第4話 そしてまた日常
「迷惑です。やめてください」
目の前の女の子が、きっぱりとそう言い切った。
気持ち悪いナンパをしてきた俺を見る、軽蔑の念の入り交じった冷たい目。
「まあそう言わないでさあ」
A太が猫なで声を出す。
と、彼女が不意に俺の背後に目を向けた。
その顔が、ぱあっと華やいだ表情に変わる。俺に向けていたのとは180度違う、まるでいっぺんに花が開いたみたいな笑顔。
「ユズル君!」
「ごめん、サエちゃん」
俺の背後から近付いてきた爽やかなイケメンが言った。
「間違えて向こうの出口から出ちゃったよ」
「もう、遅いよ」
俺の脇をすり抜けて、女の子はイケメンに駆け寄る。
「おかげで変な人たちに絡まれちゃったじゃん」
「ごめんごめん」
嬉しそうに自分に腕を絡めてくる女の子に、笑顔で謝るイケメン。
「ちっ、何だよ。男付きかよ」
A太が舌打ちしてズボンのポケットに両手を突っ込むと、二人に背を向けた。
「時間無駄にしちまったぜ」
そう捨て台詞を吐いて立ち去ろうとするA太が眉をひそめる。
「……おい、B介」
低い声でそう言われて、はっと我に返った。
ひどく険しい顔で二人を見つめていた自分に気付く。
本当は俺もA太と同じタイミングで「つまんねえの。次行こうぜ、次!」と言って立ち去るはずだった。
だが俺は、もう俺たちナンパ野郎のことなどまるで眼中にない二人から目が離せなかった。
女の子の素朴な顔立ちが、少しだけ似ていたから。
あの子に。
梨夏ちゃんに。
ナンパしている最中、あの笑顔がちらついてしまった。
俺の声掛けに、嬉しそうに顔を輝かせてくれた梨夏ちゃんの顔。
それが、今目の前にいるこの子が見せた冷たい表情と重なってしまう。
今頃、どこかで梨夏ちゃんも俺みたいなナンパ野郎にあんな目を向けてから、俺じゃない別の誰かにあんな笑顔を見せているのか。
そう思ったら、目が離せなくなってしまったのだ。
「B介!」
A太に強く肩を掴まれた。
「おら、行くぞ」
「……ああ」
俺は首を振って二人から目を逸らす。
「つまんねえな、行こうぜ!」
そう言い捨ててA太の肩を抱き、その場を立ち去った。
「どうしたんだよ、B介」
路地裏の縁石に腰かけてコーラを飲みながら、A太は俺の顔を見た。
「お前らしくねえぞ。離脱のタイミング思いっきりミスってたじゃねえか」
「悪い」
言い訳のしようもない。
モブのナンパ野郎として、最悪のできだった。
物語の歯車として、悪目立ちすることなくストーリーを円滑に進めること。
それがモブの役割であり、矜持だ。
主人公たちがいくら頑張っても、俺たちモブがいなければ物語は進まない。
主人公だけだったら、物語は全て密室の二人芝居みたいなこじんまりとしたものばかりになってしまう。
俺たちモブは、読者に物語世界の奥行きや広がりを感じさせる存在でもあるのだ。
しかし、だからといってメインキャラクターだけでなくモブまでが個性を出そうとして自由に動き始めれば、読者は誰に目を向けていいのか分からなくなるし、物語の軸が揺らいでしまう。
だからこそ、モブには物語の歯車となることが求められるのだ。
さっきみたいな、「彼氏が遅刻してきたら、彼女はもうナンパ男に囲まれてしまっていた。やっぱりあの子は可愛いから、ちょっとでも目を離したら危ないなあ」ということを言いたいだけの場面で、ナンパ男がもたもたぐずぐずしていたら、物語のテンポが損なわれる。
この場面での俺たちは、「彼女はモテる」という意味付けのための記号に過ぎないのだから。
「疲れてるんだろ」
A太はそう言ってコーラの缶を揺らす。
「よし。今日はあと一件だし、終わったら飲みに行くか」
「飲みか」
いいな、と答えかけて俺は首を振る。
「悪い。今月、全然金がないんだ」
能勢梨夏ちゃんとの想定外のデート(らしきもの)から、もう十日が経っていた。
もちろんその後、梨夏ちゃんと再会なんてしていないし、あの子がどうなったのかも分からない。
酒を飲ませてしまった身として、ちゃんと次の駅で降りてアパートに着いていてほしいと願うばかりだ。
時々、あの日の出来事は夢だったんじゃないかと思うこともあるが、それでも彼女におごったせいですっかり軽くなった財布が、あれが間違いなく現実だったことを証明していた。
次の給料日まで、飲みに行くような余裕はない。
「こないだの件もあるし、おごってやるよ」
A太はそう言って、自分の尻ポケットに刺さっているジャラジャラと鎖の付いた財布を叩く。
「いいのかよ」
「任せろって」
A太はぐいっとコーラを飲み干した。
「こないだ、競馬場で観客のモブやったときに、ついでに馬券買ったら当たった」
「マジかよ。すげえ」
現金なもので、途端に元気が出てきた。
俺も缶コーヒーを飲み干して立ち上がる。
「よっしゃ、それならあと一件。頑張りますか」
「め、迷惑だって言ってるじゃないですか!」
ヤカラ二人に詰め寄られ、踏ん張った足が小刻みに震えている。
童顔で小柄な彼はそれでも必死に、彼女を守るように俺たちの前に立ちはだかっていた。
「迷惑うぅ? 一緒に遊ぼうって言うのがどうしてそんなに迷惑なんだよぅ」
A太が首をグネグネと動かして彼を睨みつける。
「友達同士が遊んじゃいけないって決まりでもあんのかよぅ。ああん?」
「ねー、彼女ぉ。俺たちってもう友達だよねー」
俺も彼の後ろで身をすくめている女の子に手を振ってそう声を掛ける。
今回の俺たちは、ヤカラ度高めだ。
俺はパーカーのフードまでかぶってしまっている。
「と、友達じゃないです」
震える声で彼女が言った。
「もう、私たちに構わないでください」
「ほら、彼女だってそう言ってるじゃないですか!」
彼が必死に声を張り上げる。
「えぇ? それならこれからお友達になろうよぅ」
「彼氏かわいそうに。足震わせちゃって」
俺は口を歪めて、ひひひ、と笑った。
「無理しない方がいいよー?」
それでも彼は歯をぐっと食いしばってそこをどかない。
おー、男だねえ。
その時。
ぴぴぴぴぴっ。
けたたましい警笛の音とともに、制服の警察官が走ってきた。
「こらー、お前ら何やってるんだ!」
おお、あれはモブ仲間のジュンさん。
今日はこっちの交番に出張ってましたか。
ジュンさん、険しい顔をしているが、制帽に隠れた目は少し笑っている気がする。分かるよ、思わぬところで知り合いに会うと嬉しいもんね。
ジュンさんっていうのももちろん、ちゃんとした名前じゃない。警察官モブをよくやる人で、階級が常に巡査だからジュンさんって呼ばれてるだけだ。
「やっべ。マッポだ!」
「行こうぜ!」
俺たちは背中を丸めるようにして走り出す。
「こら、待てー!」
ジュンさんが追いかけてくる。だが、絶妙な速度調整で決して追いつかない。
追いついたら俺たちは捕まってしまうし、そうしたら彼と彼女も事件関係者になってしまう。
恋愛ものでそんなことに時間を割くわけにはいかないので、ここは三人ともに彼らの視界からフレームアウトするのが正解。
ちらりと振り返ると、ジュンさんの肩越しに、まだ彼女を守るように立ったままの彼が見えた。その背中に、安心したように彼女が抱きつく。
よし。うまくやれよ。
それだけ見届けると、俺は走る速度を上げた。
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