第三章

       一


 翌朝、カイルとミラはネルウィンと共にアイオン村へと向かって歩いていた。

 カイルが欠伸あくびみ殺す。

 ミラも目をこすっている。

 他の神官に見付からないようにするためと、今日中に帰って来るために二人は朝早く神殿を抜け出したのだ。


 昨日、ミラはネルウィンと共にその日のうちに行こうとした。

 それをラースに黙っている事を条件に今朝に変更させたのだ。

 ネルウィンの村アイオンは歩いて半日ほど掛かる。

 午後に出発したのでは泊まり掛けになってしまう。

 いくらなんでも無断外泊はさせられない。


 ミラは白い外套がいとうを引きずるようにして歩いていた。

 少し大きいらしい。

 ミラが来てから大分つのに長さを直してないのは一度も着たことがなかったからだろう。

 ラースにしろ神殿長にしろなぜミラを上級神官として神殿に置いているのか理解出来ない。

 カイルは頭を振った。


 上級神官用の外套を着てくることもカイルが強硬に主張しのだ。

 当然その事でも言い合いになった。


「ハイラル教の村へ行くのよ! アスラル教の神官だって一目で分かるようなもの着てってどうするのよ」

「村の手前で脱げばいいじゃないか」

「それじゃあ何のために着てくのよ。荷物になるだけじゃない」

「着ないなら大声出すよ」

「脅迫するなんてサイテー!」

 とは言ったもののミラは外套を受け取った。


 神殿の朝は早い。

 ぐずぐずしていたら皆が起き出してくる。

 二人の外套が無くなっているのを見ればカイルとミラが一緒に出掛けたと分かるだろう。

 まぁ、ミラと一緒でなければカイルが無断外出などするわけないのだが。

 そうして二人は朝焼けに染まった神殿を後にしたのだ。


 夕辺は無断で外出した事で神官長に夜遅くまで説教されてしまった。

 なのに今日もだなんて……。

 このままミラに付き合ってこんな事を繰り返してたら何時いつか……。


「……あのさ、聞いてもいい?」

「なに?」

「魔術師になりたいって言ってたよね」

「そうよ。各国の王様が競って頼み事をしに来るような大魔術師になるのよ」

「なんで魔術師にこだわるの? 神殿で上を目指せば? もう上級神官なんだし」

「私には無理よ。魔法って苦手なの」

 魔法が苦手なのに魔術師になりたいというのも矛盾していると思うが……。

「そんな事ないだろ。才能はあるんだし」


 ミラが神殿に来てしばらくした頃、近くの村で土砂崩れが起きた。

 隣町との間に街道を通すために山の樹々が伐採ばっさいされていた。

 そのせいで土砂はかなり遠くまで押し流され広い範囲に渡って大勢の人を飲み込んだ。

 神官達は付近の人達と協力して巻き込まれた人達を助ける作業に当たった。

 土砂に埋まった人達を掘り起こし、重症者にはその場で回復魔法を掛けた。

 被害者が多かったのと広範囲に渡って土砂が流れた為、神殿中の神官が狩り出されたのだ。

 当然ラースやカイルは言うに及ばずミラも一緒に行ったのだが、それが間違いの元だった。


 作業は土砂に埋まっている人を掘り起こす者と回復魔法を掛ける者に分かれ、ミラも含めて上級神官は治療に当たった。


 崩れた崖の近くでは小山ほどもある巨大な岩の前でまった人を助け出そうとしていた。

 これだけの大きな岩を動かしたり壊したり出来るだけの魔法が使える者は上級神官だけだ。

 だが瀕死ひんしの人間を治せる強力な回復魔法が使えるのも上級神官しかいない。

 上級神官がケガ人の治療に当たっていた為、他の神官達は岩が倒れないように細心の注意を払いながら作業していた。

 それを見ていたミラがごうやした。

 ケガ人を治す速さに救出が追い付かず、ミラが手持ち無沙汰になってしまったのも災いした。


「そんなの岩を壊しちゃえばすぐじゃない」

 その瞬間、巨大な岩がくだけた。

 文字どおり粉々になったのだ。

 岩の下で作業していた神官達の前に小石の山ができた。

 ラースが制止するも無かった。

 ミラは聖句せいくとなえずに岩を砕いてしまったのだから無理もない。


 その途端、岩の後ろにあった同じくらい巨大な岩が倒れてきた。

 カイルはその岩の真下にいた。

 カイルが魔法で障壁を張るのとミラが再度巨岩きょがんを砕くのはほぼ同時だった。

 巨石きょせきは砂くらいの大きさに分解され障壁の周りに降りそそいだ。

 カイルと周りにいた人達は障壁のお陰で生き埋めにならずにんだのだ。


 ミラの力を見せ付けられた神官達はミラの実力に関しては何も言わなくなった。

 その代わりに出てきたのがケナイ山を吹き飛ばした、という噂である。

 そしてそれ以来、ミラはそれまで以上に仕事から遠ざけられるようになりカイルの負担が更に増えた。


「才能なんか無いし練習は苦手なの。人には向き不向きってもんがあるでしょ」

 その言葉にあきれてミラの顔に視線を向けたが、そう言われてみれば練習しているところを見た事がない。


「それに自然現象に関しては魔法じゃないし」

「魔法じゃない?」

「そうよ」

「じゃあ、なんなの?」

「分かんないけど……お祈りすると誰かがやってくれるの」

「誰かって誰?」

 カイルの問いにミラがバカにしたような視線を向けてきた。

「知らないわよ。けど自然現象なんだから自然の神様でしょ」

 確かに当人が魔力を使ってないならやっているのは神様か誰かと言う事になる。

 アスラル神はこの世界の創造主で、ミラはその化身と言われている。

 ならアスラル神の力なのか?


       二


「ケナイに帰る気はないの? あそこなら既に知名度は高いんだし自分ちもあるから……」

「あそこには帰れないの」

 ミラが低い声で呟くように答えた。

 ご両親が亡くなったのか?

 だとしたら悪い事を聞いてしまったかもしれない。

 けれど両親がいなくても喜んで面倒を見てくれる人はいるだろう。いくらでも。

 あの辺はミラのお陰で凶作きょうさく知らずだったのだ。

 アスラル神の化身として大事にされていた。

 お陰でとんでもない我儘わがまま娘に育ってしまったのだが。

 ミラは暗い表情で黙り込んでしまった。

 カイルは急いで話題を変えた。


「マイラが来るまでケナイに君以外で魔法が出来る子がいるなんて知らなかったよ。使えるのは君と僕だけって聞いてたし」

「そりゃそうでしょ。あいつマイラはラースに教わるまで使えなかったもの」

「ラースに教わるまでって……神殿に来る前だよね?」

 魔力があって多少なりとも魔法が使えなければ神官候補生として神殿に入ることは出来ない。

「そうよ。私はずっとラースに神官になるように勧められてたの。けど行かせてもらえなくて……」

 それは当然だろう。

 ミラの存在は村の死活問題に関わるのだ。

 しかし、そうなるとラースはレラス神殿の管轄外であるケナイに行っていた事になる。

 もっともカイルのいたラウル村だってレラスの管轄外なのに来ていた。

 それを考えればケナイに行っていても不思議はないのかもしれない。

 それとも、どちらもおかしいのだろうか?


 カイルが覚えている故郷は地平線まで緑に覆われた草原だった。

 秋になると実った麦の穂が辺り一面を金色に染めた。

 しかしミラが生まれるまでは荒野だったらしい。

 豊作の年は滅多になく、間引まびきや働けなくなった者をれ井戸に投げ捨てるなんて言うのは日常茶飯事にちじょうさはんじだったという。

 身売りもしょっ中でよく人買いが来たとか。

 大木も無かった。

 どの木も若くて細いから木登りなどはしたことがない。


「お前が殺されなかったのも運が良かったからだよ」

 って、よく母さんが言ってたっけ。

 カイルが――ミラが、というべきか――生まれる二年くらい前から雨が適度に降るようになり豊作の年が続いて間引きの必要がなくなったらしい。

「じゃあ、君の代わりにマイラが神官候補生になったの?」

「まさか。誘われたのは私だけよ。それがよっぽど悔しかったらしいわね。ラースが来る度に付きまとってたくらいだし」


 ミラが神官になるように勧められていた……。

 ミラの力を考えれば当然……。

 不意に疑問が生まれた。

 カイルもそうだがミラも神殿へ来るまでは神官だったわけではない。

 二人とも神官みたいな事をしていたとはいえアスラル教とはなんの関係も無かった。


 どうしてラースはミラを勧誘していたのだろうか?

 アスラル教の神官はあくまで希望者がなるものだから普通は勧誘などしない。

 アスラル教は信者を増やすための布教活動すらしないのだ。

 ましてや神官になるように誘ったりしないはずだ。


 それになんで今になって神殿へ来る事を許されたんだ?

 もうミラがいなくても大丈夫なのか?

 今まで意識的に故郷の噂を聞かないようにしていた。

 だからあの辺が今どうなっているのか分からない。

 帰ったらラースに聞いてみようか。

 まだ口をいてもらえたら、だけど……。

 今から帰った後の事を考えると気が重くなった。


 不意にネルウィンが立ち止まった。

 ミラがネルウィンの背にぶつかりそうになって顔をしかめる。

 逃げ腰のネルウィンの姿に周りを見ると数人の男達に囲まれていた。


「魔物って、こいつらじゃないわよね」

「か、金なんか持ってないぞ」

 震えた声で言ったネルウィンを男達がせせら笑った。

 これが世に言う山賊というものらしい。

「可愛いのが二人も揃ってるじゃねーか」

「その二人を売りゃあ路銀ろぎんなんかよりよっぽど金になるってもんよ」

 ミラは平然とした顔でネルウィンの前に進み出た。

 風がミラを中心にした円をえがき白い外套が風をはらんで舞った。

「ケガしたくなかったらさっさとどっかに行くのね」

「やれるもんなら……」


 次の瞬間、風が男達の足元から吹き上げた。

 山賊達の服がずたずたになる。

 みんな身体中から血を流していた。

 かすり傷ばかりらしく全員立ったままだったが。


「消えなさい。めてくれた事にめんじて見逃してあげるから」

「ふざけるな!」

 山賊が剣を構えた。

 再び風が巻き上がる。

 剣の刃は綺麗に三等分され金属のぶつかる音を立てて地面に落ちた。

「この……!」

 まだ闘志を失っていないらしい。

 というか完全に頭に血が上ったようだ。

 殺気だった山賊達にネルウィンはただおろおろしていた。


 重症を負った山賊達を魔法で治してやったら、また襲ってくるだろうか?

 そうなったらどうすればいいんだろう?

 ミラが反撃して僕が治して山賊が襲ってくるというのを延々と繰り返すのか?

 けどケガ人を放っていくわけにも……。


「おじさん、私の力を疑ってるみたいだから実演してあげる」

 その瞬間、地面に割れ目が出来た。

 遠くまで走った亀裂が大地の揺れと共に一気に横に広がる。

 ミラに突っ込んでこようとしていた男が地割れに足を取られた。

 右足が太股まで地割れに落ち、左膝をいた。

 男が慌てて立ち上がろうとする。

 必死で抜け出そうとしているにも関わらず足が抜けないのはミラがわずかに地割れをせばめたのか。


 残りの山賊が同時にミラに斬り掛かる。

 ミラは見向きもしなかった。

 突風が巻き起こり山賊達が吹き飛ばされる。

 地面に叩き付けられた山賊達がうめいていた。

 カイルはざっと倒れている男達に視線を走らせる。

 重症者はいないようだ。

 これなら治してやらなくても大丈夫そうだな……。

 周囲を見ていたミラは掘り掛けの井戸に目を留めた。


「あんた達のせいで中断させられちゃったのね」

「あれはいくら掘っても水が出ないから中止になったんだよ!」

 転がっている男の一人が律儀に答えた。

 自分達とは無関係の事で攻撃されたくなかったのかもしれない。

 ミラが地面に目を落とした。

「ホントだ。この辺水脈が無いのね」

 水脈が分かるのか……!?

 水脈の位置が分かる者は少ない。

 伊達だて大地母神だいちぼしんアスラルの化身と言われてる訳じゃないんだな。

「じゃあ、人助けついでにもう一つ」

 ミラが言った途端、足下をひやりとする感覚が走った。

 かと思うと背後の地面が割れて水が噴き出した。

 勢いよく噴出した水に、後ろから斬り掛かろうとしていた山賊が吹き飛ばされた。

 自然現象を扱わせたらミラの右に出る者はない、か……。


「こういう事も出来るから、村へ帰ったら宣伝しておいてね」

 ミラは笑顔でネルウィンの方を振り返った。

「さ、行きましょ」

 ミラが促すとネルウィンは早足で歩き出した。


       三


 山賊とった場所から大分離れ、もう大丈夫だろうという辺りでネルウィンは歩調をゆるめた。

 大人の早歩きにいて行くのは大変だ。

 ペースがゆるくなってようやく呼吸が整った。

 ミラはまだ肩で息をしている。


「あのさ、出ていく必要ないんじゃない?」

 カイルの言葉にミラが振り返った。

「え?」

「マイラに今みたいなこと出来ないと思うけど」

「当然じゃない」

 ミラが思い切り自慢げに胸を張った。

「けど、どっちにしても神殿は出るわ」

「どうして?」

「私がいなくなればラースだって迷惑しないでしょ」

「何も出てかなくたって神官らしくしてれば……」

「冗談じゃないわよ。村よりマシかと思ったから来たのに全然変わらないじゃない」

「…………」

「それに、神官らしくとか、そういうのだけじゃないのよ。ちょっとあって」

 どういう事か訊ねようとするとミラはネルウィンの背に視線を走らせた。

 他人に聞かれたくないらしい。

 カイルは口をつぐんだ。

 それにしても……ミラも訳あり?

 ラースはそこら中で人助けして歩いてるのか?


 やがて前方に木の柱のようなものが無数に立っているのが見えてきた。

 最近出来たばかりの墓だ。

 その向こうに畑が広がり民家が小さく見えている。


「これ……」

みんな魔物にやられたんです。あそこが村です」

 ネルウィンが二人の方を振り返って言った。

 口調が丁寧になっているのはミラの力をの当たりにしたせいだろう。

 二人は外套を脱ぐと裏返しにして折り畳んだ。


 カイルとミラはネルウィンの家に案内された。

 二人は遅めの昼食を取りながらネルウィンに詳しい話を聞いた。

 といっても魔物に関しては姿を見た者がいないのでレラスの町で聞いた以上の情報は何も無かった。

 魔物がいると思われる場所を地図で教えてもらっただけだ。

 カイルは地図を見ながら後悔していた。

 やはりラースに言うべきだった。

 ミラにこんな危ない真似させて、もしもの事があったら……。

 出来る事なら今からでもミラを帰したい。

 だがカイル一人では魔物退治は出来ない。


 昼食が終わると二人はネルウィンの家を出た。


「あの、私も行きましょうか?」

 ネルウィンが躊躇ためらいがちに訊ねてきた。

 だが行きたくないと思っているのは明らかだ。

「行けば必ず出るんでしょ」

「はい」

「ならいいわよ。そこで吉報きっぽうを待ってて」

 ミラは手を振って断った。

 どうせいてこられても足手纏あしでまといにしかならない。

 カイルも二人同時に守りきれる自信はなかった。

 ラースの為にもミラを無事に連れ戻さなければならないのだ。


「じゃ、案内よろしくね」

 ネルウィンが行ってしまうとミラはカイルの方を向いた。

「覚えてないの!?」

「あんたが聞いてたじゃない」

「ホントにやる気あんのかよ!」

「そっちこそなんのためにいてきたのよ。魔物退治は私がやってあげるんだから道案内くらいしてよね」

「ったく」

 カイルは溜息をいた。

 それからミラに、

「ね、ホントにやるの? レラスに戻ってラースに頼んだ方が……」

 と訊ねた。

「あんたもあのお墓、見たでしょ。一日伸ばせばそれだけ犠牲者が増えるのよ」

 ミラはそう言うと歩き出した。

 基本的に人助けは嫌いではないようだ。

 神官の仕事を嫌がるのは周りからうるさい事を言われるせいだろう。

 確かに集団生活の神官より一匹狼の魔術師の方が向いているのかもしれない。

 暴走を止める人間がいなくなったらどうなるのかと考えるとちょっと恐ろしい気がしないでもないが。

 ラースの言葉がよみがえった。

 悪い子じゃない、か……。


「疲れた! もう歩けない! あんたホントに道間違えてないんでしょうね!」

 ミラがその場に座り込んだ。

 カイルも疲労ひろうしていた。

「そのはずだけど……」

 もうかなり歩いているのに魔物の気配すら感じられない。

 朝早くから歩き詰めなのだ。

 小柄なミラはカイル以上に体力を消耗しょうもうしているだろう。

 身体も華奢きゃしゃだし……。

 一応、地図を開いてみたが道も目印もない山の中だ。

 正しいのか間違っているのかも定かではない。

「ひょっとしてお腹一杯になったから寝ちゃったとか」

「そんなバカな……」

 カイルが言い掛けた時、


『……に答えよ』


 低い声が辺りに鳴り響いた。


「出た!」

 ミラがはじかれたように立ち上がった。

 強い意識のようなものが辺りに渦巻うずまいている。

 邪悪な気配は感じない。

 けれど胸の奥の何かが危険を知らせていた。

 ダメだ!

 いけない!

 けれど何がいけないのか分からない。

 確か前にもこんな事があった気が……。


いま一度いちどう。

 われの眠りを覚ましたものは誰か』


「知らないわよ、そんな事」

 ミラは素気そっけなく答えた。


『我が問いに答えよ。

 我の眠りを覚ました者は誰か』


 目に見えないものの気配が強くなる。


「そこ!」

 ミラが気配に向かって火球を飛ばした。

 が、火球は真っ直ぐに飛んで行って樹を一本すみに変えただけだった。

「ミラ! 火事になったらどうするんだよ!」

 声は同じ問いを繰り返していた。


『我が問いに答えよ。

 目覚めの鐘を鳴らしたものは誰か』


「目覚めの……鐘?」

 カイルの脳裏にヘメラの魔物がよぎった。

 まさか……あれと関係あるのか?

「知ってるの?」

 ミラがカイルの表情を見て訊ねた。

 立ちくしているカイルの代わりにミラが、

「答えが聞きたいなら姿を現しなさいよ」

 と言った。


 その途端に地面が波打ち始めた。

 二人の前方の地面が盛り上がり始める。


「な、何?」

 大きな揺れにミラがよろめき、背後の木に激突げきとつしそうになる。

 咄嗟とっさにミラの腕を掴む。

 が、支える事が出来ず、そのまま一緒に転んでしまった。

 地面の隆起りゅうきは止まらず、樹々が根こそぎ倒れていく。

 土埃つちぼこりきりのように辺りを包み込んだ。

 カイルはミラの上にかぶさって伏せたまま地面に伏せていた。

 次々と倒れてくる樹につぶされないように自分達の周りに障壁を張って揺れが収まるのを待った。


       四


 大分経ってから、ようやく地面の揺れと地響きが終わった。

 土煙つちけむりおさまると巨大な魔物が姿を現していた。

 頭だけ。

 首だけというべきか。

 長い首とその先の頭だけが地面から突き出していた。

 わずかに開いた口から覗く歯はカイルの身長よりも長そうだった。

 頭はすぐ側にあるように見えるがもしかしたら結構離れているのかもしれない。

 周囲の樹々は全て倒れてしまっているし空を背景にしている。

 辺りに大きさを比較出来る物が無いから遠近感は当てにならない。

 しかし頭があったところに空いている穴は相当広く深い。

 首もかなり長い。

 当然それなりの太さがある。

 身体はまだ地面に埋まっているのだろう。


 首の長さと頭の大きさからして体全体だとこの山くらいはありそうだ。

 山……?

 一瞬、何かが脳裏をかすめた。

 けれど今はそれどころではない。

 魔物の周りの地面から何本もの触手が生えていた。

 下手な大木よりも太い触手が、それ自体いのちがあるように動いている。

 動く度に灰色のうろこが陽射しを浴びて虹色にじいろに光った。


「出たわね、化け物!」

 ミラは立ち上がると魔物を睨み付けた。

 これだけの大きさにも関わらずおびえた様子は無いのだから度胸だけは大したものだ。

 魔物は黄色い瞳で二人を見詰めていた。


 いきなり魔物が巨大な火柱で包まれる。

 ミラが魔法を使ったのだ。

 だが炎はすぐに消えてしまった。

 魔物はかすり傷一つっていない。

 不意に触手の動きが止まった。

 咄嗟とっさにカイルはミラを押し倒した。

 二人の頭上を触手しょくしゅかすめていった。

 続いて別の触手が伸びてくる。

 カイルは障壁を張った。

 が、二人は障壁ごと弾き飛ばされてしまった。


「きゃ!」「うわっ!」

 二人が地面に転がる。

 魔物が出てきた時の揺れで地面は柔らかくなっていた。

 お陰で地面に叩き付けられた衝撃は吸収された。

「このぉ!」

 ミラが魔物の開いた口めがけて火球を投じた。

 カイルが障壁を張る。

 これだけ近くで爆発したら自分達も巻き添えを食う。

 魔物の口の中で火球が収縮して爆発的な閃光を放つ。

 一瞬、眩しい光で辺りが見えなくなった。

 土が溶けた嫌な匂いが辺りに立ちこめる。


 だが収まった光の向こうから姿を現した魔物はやはり無傷だった。


「どうしてよ!」

 ミラのテル・シュトラでもダメなのか?

 なら、どうすれば……。

 再び魔物が触手を伸ばしてきた。

 障壁が無駄なのは分かっている。

 カイルはミラの手を引いて地面の裂け目に飛び込んだ。

 地割れは幅は広かったものの深さは腰くらいまでしかない。


 二人は四つん這いになってその場から離れた。

 少し移動したところで魔物の様子をうかがった。

 魔物は二人を捜すように視線を走らせながら触手で地面を打ち付けていた。


「あんたも見てないで手伝いなさいよ!」

「どうやって?」

「二人同時にテル・シュトラを打つのよ。二発同時に喰らえば……」

「それは無理」

「どうしてよ」

「僕は使えないから」

「バカ言ってんじゃないわよ。上級神官が……」

「ごめん。僕、攻撃魔法は一切使えないんだ」

「あんたが魔物倒したって話、聞いたわよ」

「あれは死霊だったから……神聖しんせい魔法の除霊で……」

「な……!」

 ミラが呆気にとられた表情でカイルを見詰みつめた。

「なんでそれを先に言わないのよ!」

「悪かったね。役に立たなくて」

 ミラは、いきなり肩を落とすと、

「ごめん。巻き込んじゃって」

 神妙な面持ちで謝った。


「え……?」

 カイルが面食らう。

「知ってたら連れてこなかったのに」

「僕が勝手にいてきたんだよ」

「連れてきたのよ。当てに出来ると思って」

「え?」

「一人で来たければ夕辺のうちに抜け出してたわよ」

 再びラースの言葉がよみがえる。

 本当はい子なんだ。

 ラース……。


「あのさ、僕がおとりになるから君は逃げてラース呼んできてよ」

「そんな事したら私がラースに殺されちゃうわよ!」

「大丈夫だよ」

「何が大丈夫なのよ。障壁張ったってはじき飛ばされちゃうくせに」

「そうじゃなく……」

「とにかく、逃げるなんてダメ! 役に立たないならせめて知恵を出しなさい!」

「知恵って……」

「危ない!」

 誰かの声に振り向くと二人に向かって触手が伸びてくるところだった。


 咄嗟とっさに障壁を張ろうとした時、地面から土の刃が生えてきて触手を貫いた。

 大地系の魔法、大地の剣イス・レズルか……。

 ちぎれた触手が地面に転がる。

 それと前後して倒木の影から飛び出してきた人影が別の触手を斬り付けた。

 魔物はまるでこたえた様子がない。


「ミラ! 大丈夫!?」

 カイルは急いでミラに声を掛けた。

「うん」

「そこの二人! こいつは力そのものエネルギーをぶつけるような魔法じゃダメだぜ!」

 低い声からして男だと言う事は間違いなさそうだが……。

 長袖に下履きズボン、手袋に皮の長靴ブーツ、そのうえ頭と顔に布を巻いている。

 顔は全く分からない。

 黙っていれば性別も分からなかっただろう。

 その男が走り出すと魔物はそちらに気を取られた。

 魔物がカイル達の方を向きそうになる度に斬り付けて注意を引いてくれている。


「どういう事?」

 ミラはカイルに説明を求めた。

「つまり、イス・レズルとか、イス・ラスルとか、主に大地系の……」

「それ、どんなヤツ?」

「習ってないの?」

「習ったわよ……多分。でも名前聞いても分かんない」

「どういう勉強の仕方してきたんだよ!」

「しょうがないでしょ!」

「イス・レズルってのは大地の剣だよ。土でできた剣で大きくて……」

 説明してもミラは首をかしげている。

 カイルは呆れてミラを見た。

 ラースはホントにミラに魔法を教えたのか?

聖句せいく言えば出来る?」

「多分……」

 ミラが心許こころもとなさそうな表情でうなずく。

 カイルは一抹いちまつの不安を覚えながらも聖句をとなえ始めた。


「偉大なる大地母神の御手みてより生まれし大いなるつるぎ

 長きやいばは天高くそびえ雲を貫く。

 そのするど万物ばんぶつを切り裂く。

 その力、何人なんぴとたりともかなわず」

 カイルが言い終える前に巨大な剣が魔物の首を串刺くしざしにした。


「――――!」

 魔物は声もなく絶命ぜつめいした。


「やったー!」

 ミラが嬉しそうな声を上げた。

 カイルは呆気に取られて剣を見上げた。


 確かに雲を貫くほど高くそびえ立っているし刃の身幅みはばも谷をふさいでしまうくらい広い。

 けれど本当のイス・レズルはさっき魔物の触手を斬り裂いた魔法のように大地から土の刃だけが突き出すはずなのだ。

 ミラが出したものはつかつばがある。

 カイルは自分が言った聖句を思い返してみた。

 そうか……。

「長き」の前に「大地よりいでし」っていうの忘れてたんだ。

 けど……一言抜かしたくらいでこんなに違うものが出てくるものなのか?

 その時、不意に異様な感覚に見舞われた。

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