エピローグ

締め ~部屋にて~

「先生、大変です! 一大事です! 由々しき事態が発生しました!」


 東城道夢は大声をあげながら、事務所として使っている部屋に飛び込んだ。反省の意味を込めてきれいに剃りあげられている頭部には、汗の玉がいくつも浮いている。


「朝からなんとも騒々しいけれど、きみの『残念な下半身』になにか特別な変化でも――」


「そんなんじゃありませんっ!」


 成明の言葉をさえぎって道夢は言下に否定した。その話題は今一番触れられたくはないデリケートな部分なのだ。


「健全な男子高校生なら朝は元気なはずなんだけどね。だいたい、きみの下半身以外で大変なことなど、ここにはないと思うけれど」

 

 成明は大きな窓ガラスを背にして、外国製の高級なイスに悠々と座っていた。手にはフリーペーパーを持っている。フリーペーパーは歌舞伎町で無料で配られていたものを、道夢がもらってきたのだ。歌舞伎町に点在する、無数の水商売と風俗のショップ案内である。


「とにかく、今はボクの下半身のことはいいです。大変なのは――」


 道夢が言い終わらないうちに、大変の元凶が勝手に事務所に入ってきた。


「こんにちは。まさかこうして日を置かずに再会できるなんて、本当にうれしいわ」


 呆然とする二人に対して、冷淡な笑みを浮かべる氷のような美貌を持つ女刑事。


「まさか、また盗撮でもしたんじゃ――」


「そんなことするわけないでしょ。そもそも、わたしは盗撮なんて一度もしてないわよ」


 成明の抗議の言葉を、すぐに否定する麗子である。


「だったら、あのホテルにぼくがいたときのことは――」


「あら、気がつかなかったの? わたしも式神を操れるのよ。もっとも、わたしが操れるのは人間の式神だけどね」


「――そうか、あのホテルのボーイだな」


 今ようやく気が付いたというように成明は言った。


「正義感あふれる心がきれいな刑事のために、いろいろとあなたのことを教えてくれたのよ。まあ、ホテルの部屋に何人も女性を連れ込んでいれば、ホテルのボーイの受けが悪くなるのは当然でしょうけどね」


 麗子は悪びれることなくさらりと言うと、当たり前のようにソファに腰をおろした。


「でも、あのボーイにはこのビルのことは話していないはずだけど」


「簡単な推理から導いたのよ。例のニセ安倍晴明事件の後に、京都の神社にお礼の電話をいれたの」


「まったく、君は本当に余計なことをしてくれるよ」


 成明は端正な顔を歪めた。


「その余計なことをしたからこそ、あなたの居場所が分かったのよ。神社に電話をしたら、逆にあなたの居場所をしつこく聞かれてね。賀茂さんといったかしら? 晴明神社の禰宜ねぎさんで、あなたの生活指導担当だそうね」


「彼は悪い人ではないけれど、礼節を重んじる頭の堅い人なんだよ」


「あなたが京に帰っていないと賀茂さんに教えられたから、どこにいるのか私なりに推理してみたのよ。まず最初に思い浮かんだのが、東京にある神社関係の建物よ。でも、神社関係の建物にいるとしたら、賀茂さんにも連絡がいっているはず。賀茂さんが知らないとしたら、神社関係はわざと外したということになる。そこで、つい最近、不動産関係の人間と会ったことを思い出したの。残る居場所はここしかないと思ったわ。あのとき、わたしが席を外したときに、二人で約束を交わしたんじゃないの? 性的な呪術をかける代わりに、このビルを譲り受けるとね」


 麗子は部屋の中をぐるりと見回すように視線を動かした。内装こそ様変わりしているが、この部屋は元々、蔵元トメがリビング代わりに使っていた部屋だった。


「上手い取り引きを持ちかけたわね。さすがにわたしもここまでするとは思ってもいなかったけど。陰陽師が依頼人相手に詐欺まがいの取り引きをするなんて、本当に世も末よね」


「なんだか随分な言われようだけど、これは向こうから持ち掛けてきた話なんだよ」


「まさかトメさんの方から?」


「そうだよ。トメさんからだよ」


「ひひひひぃぃぃぃぃぃ……」


 道夢は二人の口から出たトメの名前を聞いて、思わず悲鳴じみた声を漏らした。脳裏に悪夢のベッドシーンが再現される。忘れたいのに、忘れられない。なぜならば、道夢の下半身の状態が、それを決して忘れさせないからだった。


「あ、あ、あの……先生。ト、ト、トメさんの話を、するなら……ボ、ボ、ボクは……せ、せ、先生に頼まれた買出しに、いってきますねっ!」


 道夢は成明の返事を聞く前に、部屋を飛び出した。


「あらあら。もしかして、トメさんの説教がトラウマになっちゃったのかしら?」


「トラウマよりももっとひどい状態だよ。あれ以来、下半身の元気が戻らなくなったみたいだからね」


「それはそれは、一大事だこと」


 いつもは冷然とした麗子の顔に、珍しく人間身あふれる苦笑いが浮かんだ。


「高校生といったら、一番多感な時期なのにね。そんなときに下半身に元気がないんじゃ、未来も青春も真っ暗なままね」


「前に君にも話しただろう。陰陽道に限らず呪術の中には、性的な技がいくつもある。その技を習得できれば、下半身に元気が戻るかもしれないと教えたら、すぐにお手伝いさんとして雇って欲しいと頼まれてね。ぼくとしても、呪術的な素養を持っている彼のことを放っておくよりは、身近に置いて見ていた方が安心出来ると思ったから、ここに置いておくことにしたんだよ」


「お優しいことね」


「トメさんが言うには、彼は初恋の人に似ていたらしいよ」


「道夢くんのこと?」


「ああ、そうだよ。死期を宣告されたトメさんの前に、初恋の相手の面影を持った少年が現われた。そこで最後の望みだからと言われたから、ぼくとしても断り切れなかったんだよ。というわけで、あの日、ぼくはトメさんに性的な力が回復する術をかけた。そのお礼として、このビルを譲り受けることになったというわけさ。これで京に帰ることなく、東京でのんびりできる環境が出来あがった。あとは、今目の前にいる人間がいち早く部屋から出て行ってくれさえしたら、完全に楽園になるんだけどね」


 成明はイヤミたっぷりの言葉をあてつけるように麗子に言った。


「そんなことは言われないでも分かっているわ。わたしはあなたの居場所が知りたかっただけだから。事件の調査の依頼にきたわけではないから安心して。あなたもお忙しい身だろうから、今日は早々に帰らせてもらうことにするわ。――そうだ。その前に、電話だけかけさせてもらってもいいかしら?」


「どうぞ、ごゆっくりかけてください。君とこうして会うのも、これで最後だからね。ぼくも最後くらいは君に親切にするよ」


「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらって、電話をかけさせてもらうわね」


 麗子はスーツの内ポケットから取り出したスマホで、どこかに電話をする。すぐにつながり、相手が応対した。


「はい、晴明神社ですが――」


 スマホはスピーカーホンになっており、相手の声が部屋に響きわたった。


 成明は無言で麗子をにらみつけた。


「賀茂さんに、あなたの居場所を伝える約束をしていたのを、すっかり忘れていたわ。こんな大事なことを忘れるなんて、刑事として本当に失格よね」


 麗子は冷然と笑みを浮かべたまま、バックからとりだした封筒を、これ見よがしにゆっくりとテーブルの上に並べていく。捜査0課に持ち込まれた、怪異現象が引き起こした人外の事件についての捜査資料の山である。

 

「そうそう。もうひとつ、言い忘れていたことがあったわ。つい最近、歌舞伎町でおかしな事件があったのよ。ホストクラブで双子の美少女が暴れ回ったらしいって話なのよね。もちろん、わたしはそんな話は信じていないわよ。評判が悪くて有名なホストクラブだったからね。被害者のホストたちは非合法のクスリで、頭がトリップしていただけかもしれないし。ただ、わたしの個人的な判断で、この事件を0課に回してもらって、都合がいいように揉み消すことが出来るけれど、どうしたらいいかしら? このまま放置しておいた方がいいかしら?」


「――いったい、ぼくにどうしろというんだよ?」


 成明は心底嫌そうに顔をしかめた。


「解決出来ずに捜査が止まったままの怪異な事件が、こんなにあって困っているのよ。どこかに怪異現象に詳しい凄腕の陰陽師さんはいないかしら?」


「刑事ならば『脅迫』という言葉は知ってるよね?」


「それって『協力』の間違いじゃないかしら?」


「『強要』という言葉もあるよ」


「『協調』と置き換えてもいいんじゃないの? 日本語ってすてきよね。相手の受け取り方しだいで、こんなにも違うんだから」


 どうやら口撃力こうげきりょくは麗子に分がありそうだ。


「――いいかい、協力しろということならば、最初にいっておくけど、ぼくは一ヵ月で五日しか働かないからね」


「最低でも月の半分――十五日は働いてもらわないと、事件が増えていくばかりだわ」


「どう頑張っても一週間が限度だね。陰陽師といっても、無限の力があるわけじゃないんだから」


「分かったわ。十日で手を打ちましょう」


「――それから、今度からはギャラもしっかりともらうよ」


「そこは警察の裏金をちゃんとあなたに回すから安心して。税金が掛からない素敵なお金よ。申告の手間が省けて大助かりでしょ?」


「君はそういうことを平然と言うから怖いんだよ」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


「――それから、こちらのプライベートな時間には一切踏みいらないことも約束してもらうから。もちろん、盗撮も人を使っての監視もお断りだよ」


「分かったわ」


「賀茂さんにも、ぼくの居場所を教えないこと。絶対にね」


「了解したわ」


「怪異現象絡みの事件の調査をするなら、警察のバックアップも必要不可欠だからね」


「全国の警察組織が全面的にあなたのことをバックアップすると約束するわ。もちろん、わたしも先頭にたってあなたの調査に協力するわよ。――他になにかまだ御要望はあるかしら?」


 成明は答える代わりに、大きくため息をついた。

 

「まずは、ぼくの目の前にいる妖怪じみた女刑事をなんとかして欲しいよ。その辺の怪異現象よりも、何百倍もたちが悪いときているからね。まったく、やれやれだよ」




 こうして、陰陽師安倍成明と警視庁捜査0課の女刑事須佐之麗子との間で、怪異現象が引き起こす人外の事件についての調査協力が無事に締結されたのであった。



 二人が更なる活躍をするのは、これからである――。

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