも暗さは洩らさない。


 彼女はそっと触れるように。

 掴めば痛む、握れば刺さる針山じみた思い出きおくに手をかけている。


 今はないものを懐かしむ純粋な心の揺れ動き。

 それは余裕のない少女では成し得なかった進歩の表れだ。


 後悔も苦しみも傷の重みも消えていないけれど。


 そこにたしかな幸せがあったのだと噛み締めるぐらいはできた。


(……誰に言っても伝わらないような、奇妙な話だけど――)


 胸に抱えたオマケの秘密はおかしな事情だ。



 ――実は私には前世の記憶があります。

 ――そしてこの世界がゲームだった知識が残っています。

 ――そしてそして、なんとわたしはそのゲームの主人公だったのです。



 ……なんて、普通に考えて馬鹿らしいにも程がある。


 言ったところでなんだそれはという話だし、彼女自身その秘密を誰彼かまわず言うつもりもない。

 最悪お墓の中にまで持っていく所存だ。


(……あぁ、いやでも……そうだね……――)


 それこそいつか、一生を共にする人なんか出来たとき。


 たったひとり。


 この人の傍でずっと一緒にいたいと思えた相手だれかに、さらっとバラすぐらいがちょうどいい。


 たぶん、絶対信じてもらえないだろうけど。

 一世一代の告白が、実はこの世界のコトを生まれる前から知ってました――なんてのは冗談っぽくて最高だ。


 なにぶん、ロマンチックさには欠けるけれど。


(……そのときは、どんな反応されるかな――――)


 そう思って。


 ふと、浮かんできた誰かさんおとなりの顔に思考がピッと固まった。


「――――……っ」


 いや、仕方ない。

 その連想は分からなくもない。


 渚だって自覚している。


 だから仕方ない、ほんとしょうがないコトだ。

 そんなに慌てる要素でもない。


 ――ないのだが、意識した瞬間に心臓が感情エモ銀河の土星あたりまで飛んでいった。


 優希之渚、紅顔は紅顔でもちょっと赤すぎる模様。


(ま、待って。待って、待って……っ、よ、よくよく考えて、みたら――)


 例えば、その、可能性として。


 この想いが奇跡的に届いて、ありえないコトに叶って、そういう関係になったら。


 つまりふたりは一緒になって、傍にいて、共に歩いて、をしたりするのかと――――


(――――みなおけ、くん、と?)


 瞬間。

 彼女の脳内には桃色旋風が吹き荒れた。


「はぅぉっ……!!」

「ど、どうしたの優希之さん……」

「な、なんでも……っ、ちょっと、……そ、そそ、その、自傷、ダメージっ……!」

「? ??」


 呼吸を整えながら渚は心配そうにこちらを窺う肇を制止する。


 心拍数、異常アリ。

 呼吸、脈拍ともに異常アリ。

 思考回路、大々的に異常アリ。


 身体中に張り巡らされた緊急事態を告げる赤ランプが回りだす。

 空耳かなにか、渚は内側から響く「ウ~!」というサイレンを聞いた気がした。


 かなりやられている。


 やはり手遅れだった。


(と、というか、そのぐらい、で……っ、わ、私はこれでも一度成人を迎えた、精神年齢だけは高いてんせ――――)


 さて、遠い昔の記憶では二十五年。

 いまに命を繋げた意識と身体では十五年。


 合計四十年あまりの人生経験をしてきただが、その間に夢っぽいピンクっぽい男女っぽいそれがあったかどうか。


 もちろんない。

 驚くほどない。

 雀の涙ほども、道端の小石ほどもない。


 言い方は悪いが、完膚なきまでの喪女である。


 ガンッ、と今さらすぎる金槌が渚の側頭部に叩きつけられた。


(――――私そういう経験一度もない……っ!? え、嘘、これ……もしかしてけっこう、やばい、の……!?)


「…………?」


 優希之さん大丈夫かな、と心配そうに見守る肇をよそにわなわなと震える主人公ヒロイン


 知りもしないし嬉しくもないだろう共通点だが。


 この姉弟、肝心なところで前世の知識がちっとも役に立たない。

 そういう呪いにでもかかっているのではないかというレベルである。


 肇はもちろん今現在必死で仕上げている学力方面で。

 渚は当然この瞬間にも胸を占める複雑怪奇な心情で。


(……っ、いやでも、そうなると決まったワケじゃないし……っ、わ、私が、あの、その、相手とも、限らないワケで……っ)


 その想像をした瞬間になんかすっごいモヤッとしたものを感じた渚だったが、いまはあえて無視した。

 触れたら多分余計酷くなると直感して。


(……いちおう、優希之渚このたちばには……決まった相手も、いて……)


 少なからず、それらしい役目もある。


 彼女だけが事前に知り得ているたしかな筋道。

 それはもともと、彼と出会う前の彼女が進学先を決めた要因の主だ。


 すなわち関わるべき誰かがいるというコト。


 ひときわ魅力に溢れたような、攻略対象ヒーローたちがいる。


(……そう、考えたら……)


 不意打ちじみた事実の羅列で、急に分からなくなってきた。


 重みはないけどカーテンを閉ざされたような不安感。

 忘れかけていた未来に対する恐ろしさが唐突に胸を過る。


(私は、どう……するのが、正解……なん、だろう――?)


「優希之さん?」

「――あっ、うん……っ」

「大丈夫? 怖い顔してたけど」

「だ、大丈夫……こ、高校、どんな感じだろって、なんとなく……思っただけ」

「あー……たしかに。新しい学校とこに行くの、緊張するよね」

「う、うん……」


 以前までのような危うい陰鬱さではない。

 道で躓いたような沈みように、ふむ、なんて肇が顎に手を当てて考えこむ。


 渚の言ったことは彼だって共感できる類いの感情だ。


 小学校から中学校、中学校から高校、高校から専門学校または大学または仕事。

 はてには大学から大学院か就職か――と新天地への移り変わりは人生における避けられない壁のひとつ。


 その都度、知らない場所に身を移す不安はあって然るべき。


 うんうん、と頷く天然ポンコツはたぶん真面目で、どこかズレている。


「――あ、そうだ」

「……?」

「優希之さん、甘いもの好きだったよね」

「え……まあ、嫌いでは……ないけど……」

「今日何日か知ってる?」

「十一月……十一、日……?」


 そう、と明るく応える肇。


 この時点で渚はなんだか嫌な予感がした。

 長い時間を勉強仲間として過ごしたが故の危険予知。


 肇専用KYT危険予知トレーニングの効果はここに来て発揮されたらしい。


 脳内でヘルメットを被った独特な絵柄の猫が「ヨシ!」と指をさしている。


「ポッキーの日」

「……あー……なる、ほど……」


 一瞬構えた渚の緊張はここで解けた。


 ――まだ大丈夫。

 なんでもない。

 セーフだ、セーフ。


 ステイ、まだだ、まだ舞える、まだなにも問題はない。


「ということでどう、食べる? 甘いもの取るとリラックスできるよ、たぶん」

「それはどうか知らないけど……じゃあ、その、ありがたく……」

「うん。……あ、ポッキーゲームとかする?」


「ぅんッぐぃ!!」


「優希之さん?」


 バキィ! と彼から受け取って囓った棒状菓子ポッキーを噛み砕く。


 とんでもないコトを言ってくれた少年は相も変わらず。

 どうしたの? なんて首をかしげながら渚のほうを真っ直ぐ見詰めていた。


 脳内で先ほど同様の猫が受話器を耳にあてて「どうしてヨシなんて言ったんですか?」と震え声でささやきかけている。


「……み、水桶くん、さ……っ」

「? うん」

「ポッキーゲーム……って、どんなの、か……知ってる……?」

「それはもちろん」


 念のため確認の意味を込めて渚は問いかける。


 そう、もしかしたら勘違いをしているかもしれない。

 その可能性はなきにしもあらずだ。


 ゼロじゃない、天然純朴少年である彼なのだからむしろ高確率。


 振り回されっぱなしだった自分とはもう違うのだ。


ほういうやふでひょこういうやつでしょ?」


「あッ!!!!!!」


ゆひのはん優希之さん?」


「んッ!!!!!!」


 急激に上昇した温度が渚の顔をさらに赤く染める。


 さながら頭から湯気がのぼる勢い。

 まるで一昔前の鉄道車両。


 機関車ユキノーマスだ。


 煙突から噴き出るケムリはとめどなく。

 軽快なBGMと共に汽笛を鳴らしてどこかへ走っていく映像を渚は幻視した。


いふでもほうほいつでもどうぞ?」

「……っ、み、水桶くん……っ」

「?」


(――――くぅっ……! なんて、視覚の暴力、を……!)


 ポッキーをくわえながら首をかしげる肇の姿は正直とんでもなかった。


 感情エモ銀河の土星あたりに飛んだ心臓がさらにぶっ飛んで宇宙そらを渡りアンドロメダ感情エモエモ銀河まで到達している。


 彼女のハートは約二百五十万光年を超速で駆け抜けたらしい。


「――わ、私の故郷ふるさとは地球……っ」

「? ??」

「っ、ごめん、な、なんでもない……!」

いいへほ、はらないほいいけど、やらないの?」

「――――――っ」


 ぐぐっと強く拳を握る。


 これはゲーム、あくまでもゲーム。

 それに彼女から切り出したワケでもない。


 誘われたから――肇に言われて断るのも忍びなくて、仕方なく、だ。


 ……よし、と決意を固めて彼のほうへ顔を寄せる。


「…………、ん……」

ひゃあ、いふよじゃあ、いくよ

「ん……、……んっ!?」


 ポリポリと食べ進める音が正面から鳴り出した。


 ありえないぐらいの至近距離で彼の顔を見る。

 ありえないぐらいの至近距離なのに更に彼の顔が近付く。


 渚はもう叫びたかった。


 声を出さないで居られたのは、それ以上に衝撃で身体が固まっていたからだ。


(……? 優希之さん食べないなー)


(なっ、あっ! あぁッ! ダメこれ! もうムリ! ムリだこれ! 近い近い近い! 近いって! 近いよっ! あ、あああ当たるって――!)


(プリッツのほうが好きだったとか? あ、もしかしてトッポ派……?)


(あっ、あっあっ、あっ……あぁっ、あ――! あぁ――――!!)


 絶叫だった。

 心の底からとんでもないシャウトが起こっていた。


 たぶん頑張れば陰鬱とした特撮ドラマ読モ並の「ア○ゾンッ!」みたいな演技がワンチャン出来そうである。


 なお天然ボケに至っては根本的な問題を理解していない。

 菓子の種類が問題なのではなくシチュエーションが駄目なのだと何故気付かないのか。


 真相は目の前の人物が握っているのだが、ふたりともそんな事実は知らないまま。


(わ、私だって、ぽ、ポッキーゲームは弟とやったぐらいで! け、経験はあるけどこれはっ、その、そ――あぁあっ! あぁあぁ――――っ!!)


(おー、顔真っ赤だ、優希之さん。恥ずかしいなら無理しなくていいのになぁ)


 くすくすと笑って、大体半ばまで行ったところで肇はぐっと噛み砕いた。

 ぽきっ、という間の抜けた音が静かな自習室に響き渡る。


「――俺の負けだね」

「…………っ!? んっ、ん!? ――――!?」

「あはは、慌てすぎ慌てすぎ。落ち着いて優希之さん」

「――――っ!!」


 誰のせいだと!? という彼女渾身の怒りは伝わったかどうか。


 折れたポッキーをもそもそと食べながら、若干拗ねた様子で渚は肇を睨む。


 ――この恨み、晴らさでおくべきか。


 乙女心をスクランブルエッグみたいにぐちゃぐちゃにかき混ぜてくれた悪漢は報いを受けて当然なのである。

 いつか絶対やり返す、なにがなんでもやり返す、と復讐に燃える渚の巌窟王だが。


「はい、それじゃあ戦利品」

「……へ?」


 ぽん、と渚の机にペットボトルの紅茶が置かれた。

 いつも通りの、彼女が愛飲しているものだ。


 ――驚いて肇のほうを見る。


 彼は薄く笑って、まだ残っているお菓子をかじりながら。


「優希之さんの勝ちなので、どうぞお納めください」

「…………、もう……なんなのそれ……」

「ふふっ、ちょっとしたサプライズ?」

「…………ありがと」

「どういたしまして」


 ちいさく感謝を告げた渚は、早速と蓋を開けて口を付けた。


 なにせ状況が状況。


 甘すぎるものだから、まあ、その。

 紅茶のお供ぐらいがこんなのはちょうど良いので。


「………………、」


 それは決して、悪くはない感覚あじだ。



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