第195話 拾われ子と惨禍 十八

 槍の穂先がオーガの頬を掠めた。オーガの右肩が動いた瞬間、嫌な予感を覚えてニコラスは反射的に魔法を発動させる。


「……!」


 叩き割る音が響く。ニコラスの眼前で、咄嗟に出した大地の盾アースシールドが崩れてオーガの拳が見えた。


「ア、大地の楔アースウェッジ!」


 地面から突き出した大きく鋭利な岩がオーガに向かう。しかし、オーガは岩を掴むと、尚も突き出ようとする勢いを押し止めて無理矢理へし折った。


「は!?」


「ヴンッ!!」


「うぇっ!?」


 折った岩の先端をナイフの様に振り下ろされ、ニコラスは既の所で躱すと後ろに飛び退いた。

 体勢を崩し、ほんの一瞬オーガから目を離す。すぐに視線を戻したニコラスは、腕を振ったオーガを見た。


「あっぶ!?」


 反射的に動いた顔の横を、猛烈な速さで折った岩の先端が飛んでいった。後方で何かに当たった音が聞こえ、ニコラスは頬に痛みと液体が伝うのを感じた。


「格外過ぎて意味解んねぇよ……!」


「フンッ」


「……?」


 オーガは拳を縦に振って瓦礫を砕く。小石程度の大きさになったそれらを握ると、ニコラスに向けて投げつけた。

 魔力を使わない石礫ストーンバレットがニコラスを襲う。


「だから意味解んねぇんだよ! 何だよ、そのデタラメな腕力!!」


 悪態を吐きながら飛んでくる石礫を避ける。


「(この速さのをまともに食らったら骨折か、下手したら貫通する……!)」


 石礫の嵐が止んだ。幾つかは避けきれなかったが、擦り傷で済んだ事にニコラスは息を吐く。

 腕や脚に感じる疼痛に苛立ちが募る。同時に、焦りと嫌な予感もじわじわと増幅していた。


「(くそ……痛ぇ……!)」


 属性不和のせいか、塞がりきらなかった脇腹の傷が再び強く痛みを声高に主張していた。集中力がもたなくなってきているのを自覚したニコラスは、槍を握る手に力が込める。


「(……時間は掛けてられねぇ。やるしかねぇ)」


 ニコラスは意を決して前に走る。


「はぁっ!」


 突き出した槍はオーガの胸に僅かに食い込み、止まった。


「!? くっ!」


 直ぐに引き、連続で刺突を繰り返す。


「せやぁぁっ!」


 乱れ突きは全て当たっている。しかし、堅牢な皮膚とその下の筋肉が槍を塞き止める。


「(硬ぇ……! でもそれだけじゃね、ぇ!?)」


 痛みで途切れ途切れになる集中力で、身体強化ストレングスが常時発動出来なくなっていた。槍を握る手に力が入らず、ずるりと滑る。


「しまった……!」


バランスを崩したニコラスの顔を、オーガが掴んだ。


「(まずっ――)」


「ゴァァアッ!」


 掴まれた勢いそのままに、ニコラスは地面に叩き付けられた。


「がっ……!」


 後頭部に走る痛みに、薄れた意識の中でふと思い浮かんだのは父親だった。


「(……何で、こんな時に思い出すのがクソ野郎なんだよ……)」


 男手ひとつでニコラスを育てた父親は、ハンターだった。

 いつも傷だらけになって帰ってきたが、その日の戦いぶりを聞くのが子どもの頃は何よりも楽しみだった。後ろから見るその背中は、広く大きく、幼いニコラスの憧れであり、絶対に父の様なハンターになりたいと思っていた。

 その憧れは、ハンターになってもニコラスの中に在り続けたが、ある日粉々に崩れ去る。


「(俺は違う……絶対に、クソ親父みてぇにはならねぇ……)」


 圧倒的な強さの敵に恐怖し、死に怯え、自分の命惜しさにあろうことか依頼人にモンスターを擦り付けた。

 ハンターとハンターズギルドへの信頼を失墜させた父親は、指名手配となった。ギルドに手配書を貼られた父親はハンターに捕らえられ、終身奴隷になった。その日、憧れのハンターだった父親はニコラスの中で死んだのだ。

 罪を犯したハンターの話は各ギルド間で共有される。父親の成れ果てに、ニコラスは大いに失望し、軽蔑した。周囲から向けられる白い目と、父親との思い出が嫌でも過ぎる町に嫌気がさし、故郷を捨てた。

 自分の中にあった何か大切なものが失くなった感覚は、ニコラスのやる気も失せさせた。


 それでも生きていく為には稼ぐ必要がある。自身の鋭い直感も手伝って、手っ取り早く稼げる指名手配狩りをしながら、たまにギャンブルで金を増やしたり減らしたり。そんな生活の中で、ハンターとしての誇りはいつの間にか薄れていた。

 父と同じランクになっても、食うのと、時々色町で遊ぶのに困らない程度に稼いでのらりくらりと生きる日々を続けた。


 そんな折、たまたま一緒に捜索救難依頼を請けて組んだ子どもは、何かにつけて一生懸命だった。純粋でまっすぐで、誰かを助ける為の苦労を厭わない。特殊個体相手に死にかけても、逃げずに立ち向かった。

 ハンターだった養祖父を語る時の目に翳りはなく、自身が目指すハンター像に近付こうとする姿は眩しい。


「(……昔の俺も、あんな感じだったのかね……)」


 擦れた大人になった今、残滓すら失くなってしまった幼き日の純真な自分に、ニコラスは少しだけ申し訳なく思った。


「(……あいつは、今の時点で俺より立派な奴だ。俺より強ぇし、将来もっと凄ぇ奴になる。もっと多くの人間やつらを助けられるハンターになれる)」


 後頭部が濡れる感覚。全身の傷から流れ出る血と一緒に、身体の中から力も抜けてしまっている様な感覚に陥る。槍を握ろうとしても、力が入らない。


「(オーガ相手にこのザマな俺と違って、スイならアレックスと一緒に戦えばきっとドラゴンだって倒せる……)」


 ニコラスは歯を食いしばると、意地と集中力を振り絞って身体強化を己に掛けた。


「(あいつを出来るだけ万全の状態でアレックスの所に行かせるのが、俺がやるべき事だ。こんな奴相手に消耗させる訳にはいかねぇ)」


 右手が、力強く槍を握った。


「るぁぁぁっ!」


「!!」


 オーガの左肩が抉られる。驚き、手を離したオーガが離れるとニコラスはゆらりと立ち上がった。


「くっそ痛ぇ……馬鹿みてぇに馬鹿みてぇな力で馬鹿みてぇに掴みやがって。この脳筋野郎が」


 アイテムポーチに手を突っ込んだニコラスは、残っていた痛み止めを全部掴むと口の中に放り込み、がりがりと音を立てて齧ると飲み込んだ。


「そろそろ終わりにしようぜ。じゃねぇと、先に行かせたあいつが戻ってきちまって俺が格好つかねぇからな」


「ゴァァァ……!」


 傷を負わされ、怒りを顕にしたオーガが殺気を放つ。並の人間なら震えて動けなくなるだろうそれに、ニコラスは真っ向から対峙する。


「流石はB+。肌がビリビリしやがる。でもな、俺だって意地ってもんがある。天災ドラゴンを歳下二人が倒そうとしてんのに、歳上の俺がテメェ程度にやられる訳にはいかねーんだ、よっ!!」


 踏み出して一突き。掴まれて振り回されるが、手を離さず勢いを利用してオーガの頭に蹴りを入れた。そのまま岩礫ロックバレットを頭に射ち込む。


「グアァ……!」


「そこだ!」


 オーガがふらついた好機を見逃さず、ニコラスは首に槍を突き出した。しかし、貫かれる寸前でオーガの手がそれを掴んで止めた。槍を引っ張られ、ニコラスは体勢を崩される。


「何っ……!?」


 赤黒い眼と至近距離で目が合う。大きく開いた口から伸びる、鋭く長い二本の牙がニコラスの首に突き立った。


「―――」


 灼ける様な痛みが首から全身に向かって走った。深く入り込んだ牙が抜け、ニコラスの身体が後ろに傾ぐ。


「(腕力馬鹿なら最後まで腕力で攻撃してこいよ、馬鹿野郎)」


 やけにゆっくりと倒れる様な感覚に陥りながら、ニコラスはオーガに向けて左手を伸ばした。


「――岩棘ロックニードル


「ゴルァァッ!?」


 オーガの左目を尖った岩が穿った。予想だにしなかった反撃と痛みに、オーガが怯む。


「今度こそ、これで終わりだ」


 渾身の一突きが、オーガに向かって繰り出された。


 一方、闘技場に親子を避難させたスイは治癒士に捕まり、強制的に治療を受けさせられていた。


「あっ!? ハンタースイ、まだです!」


『もう大丈夫です! すみません、回復薬いただきます!』


 極回復薬を一瓶強奪して、スイはニコラスの元へ走った。

 身体が壊れ始める限界まで呼吸法で強化して、全速力で走った先でスイの目に映ったのは、胸に穴を開けて地面に倒れたオーガと、座り込むニコラス。


『ニコさん! 回復薬を持って来――』


 安堵の息を吐いてニコラスに近付いたスイは、足を止めた。

 目を閉じたニコラスの首は左側に穴が空き、大量の血に上半身を濡らしていた。


『ニコ……さ……』


 スイが震える声で呼ぶと、槍に添えられたニコラスの手が微かに動いた。すかさず、スイはアイテムポーチに手を入れて極回復薬を取り出す。


『ニコさん! 回復薬です! すぐに飲ん――』


「……いや……いい……」


 ほんの少しだけ首を振って、か細い声でニコラスは拒否した。ゆっくりと顔を上げたが、その目はスイを見ているようで見ていない。


「……さっきは、わるかったな……どなってよ……」


『…………っ!!』


 否定の言葉は喉で詰まり、声にならなかった。スイは首を激しく左右に振って意思表示をする。


「いいてーことは……いろいろ……あるけどさ……もう、あんま……じかん、ねぇみたいだから……これ、たのむわ」


 僅かに上がった右手が握っているのはニコラスの槍と、ハンターの証だ。

 それが意味する事に、スイは耐えきれずに涙を流す。


『(わ、私が、残っていれば……やっぱり一緒に戦っていたら……っ!)』


 ハンターとしての判断はニコラスの方が正しかったと、スイも頭では解っている。

 それでも、どうしても自分が戦っていればと、もしくは他に方法があったのではないかと考えてしまう。

 ふと、スイの脳裏に、永別の日のマリクの言葉が蘇った。


”どの道を選んでも後悔すると解っていても、どれかを選ばなきゃならねぇ時がきっと来る”


『………………っっ!!』


 突き刺さる最期の言葉に、スイの目から更に涙が溢れた。


『(これが、そうなんですか……? おじいさまが言っていたのは、この事だったんですか……?)』


 震える手で、槍とハンターの証を受け取るとニコラスは安心した様に微笑った。


「……わりぃ、あとは、たのんだ……アレッ、クスにも、いっとい……てく…………」


『……ニコさん……? ニコさんっ!』


 かくり、と力を無くして俯いたニコラスは、もう言葉を返さない。


『あ……ぁぁぁ、うあぁぁぁぁ…………!!』


 スイは、頭を抱える様にニコラスを抱きしめて慟哭する。

 酷く強い後悔が、スイの心を大きく深く抉った。

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