10.  アノニマス 2

 身を潜めている位置に当たりでも付けられたのか、突然すぐ横の建物が大きな音を立てて崩れ初めたため、テイトは反射的に二人を押してそのまま地面に倒れ伏せた。

 地響きのような衝撃音の後に頭を上げると、先程まで立っていた場所に大きな瓦礫が転がっており、まさに間一髪であったとテイトは安堵の息を吐き出した。


「っすみません、レンリさん怪我はありませんか?」


 二人を押し倒したままだったことに気付いて慌てて立ち上がると、テイトは狼狽えた声でレンリを見遣った。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 レンリが両手をついてその場で上体を起こして微笑んで見せたため、テイトは胸を撫で下ろしながらレンリに手を差し出して立ち上がらせた。

 すると、下から恨めしそうなリゲルの声が聞こえた。


「ってめ、こっちは怪我人だぞ」

「あ、ごめん」

「リゲルさん、怪我を?」


 立ち上がれずにテイトを睨むリゲルを心配してレンリが顔を覗き込むと、リゲルは頬を赤らめて顔の前で手を振った。


「あ、いや、全然大したやつじゃないんだケド」


 レンリがリゲルの左足を見留めて悲痛そうな顔を浮かべると、リゲルの声はだんだんと小さくなっていった。


「あの、レンリさん、お願いがあります。リゲルを安全な場所まで連れて行ってくれませんか」

「テイト、何を」

 何か言いたげなリゲルを目で制し、テイトはレンリを見つめた。


 リゲルに離脱してもらうことは、この怪我の状況を見て既に決めていたことだった。

 だが、この足では素早く動けないであろうし、テイトはどうやって彼を戦線から離れさせるべきかを丁度考えていた。


「レンリさんが敵の魔法を防いでくれるなら、安心して任せられます」

「……テイトは?」

「僕はまだ残ります。逃げ遅れた人がまだいるかも知れないので」


 レンリは不安そうに口を引き結んだが、テイトの目を見てしっかりと頷いた。

「……分かりました、お気をつけて」


 リゲルはごめんと呟きながら暗い表情で立ち上がったが、左足を地に着けた瞬間にまた苦しげな呻き声を上げた。


「リゲルさん、私の肩にでも掴まってください」

「え、い、いや、気持ちだけで十分、俺、重いし」


 申し訳なさそうな表情から一転、見ている方が気の毒に思う程に顔を真っ赤に染め上げたリゲルの気持ちは、テイトにはなんとなく想像が付いた。


 ゆっくりと場を離れていく二人を見送るのもそこそこに踵を返した瞬間、瓦礫に腰掛けながらこちらを覗う森の魔法使いの姿が目に飛び込んできたため、テイトは目を丸くした。


「え……何でここに?」

「保護対象を追っかけてきただけだ」

 なんてことのない風に告げて、男はテイトを見て目を細めた。


「あんた、甘いな」

「え?」

「俺だったらレンリには一緒に来てもらうがな。相手の魔法を完全に相殺するなんて、簡単にできることじゃない」

 後でどうやったか聞こう、と呟きながら立ち上がる男をテイトは呆然と見つめた。


「……リゲルにはこの場を離れてもらうつもりでしたし、何よりレンリさんを巻き込むわけにはいきませんから」

「彼女の意志でここに来たのに?」


 真っ直ぐに見つめられ、テイトは心まで見透かれそうな気持ちになって思わず目を逸らした。


「あんたの言い分だと、戦う意志と戦う力があったらいいんだろ? 俺を誘って、彼女を誘わない理由は?」

「……レンリさんは記憶がなくて困ってるんだから、他のことで手を煩わせるわけにはいかないでしょう」

「魔道士を仲間にしたい奴の台詞とは思えないな……まぁ俺には関係ないけど」


 聞いておきながら男は興味なさそうに言い捨て、くるりと背を向けた。


「あんたが思ってるより強いと思うけどな。刺青もあるから見た目のままってことはないだろうし」

「え?」

「なんでもない、とにかく今だけ共闘しようか」


 男が口の端を吊り上げてテイトを見たため、テイトは驚いて男を凝視した。


「一緒に戦ってくれるんですか?」

「勘違いはするなよ、今だけ、だ。そうしないと保護対象も連れて帰れなさそうだし」


 散歩でもするような自然な足取りで男が足を進めたため、テイトは思わず顔色を変えて男を守るような形で前に歩み出た。

 次いで短剣を構えて通りに目を光らせたが敵の姿はおろか気配すらも確認できず、テイトは困惑しながら周囲を見回した。


「……何やってんだ? というか、その背中の剣は使わないのか?」

「……これは使えないんです」


 ふぅんと再び興味がなさそうに返しながら危機感の欠片もなく男がテイトの前に進み出たので、テイトは咄嗟にその手を掴んで引き留めた。


「待ってください、危険です! さっき目視で少なくとも敵が三人いることを確認しました」

「三人、ね。それなら、ほら」


 男が指さす方向は黒煙で殆ど何も見えなかった。

 しかし、煙に紛れてぼんやりと黒い影のようなものが見えたため目を凝らすと、あの茶色い外套を纏った人物が三人、砂か岩のようなもので一緒くたに拘束されているのが見えて、テイトはあんぐりと口を開けた。

 気を失っているのか、ぴくりとも動かないその様にテイトは不安を覚えて恐る恐る男を見上げた。


「……え、殺したりしてませんよね?」

「俺をなんだと思ってるんだ?」


 男が呆れたように息を吐く姿を見て、改めて男の魔法の強さを実感し、テイトは思わず息を呑んだ。


「……まぁ、確かに視界が悪いとやりづらいか」


 男はそう呟くと空を見上げた。

 男の意図することが分からず無言で成り行きを見守っていると、不意に何か冷たい物が頬に触れたため、何となしに空を見上げた。


 そして、テイトは驚嘆の声を上げた。


 先程まで晴天であった筈なのに、突然雨が降り出したのである。

 雨は次第に激しさを増し、建物を燃やす火の勢いを弱めながら、立ち上る黒煙や塵などを地に落として流した。

 視界を覆っていた煙が見えなくなるのに比例するように雨足も弱まり、テイトはそこで初めて雨雲が覆っているのがこの上空だけであることに気が付いた。


「……す、ごい。これも貴方が?」


 尊敬の視線を向けると、男はびしょびしょに濡れているテイトを見て眉を顰めていた。


「あんたも刺青があるんだろ、雨を防ぐぐらいできないのか?」

「僕は頭が良くないので……」


 少し恥ずかしくなってテイトが男から目を逸らすと、小さな溜息が聞こえた。


「じゃあ、なんで刺青を入れたんだ?」

「……強くなることは間違いありませんから」

「元が弱い奴が入れても、そんなに変わんないぞ」

「それ、もう言われました」


 テイトが苦笑しながら返すと、男はそれ以上何も言わなかった。

 しかし、濡れていた髪や服が忽ち乾いていくのを不思議に思って顔を上げると、真っ直ぐにこちらを射貫く視線とかち合った。


「……あんた、名前なんだっけ?」

「テイトです。貴方は?」

「シン、だ」


 いつの間にか雨が止み、眩しい程の日差しが差し込んでいた。

 先程まで煙で充満していた視界は嘘のように冴え渡り、それだけに被害状況もよく分かるようになっていた。


「行くぞ、テイト」


 前を歩くシンを頼もしく思いながら、テイトはその後を追いかけた。

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