7.  迷いの森 2

 一時間ほどかけて森の外周の四分の一を超えた辺りまで進んだが、可笑しな点などは一向に見当たらず、テイトは焦りが募るのを感じた。


 道中で何度かレンリに疲れていないかも確認したが、彼女は笑顔で大丈夫だと答えてくれた。

 その度に顔を少し赤らめるリゲルに、自分のことを言えないじゃないかと文句を言いたくなったが、テイトはその発言を内心に留めた。


 レンリは華奢でか弱そうな見た目に反し、歩き続けても音を上げることはなかった。

 勿論たった一時間、しかもゆっくり歩いているだけであるし、険しい道のりを歩いているわけでもないので、一般の者にとってはなんてことない行程だ。

 貴族のお嬢様であれば慣れない道程だろうなと思うものであったが、レンリは疲れた素振りを一切見せなかった。


(貴族じゃないのかな……それとも)


 出会ったばかりだが、レンリが己の感情を律するのに長けていることだけは一目瞭然だった。

 記憶を失ったことを自覚して震えている姿をテイトは確かにこの目で見ているのにも関わらず、朝食を挟んだ後からはそんな姿を全く見せないことが何よりの証明だろう。


(だから、リゲルはレンリさんを疑えるんだ)


 もしリゲルがそんなレンリの姿を見ていたら、きっと彼女を疑うことなんてできなかっただろう。

 ひょっとすると今この時も彼女は自分たちに疲れを隠して強がっている可能性すらある、とテイトは立ち止まった。


 そんなテイトをリゲルとレンリは不思議そうに見つめた。


「――何? 気になる物でもあった?」

「ここでいったん休憩にしましょう」


 テイトが提案すると、リゲルは一瞬眉を顰めて、それから合点がいったのか了解と呟いた。

 地べたに腰を下ろして荷物から飲み物を取り出すリゲルに倣おうとすると、レンリがばつが悪そうにテイトに声を掛けた。


「……私がいるからでしょうか?」

「違いますよ。いつもこんな感じです。ね、リゲル?」

「そうそう、早ければいいってもんでもないしな。レンリちゃん、ここに座って」


 リゲルは地面に人一人が座れる大きさの布をひき、そこをトントンと叩いてレンリを呼んだ。


「リゲル、そんなことできたんだね」

「バカ言え、俺は紳士だぞ」

「紳士? その言葉遣いで?」

「ご存じなかったの? 僕は紳士でございます」


 ふざけたことを言うリゲルに笑いながらテイトが地面に座ると、続くようにレンリも控えめにリゲルの指し示したところに腰を下ろした。


「それにしても、本当に何にも見つからないな」

 リゲルが溜息をつきながら手に持っていた飲み物に口をつけた。

 心の中でそれに同意しながら、テイトはこれからどうするべきかについて考え込んだ。


「もし、今日明日と探して何も見つけられなかったら、他の魔法使いの情報を追おうか。実はオブリオ島にも魔法使いの噂があって、」

「何を弱気な」


 リゲルは鼻で笑ったが、テイトにとっては深刻な問題だった。


 明日でここを調査して一週間になる。

 これだけの日数をかけて何も得られないとなれば、今していることはただの時間と人員の無駄遣いに過ぎない。

 他にもすべきことは山ほどあるのだから、自分の発言でここに仲間を割いて調査している以上、仲間の徒労を終わらせるのもまた自分の役目である。

 それがテイトの素直な心情だった。


「今更で申し訳ないのですけれど、森の中に入れないとはどういうことなのでしょうか?」


 レンリからの疑問に、テイトとリゲルはパチパチと目を瞬かせた。


「……テイト説明してなかったのか?」

「そういえば、してなかったかも」


 思い返してみると《迷いの森》に魔法使いがいると話した覚えはあるが、この森の詳細に関しては何も伝えていなかった、とテイトは気付いて反省した。

 ここら近辺では誰もが知る有名な場所なのですっかり説明を失念していたこと、そして十分な説明もないままレンリを同行させていたことに、テイトは自己嫌悪しながら手を合わして謝罪をした。


「ごめんなさい、レンリさん。何も言わず連れてきて」

「謝らないでください、少し疑問に思っただけなので」


 レンリが気にした様子もなく微笑むので、テイトは安心して森を指し示した。

「森に入っても、いつの間にか入ったところに戻されるんです。多分見た方が早くて……」


 テイトがリゲルに目配せすると、リゲルは心得たと言わんばかりに立ち上がった。


 リゲルは見ててとレンリに声を掛けると、ずんずんと森の中に分け入った。

 淀みなく進むその姿が草木に紛れて見えなくなる頃に、奥からリゲルがこちらに向かって歩いてきたため、レンリは不思議そうに目を瞬かせた。

 リゲルが自分たちの元に戻ってきた際に、テイトは苦笑してレンリを見遣った。


「こんな感じです」

「言っとくけど、俺折り返したわけじゃないからね。真っ直ぐ進んでこれだから」

 リゲルは両手を挙げてそう釈明した。

 

 レンリは《迷いの森》の本質を理解し、納得したように呟いた。

「凄いです、これが魔法なんですね」

「魔法の中でも、かなり力のある人がやったんだと思います。僕にはこの原理は全く分からないから」

 分かったところで自分が同じ仕掛けをできる気もしないけれど、とテイトは小さく続けた。


「魔法の力は、人によって違いがあるのですか?」

 レンリが小首を傾げた。


 そういえばそれも話してなかったな、とテイトはレンリに向き直った。

「魔法は遺伝するんですよ。親が使えればその子供も魔法が使えるんですけど、片親しか魔法を使えなかったら、子供の魔法は威力が半減するって言われてます」

「そうなんですね」

「後、威力は頭の良さも関係してるみたいで……」

 テイトの声は自然と小さくなった。


 テイトは父しか魔法が使えず、どんなに頑張っても父の威力の半分程度の力しか持たないはずだった。

 父も片親しか魔法を使えなかったと聞いていたので、テイトの魔法の威力は高が知れたものだった。

 故に、お世辞にも頭がいいとは言えない自分の力を補うために、テイトは刺青を入れたのだ。

 それを遠回しに伝えているようで、テイトは少し決まりが悪かった。

 

 そんなテイトに気付いたのか、レンリはテイトから視線を逸らして森の方を見た。


「繊細で、難しい力なんですね」


 魔法をそんな風に表わす言葉を今まで聞いたことはないが、テイトはなんだかその言葉が妙に合っている気がした。


「あの、私も試しに森に入っても大丈夫でしょうか?」


 レンリはどこか期待した表情でテイトとリゲルを見上げた。

 大人びている彼女には珍しくその顔は年相応で純粋に愛らしかったため、テイトは思わず笑みがこぼれた。


「勿論です。あ、足下に気をつけて」


 申し出を快諾したテイトは一人森に足を進めるレンリを見送った。

 リゲルの時と同じように森の方を注視してその帰りをじっと待ったが、幾ら待てども彼女の姿はなかなか見えなかったため、流石に遅すぎではないだろうかとテイトは思わず傍らに立つリゲルと目を合わした。


「――レンリさん?」


 レンリの姿はとっくに視界から消えている。

 一抹の不安が過ぎり、テイトは周囲を警戒しながらリゲルと共に森の中へと足を踏み入れた。

 しかし、彼女の姿を確認できないまま入った場所に戻され、そこでようやく二人は事態を把握した。


「え、どういうこと? レンリちゃんどこ行ったの?」

「分からないけど、森の中に入れたってこと……?」

「どうやって?」

「僕が聞きたい」


 冷静さを取り戻すために、テイトは顎に手を置いて今起こった出来事を順に整理してみた。

 先ずリゲルが森に入れないことを証明して、その次に同じようにレンリも森へと入った。

 その時点では、彼女にも森にも可笑しな点は確認できなかった。

 しかし、どれだけ待とうと彼女が戻ってこなかったため、異常事態かと考えて自分たちも再度入ってみたが、やはり森から追い出されるだけであった。

 その間レンリの姿は全く確認できなかった。

 レンリは本当に森の中に入ったのか。

 もしそうだとしたら、どうして彼女だけ中に入ることができたのか。


 考えれば考えるほど困惑と焦燥感に駆られ、テイトはいても立ってもいられずもう一度森へと向かった。

 しかし、森の中に進めたはずの足は変わらずリゲルのいる場所に戻されるだけであった。


(どうしてレンリさんだけ……)


「……女性だから入れたとか?」

「いや、僕が聞いた話だと村の女性も同じような目に遭って迂回して街に行ったって言ってたから、それは違うと思う」

「じゃあ、なんで」

 動揺からかリゲルの声が少し大きくなった。


「……例えばの話だけど」


 テイトが小さく呟くと、リゲルは先を促すようにテイトへと視線を向けた。

 テイトは逡巡してから険しい顔で口を開いた。


「例えば……森に魔法をかけた人より力の強い魔法使いなら、この森は普通に通り抜けられるのかな?」

「……なんでそんなこと?」


 思いがけない質問にリゲルは戸惑ったが、尋ねてきたはずのテイトが黙って考え込んでいる様子で目も合わなかったため、渋々と返答を探した。

 

「……まぁ、その可能性はないとは言えないんじゃないか」

 

 テイトは僅かに顔を顰めた。


「じゃあ、例えば、魔法の使い方を知らなくても、それって有効なのかな?」

「それは分かんないけど……テイトは何が言いたいんだ?」


 リゲルが焦れたように声を荒げると、テイトはリゲルと目を合わせて悩むように口を開閉させた。


「……リゲルに言ってなかったんだけど」

「何?」

「レンリさん、刺青があったんだ」


 リゲルは目を見開き、それから考えるように米神に手を当てた。

 

 少しの沈黙の後に、リゲルは小さく呟いた。

「……だから、貴族って言ったのか」


 リゲルも知っているのだ。

 刺青が本来、お金を持つ富裕層しか入れることができないものであることを。

 テイトが偶然刺青を入れることができたのは、本当に稀なことであることを。


「もしレンリさんが貴族で、元々威力が強いのに、尚且つ刺青を入れてるとしたら、森の中に入れるのかな?」

「分からないけど、今この状態が答えなんじゃないか?」

 リゲルはそこで言葉を句切り、もしくは、と続けた。

「レンリちゃんの正体が、迷いの森の魔法使いだったとか」


 テイトは、はっと顔を上げた。

 確かに自分の術に引っかかる者はいないだろう。

 それでも、テイトは何かが違う気がしていた。

 自分の推測も、リゲルの推測も。


「お前が俺にレンリちゃんが魔法を使えることを言わなかったことは、まぁ今は置いとくとして――どうする?」


 リゲルはテイトが言わなかった理由を察しているようだった。


 強力な魔法使いを求める自分達の前に現れた刺青を入れた少女。

 戦力として期待しない方が可笑しい。

 それでも、記憶を失い、今にも泣いてしまいそうな表情を見せたレンリに、余計な煩いを与えたくなかったのだ。


「……取り敢えず、もう少し待とう。引き返してくるかも知れないし」

「分かった」


 レンリの無事を祈りながら、二人はただ待ち続けた。

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