第3話 呪符を受け取る
そのマンションは歌舞伎町のはずれに立っていた。外壁のあちらこちらに、不気味なひび割れが何本か走っている。半分枯れかけたような蔦が何十にも絡まって、窓のサッシに張り付いている。小さな子供なら絶対に寄り付かない、幽霊屋敷のようなマンションである。
「まさか、本物の幽霊が住んでいるわけじゃないよね」
成明は嫌そうな表情を隠すことなく、マンションを見上げた。
「安心して。幽霊は住んでいないわよ。そのかわり、幽霊じみたおばあちゃんが一人住んでいるけどね」
麗子は冷静に答えた。
「相変わらず嫌な言い方をするね」
成明はぼやきながら先を歩く麗子に続いて、マンションの中に入って行った。エレベーターホールに向かうと、麗子が慣れた手つきで壁のスイッチを押した。
「一階は事務所よ。今はほとんど使われていないみたいだけどね。二階から上を住まいとして使っているそうよ」
降りてきたエレベーターに乗って、二人は二階に向かう。
「依頼人は不動産業を営んでいて、歌舞伎町界隈に三棟の土地付きビルを所有している地主さんよ。このマンションも本人の持ちビルよ。今はここで悠々自適の隠居生活らしいわ」
「なるほど。たしかに高額のギャラが期待できそうな相手だね」
二人は二階で降りた。廊下の先のドアまで歩いて行くと、麗子がインターホンを押す。
「警視庁から来ました須佐之といいます。本日は特別な民間の協力者を連れていっしょにきました」
目の前のドアの鍵が遠隔操作で外れる音がした。
「民間の協力者なんてどこにもいないけどね。ここにいるのは民間の被害者だけだよ」
成明のつぶやきを無視して、麗子はドアを開けて入っていく。
部屋に入るとすぐに二十畳以上はあると思われるリビングが広がっていた。ビルの外観とは真逆で、ショールームを思わせるような豪華な内装と造りだった。
中央にあるソファセットに老婆がちょこんと座っており、二人が入ってくるのを待っていた。顔中しわだらけで、しわとしわの間に隠れるようにして、目と口が見える。
「悪いがこっちに来て、座って話してもらえるかい。足が弱くて歩くのも難儀してるんじゃ」
老婆に言われて、二人はソファに並んで座った。
「初めまして、警視庁の須佐之です」
最初に麗子が自己紹介をした。
「初めまして、安倍成明といいます」
成明も自己紹介をする。
「おー、あんたが陰陽師とかいう若者か。待っておったぞ」
老婆は成明の方に身を乗り出して成明の手を取ると、うれしそうに手の甲を撫で始めた。成明がやんわりと老婆の手を遠ざけようとしたが、すぐに老婆は成明の手を取って撫で撫でを再開する。
「こちらが今回の依頼人の
麗子の声はいつもの冷然としたものではなく、どこか面白がっている風なトーンである。
「最近は若い男と交流がないものだからの。こんな美形の男を前にしたら、何年か振りに興奮しちまったよ」
「――えーと、それで、気味の悪いモノが送られてきて困っているとのことですよね?」
撫で撫でするトメの手を嫌そうな目で見ながら成明は話を切り出した。
「おー、そうじゃった。今日はそのことでわざわざ来てもらったんじゃ。ほれ、これがその気味の悪いモノじゃよ」
トメはようやく成明の手を放すと、テーブルの下から十通近い茶封筒と、それと同じ数だけの紙切れの山を取り出して二人に見せた。紙切れはドクロの形だったり、墓石を思わせるイラストが書かれていたり、確かに気味の悪いモノだった。
二週間ほど前から、このおかしな茶封筒がマンションに届くようになり、それと時期を同じにして、トメは体調が悪くなったということだった。今年米寿を迎えるトメの年齢を考えれば、体調不良は年齢からくるものと考えられなくもなかったが、トメがこれは絶対に呪いのせいだと警察に訴え出たところ、巡り巡って捜査0課に処理が任され、さらに成明の元に捜査協力という名目で調査依頼が回ってきたということだった。
成明は送られてきた紙切れを一枚一枚手にとって、なにかを確認するように見ていく。
「やっぱりただの紙切れなのかしら?」
成明の隣に座る麗子の目が、鋭い刑事のものになっている。
「奇抜なデザインはともかくとして、この紙切れはぼくらの業界でいうところの霊符だと思うよ」
「レイフ?」
麗子が聞き返す。
「わしはあんたのワイフになりたいもんだ」
トメの言葉は二人によって黙殺された。
「簡単に言うと、神様の霊的な力が込められた、ありがたいお札といったところかな。この霊符はとくに誰かを呪う為の言葉が書かれているから、呪符とも呼ばれているものだよ」
「それじゃ、本物の呪いっていうことなの?」
「それもまた微妙なところなんだけどね。呪符にしては、呪いの力がまったく感じられないんだ。敢えて言うならば、バッタモンのニセモノの呪符と言えなくもないけれど。もしかしたら、素人がそれっぽく見せて作った物かもしれないな」
「呪符って、そんなに簡単に作れるものなの?」
「この程度のクオリティの物なら、パソコンとプリンターさえあれば、誰にでもすぐに出来るよ。よく雑誌の広告で見るだろう。この幸運のネックレスを買えば、宝くじで必ず一等が当たります。この香水をひと振り体に掛ければ、どんな女性でも口説き落とせます。まあ、そういった類いのものと同じだよ。呪いにしろ、占いにしろ、この手のグッズはいくらでも巷にあふれているからね。どの部分をとってニセモノとするかは曖昧だよ。まったく、身近に刑事の知り合いがいたら、取り締まりの強化をお願いしたいところだけどね」
「あいにくと詐欺罪は捜査二課が担当だから、わたしは部外者よ。それよりもニセモノとはいえ、この呪符でトメさんの体になにかしらの害は生じるものなの?」
「まあ、ニセモノでも、こんな気持ちの悪いものをもらったら、誰だって気分は悪くなるし、その影響で肉体的にもそうなるかもしれないね。重い持病を患っていたら、余計そう思い込んでしまう可能性もあるだろうし。もっとも、そのへんの事情については、ぼくの専門外だけどね。医者にしか分からないよ。――とにかく、この紙切れだけじゃ、他に答えは出せないよ。もう少しなにか情報が欲しいな」
「――トメさんは誰かに恨まれるような覚えはありませんか?」
麗子がトメに話を戻した。
「この年齢でこれだけの財産を持っていれば、恨まれない方がおかしいじゃろ」
トメは当たり前だといわんばかりの口調で答えた。
「ではその中でも、特に強く恨まれるよう人物はいないですか?」
「身内の恥をさらすのは心苦しいが、早くわしに死んでもらって遺産を相続したいと願っている者なら、何人かはいるじゃろうな」
「つまり誰かが遺産相続を目論んで、あなたのことを呪い殺そうとしているわけか。じゃあ、その人間をかたっぱしからここにいる暇な刑事さんに取り調べてもらうのが一番ですね」
成明は手っ取り早く女刑事に責任を押し付けるのだった。
「ちょっと待って。たとえ遺産相続を企んでいる誰かが呪い殺そうとしていたとしても、その呪いが本物かニセモノかに関係なく、現在の法律では呪いの存在自体が認められていないから、このままではどうすることも出来ないわ。呪符を送っただけでは罪には問えないし……。せいぜいが軽い微罪を無理やりこじつけて、逮捕出来るかどうかといったところよ」
麗子が刑事らしく説明した。
「例えそうだとしても、もうこの一件についてぼくの出る幕はないだろう?」
「まさか、呪いをかけられている可愛そうな老婆を見捨てるつもりかい?」
トメが再び成明の手を素早く取って、甲の部分を撫で撫でし始めた。
「いや、そもそも呪いなんてなかったわけですから――」
「そんな冷たいじゃないか。こうして出会ったのもなにかの縁じゃろ? 最後まで協力してくれんか」
「いや、だからぼくだって、警察に無理矢理ここに連れてこられてですね――」
成明は隠すことなくあからさまに迷惑そうな表情を浮かべると、トメの手から必死に逃れようと試みる。
二人が不毛なやりとりをしていると、インターホンが鳴った。
トメ宛になにか荷物が届いたようだ。
傍目にはじゃれ合っているようにしかみえない二人を残して、麗子がドアまで荷物を受け取りにいった。
「――どうやら、また届いたみたいよ」
リビングに戻ってきた麗子は、あの茶封筒を手にしていた。
「ほれ、これを見てちょうだい。また呪いの紙切れが届いたぞ。やっぱり、あんたにしっかり守ってもらわんと困るで」
トメは成明ににんまりと笑みを向けた。とても呪いを受けて体調を崩している人間とは思えない、快活そのものの笑顔である。
「どうせまた、あの気味の悪い紙切れじゃと思うが」
トメは乱暴に封を切ると、封筒の中に手を入れて――。
「うわっ! なんじゃ、これっ!」
トメの体に一瞬震えが走った。手から封筒を落として、腰が抜けたような形でソファに倒れこんでしまう。
「トメさん!」
麗子がとっさにトメの元に駆け寄る。刑事らしく、トメの顔色をすぐに確認する。
「――良かった。大丈夫みたいね。それとも誰かに人工呼吸をしてもらった方が、早く元気が戻るかしら」
「おお、それはグッドアイデアじゃな」
今にも成明に抱きつかんばかりの勢いでトメがソファから起き上がった。
「えーと、出口はどっちだったかな」
成明はあさっての方に顔をそむけた。
「年上女性からの接吻を拒むなんて、お主も色男じゃの。じゃがな、封筒の中に入っていた紙切れに触れたら、痺れみたいなものがあったのは本当じゃぞ」
トメの説明を聞いた成明は、面倒くさそうに床に落ちた封筒を手に取った。逆さにして、中から落ちてきた紙切れを掴む。そこで思いっきり顔をしかめた。
「どうしたの?」
成明の顔色の異変を麗子が即座に見抜いた。
「――これは本物だよ。呪いの力が込められた本物の呪符だよ」
「じゃあ、トメさんが言う痺れも――」
「ああ。呪いの力だね。もっとも、それほど強い呪いの力ではないけどね。トメさんが言ったように、痺れ程度の呪いの力だよ」
「でも、今まで送られてきたのはニセモノの呪符だったわけでしょ? それが、なぜ急に本物の呪いが込められた呪符を送ってきたの? 相手が本気になったということなの?」
「さあ、その辺の事情はぼくにも分からないよ。ただひとつ言えることは、トメさんに少しでも早く空の上に旅立って欲しいと願っている人間がどこかにいるっていうことさ。遺産を早く手にしたい事情でもあるのかもしれないな。いずれにしても、今までのは冗談で済まされたけれど、これで見過ごすわけにはいかなくなったよ」
「だけど、呪符から情報を調べる手段はもうないんでしょ?」
「いや、本物の呪いの力が込められているなら、話は変わってくるよ」
「それはどういうこと?」
「この呪符を式神に変えて、相手に送り返すんだよ。昔から、人を呪わば穴二つ、と言うだろう? これだけ呪いの力が込められていれば、相手を呪い返すことも出来るからね。そこから相手の情報を探り出すのさ」
「おー、さすがわしが見込んだだけの男じゃ。力を貸してくれるんじゃな」
トメが熱い視線で成明を見つめる。
「もちろんですよ。それに、このふざけた名前についても調べないとね」
成明は呪符が入っていた茶封筒の裏に目をやった。そこには、アベノセイメイ、と書かれていたのだ。
「どちらが本物のアベノセイメイなのか、白黒はっきりさせないと」
成明は呪符の裏面に新しく文字を書き足していく。『帰還』、『呪主』、『住処』。最後に、まるで命を吹き込むかのように、呪符にふーっと息を吹き掛ける。
「ぼくからの
成明は空中に呪符を投げた。
呪詛返しとは、何者かの手によって掛けられてしまった呪詛──つまり呪いを、その相手に文字通り送り返す呪術のことである。
「悪しき
成明の手から離れた呪符は一瞬のうちに烏の姿に変化すると、開いていた窓から外に飛び立っていった。
「なんだ、おぬし、マジックも出来るのか! 本業はマジシャンだったのかい?」
この場に似つかわしくない反応を示したのは、言うまでもなくトメである。
「まあ、確かにマジックと似たようなものだけど――」
「そうか。そのマジックを使って、おなごを口説くんじゃな。やっぱり、色男はやることが一味も二味も違うよのう」
最後まで式神をマジックだと思い込んだままのトメであった。
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