22.  ルフェール教団 2

「失礼します。お飲み物をお持ちしました」


 きびきびとした声の後に、若い神官が配膳台を押して部屋の中へと入り込んだ。

 神官はナナを見留めると一瞬頬を赤らめたが、一礼の後にはスッとその表情を引き締めた。

 そのまま近付いてきた彼は何やらいい香りのする紅茶を注いでくれたが、ナナの元にカップを置くその手は僅かに震えていた。

 紅茶の他に高そうなお茶菓子まで並べられ、テイトはなんだか自分が場違いなような気がしてしまった。


「……神官なのに竜の子を見るのは初めてなのか?」

「……」


 神官の振る舞いにシンが疑問を呈したが、神官はシンを一瞥することなく作業を続けている。

 聞こえているはずなのに無視を決め込むその態度に、シンは面白くなさそうにちらりとナナを見遣った。


「貴方、竜の子を見るのは初めてですの?」

「っはい。今現在教団で保護している御使い様は皆本部で暮らしていらっしゃいますので、私はまだお目にかかることが叶わなくて」


 神官はナナの問いには間髪入れずに答えを返した。

 その瞳は興奮で潤んでいるようにも見える。

 あからさまな対応の違いに、シンが憮然とした表情で頬杖をつくと、ナナはこくりと一度頷いた。


「シン様の質問にも答えてくださる?」

「……シン、様とは?」


 神官は戸惑ったようにナナを見、ナナに促されるようにしてシンを見た。


「教団が保護してる竜の子は少ないのか?」

「……今は五名と聞いておりますが、それが現状の正しい人数かどうかまでは分かりかねます。私は本部に行ったことがありませんので」


 神官は少し不満気に答えた。

 シンはなるほどと相槌を打つと、目を細めて男を見た。


「因みに、ここの責任者は後どれぐらいで来るんだ?」

「……アニール様は忙しい方ですので、いつになるかは。なんと言っても、教祖様のご子息であられますから」


 神官は無表情でそう言った後に、はっと気付いたようにナナを見つめた。


「っ忙しい方ではありますが、御使い様がいらっしゃっていることを知りましたら、すぐにご用事を済ませてこちらに来てくださるかと」


 神官は慌てた様子で弁解したが、ナナは興味がなさそうに聞き流している。


「アニール……聞いたことないな。有名なのか?」


 聞いたことがないのはテイトも同じだったが、これから教団に協力を求めようとしている割には余りにも失礼な質問であったため、テイトはおろおろしながらシンと神官を交互に見つめた。

 当然のことながら、神官は不快そうに片眉をぴくりと動かした。


「信仰心のない方はご存じないかも知れませんが、とても優秀な方でいらっしゃいます。三男という不遇な立場から、あまり脚光を浴びることはありませんが、私は兄君であらせられるマルカ様やシェード様にも引けを取らない方だと確信しております」


 神官がそう言い終わると同時に、扉の方からクスクスと笑う声が聞こえた。

 声の方に目を向けると、ゆったりとした法衣を身に纏った優男が手元の袖で口元を隠して微笑んでいた。

 右目の目尻にある黒子が印象的な人物であった。


「ア、アニール様!」


 神官は焦ったように姿勢を正し、男に向かって深く頭を下げた。

 男はそれを見て口元の笑みを深くした。


「君が私をそう評価してくれるのは嬉しい限りだが、客人の前でする話でもないだろう」

「も、申し訳ございません」

「謝る必要はありません。御使い様の話し相手を務めてくれてありがとう。もう下がりなさい」


 男が神官に退出を促すと、神官は来た時と同じように配膳台を押して静かに部屋を去った。

 立ち替わるようにして男はゆっくりとこちらへ歩み寄り、ナナに向かって深くお辞儀をした。


「ルフェール教団支部の責任者、アニールと申します。遅れまして、申し訳ございません」

「……気にしてない。早速話をしよう」


 アニールはゆるりと頭を上げると、緩慢な動きで向かいのソファへと腰をかけた。

 一連の優雅な動作を見ながら、この若い男が責任者なのかとテイトは少し驚いた心地でアニールを眺めた。 

 若いと言っても勿論自分よりも随分と年上であるだろうが、それにしても落ち着いた雰囲気を持つ人物である。


 不意に、アニールの視線がこちらを捉えテイトはドキリとした。

 悠然と微笑まれて、テイトは気まずさに目を逸らした。


「先に、皆さんのことも教えてください。自分が話をする相手のことは、きちんと知っておきたいですから」


 当然の要望に、シンは目を細めながら名前を名乗った。

  それに他の者も続くと、アニールはにっこりと笑った。


「クエレブレの方だと聞きましたが、指導者の方はここにいらっしゃるのでしょうか?」

「ぼ、僕です」

「貴方でしたか」


 アニールはニコニコと笑ったままテイトに目を向けた。

 なんだか彼のペースに飲まれている気がするとテイトが思うと同時に、シンが目を細めながらアニールを睨んだ。


「そろそろこっちの話をしたいんだが」

「おや、お互い理解を深めるつもりはないと?」

「急いでるんでね」

「それは失礼。どうぞお話しください」


 シンの言葉を気にした風もなく、アニールは仕方ないと言ったように肩を竦めた。


「あんた達の管理する遺跡を一つ借りたい」

「……それはそれは」


 アニールは困った子を見るような目でシンを見つめた。


「どういった目的で?」

「クエレブレの拠点にしたい」

「ならば、尚更出来かねるお話ですね」

「遺跡は元々竜の物。それが教団の考えであるならば、竜の子が与する俺たちが使うこと、それは元の持ち主に返すことと同義、そう思わないか?」

「はは、面白いことを仰る。……ナナ様も同じお考えで?」

「えぇ、勿論ですわ」

「困りましたね。お話が貴女の保護を求めるものでしたら、簡単にお返事できたのですが……」


 アニールは眉尻を下げて微笑んだ。

 それも束の間、すっと目が細められ、鋭い視線がシンを射貫いた。


「遺跡が竜神様の物であることは間違いありませんが、それを貴方たちに貸すことは出来ません。特に、竜神様の名を騙る貴方たちの手助けをすることは、教祖たる父も許しはしないでしょう」


 冷たさを帯びた視線にテイトは思わず背筋を伸ばしたが、シンの態度は変わらなかった。


「組織の名を改名でもしたらいいのか?」

「……そう簡単な話でもないでしょう」

「じゃあ、どうしたらいいんだ?」

「諦めてください、としか言いようはありません」


 シンはちらりとナナに視線を送った。


「あたしの願いと言っても、聞き入れてはくださらないの?」

「ナナ様……大変申し訳ございませんが、私ではお役に立てそうもありません」


 アニールは心底口惜しそうな表情を見せたが、それは徐々に同情するようなものへと変わっていった。


「お労しや、彼らに言わされているのですね」

「……何を言っていますの?」

「皆まで言わなくとも分かります。それが自分たちの望みであるのならば、本来自身の口を使って言の葉を紡ぐべきではありませんか。それを御使い様に頼るなど……」


 怒りの表情を浮かべたアニールは、恨みのこもった眼差しでテイトを睨んだ。

 その視線の強さにテイトは竦み上がった。


「貴方が指導者であるのならば、御使い様を利用せずに直接貴方の口でお願いするべきではありませんか? 御使い様を利用すれば私たちが動くなどと、そんな悪しき考えの者がいるから、私たちは御使い様を守らなくてはいけないのです」

「え、えーと」


 完全なとばっちりではあったが、アニールの言っていることもまた事実なので、テイトは狼狽えながら言葉を探した。

 どうにかしてシンとナナに話を合わさなければいけない。

 でも、それが自分に上手く出来るのか、テイトは懸命に頭を働かせながらゴクリと唾を飲み込んだ。

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