4

 屋敷そのものを震わせるほどの悲鳴。その悲鳴に頭を貫かれた翔太は、寝ていたのか起きていたのかすらわからないほどに疲労した意識を覚醒させた。繭のように巻き付けていた毛布を破り、ベッドから飛び出した。


 けたたましい悲鳴は、翔太が飛鳥と加奈に渡したブザーで間違いない。


 クローゼットから取り出したダウンジャケットを連れた翔太は施錠していた客室前の扉を開け、西館に向かって走る。加奈は死神の部屋で添い寝すると言っていたため、目指すは西館の二階だ。濡れることも厭わずエントランスを抜けた翔太は西側階段を駆け上がり、客室前の扉を叩いた。


「おい! 加奈に海堂さん!! どうしたんだ、開けてくれ!!」


 各客室への扉を施錠するようにと約束したことが裏目に出た。襲撃されたのだとしたら、殺人鬼はおそらくバルコニー経由だ。扉をぶち破るか、サロンのバルコニーを経由して廊下か死神の部屋に飛び込むか――。


「……坂本さん」


 ややあって、扉が力無く開いた。微かな隙間からは顔とパジャマを血だらけにした飛鳥が覗く。


「海堂さん?! 襲われたのか?!」


「いえ……私じゃなくて……加奈さんが……」


「なにぃ?!」


 退いた飛鳥を見、扉に体当たりしながら廊下に飛び込んだ翔太は、開かれたままの死神の部屋の前へ走り――。


「あぁ……なんてこった……こんな……」


 口を開けた窓の遥かから侵蝕する雪と風に怯みつつ、翔太は部屋の奥へ足を踏み入れた。倒れたランタンによって歪になった翳りの中に加奈はいた。透き通る華奢な腕が無残に投げ出され、壁と窓に付着した鮮血が重力に従い、頽れたベッドには斧が突き刺さり、床には放り投げられた生々しい軍刀が見える。


「加奈……こんなことって……」


 首に当てられた血染めのタオルが加奈の全てを物語っている。その下には目を背けたくなるほどの深い刀傷があり、皇帝の部屋に飾られていた軍刀が鈍刀ではないことがわかった。


「あっ……エドガーさん……」


 客室前廊下の扉に姿を見せたエドガーに気付いた飛鳥は、明らかに迷っていたことを告げる息遣いを気遣うも、


「海堂さん……ということは、襲われたのって……」


「はい……加奈さんです」


 その言葉を受けてエドガーは室内を覗き込むが、その直後に口を押さえてトイレに消えた。


「……侵入経路は窓か」


 加奈の遺体を抱いたまま、翔太は風の所為で揺れる窓を指差した。一番下の窓ガラスには何か特殊な機具を用いたと思われる円形の風穴があり、その先に広がるバルコニーに足跡はもう見当たらない。


「……私がいるのに、どうして殺人鬼は加奈さんだけ……」


「ブザーの所為じゃないのか……? 現に俺はすぐに来たし……」


「それでも……私を殺すことは出来たはずです」


 翔太に挫いた足を見せる飛鳥。殺すなら加奈よりも遥かに簡単なのだが、殺人鬼は飛鳥を相手にもせず加奈を殺した。その光景に悲鳴をあげたとはいえ、そのまま飛鳥を殺すことは苦もないはずだ。そんなことを考えていた時、


「……飛鳥ちゃん、君……無事だったのかい?」


 誰よりも遅れて廊下にやって来たのは、足取りと視線が怪しい秀一だ。


「そうだ……加奈ちゃんの部屋が開かないんだ……! きっと部屋の中で何かがあったんじゃないかって……」


「秀一……お前、今までどこにいたんだ?」


 秀一の声に気付いた翔太は、加奈の遺体を小さなソファーへ寝かすと、乱暴な足取りで廊下に飛び出した。


「……えっ? ドクター……血だらけだけど……」


 まるで状況が把握出来ていないようで、秀一は血だらけの飛鳥と翔太、呆れを浮かべるエドガーを見、


「待ってくれ……何がどうなってるんだ?」


「よく言うよ……だったらしでかしたことを見てみろ」


 翔太は秀一の襟を掴むと、彼をそのまま死神の部屋へ放り込んだ。足をもつれさせて転倒した秀一が見たのは、ソファーで眠る加奈の無残な姿だ。


「どうして最後に来た? お前が加奈を殺したのか……!」


 剥き出しになった歯を歪ませながら、翔太は秀一に迫る。襲い来るクマのような凄みに秀一は怯み、慌てて後退りするも、翔太はそれを許さない。


「どうなんだ!? やっぱりお前が犯人なのか!!」


「ひっ……ちっ違う! ブザーが聞こえた時……僕は夕子の部屋にいたんだ!」


 胸ぐらを掴む翔太の手を振り払った秀一は、逃げるように部屋の隅へ駆け寄った。


「ほう? どうして夕子の部屋に――」


「これが理由だ! 好きなだけ蔑むといいさ!」


 そう唾を吐き散らした秀一が床に投げつけたのはピルケースだ。


「……LSDさ! 人を轢き殺したんだ……その現実から逃げたくて夕子と一緒に使ってたんだよ!! ああ、そうさ! これを取りに忍び込んでたんだ!」


 飛鳥は床に転がったピルケースを拾い上げた。時折、秀一と夕子がふらふらしていたのはこれが理由なのだろう。彼の言を信じるなら、夕子はずいぶんと追い詰められていたようだ。


「だから僕は違う! 加奈ちゃんを殺したのは君たち三人か……榊原の仕業だ!」


「……とにかく、このクスリは預かっておく。警察へ渡すかどうかはお前の態度次第だ」


「好きにしなよ。どうせこの事件が解決したら、僕は逮捕される。くそ……なんでこんなことに……」


 もうどうにでもなれ、と言わんばかりに秀一はかぶりをふった。そんな秀一に背中を向けた翔太は、


「……海堂さん、加奈の遺体は……」


「この部屋でも構いません……と言いたいですけど、ベッドがあの有様なので……隣の部屋に運びますか」


 死神の部屋に持ち込まれた加奈の荷物を翔太とエドガーに任せ、飛鳥は秀一を伴って魔術師の部屋へ向かった。互いに見張り合うという黙認の中、魔術師の部屋に入った飛鳥は、


「古泉さん、件の事故について教えてもらえませんか」


「何だい、薮から棒に……」


「推測ですし、私以外には聞こえないでしょうから、教えてもらえません? 答えによっては……皆さんの無実が証明されるかもしれませんし」


「……へぇ? 僕らを疑ってたのかい?」


「はい。招待者側よりも招かれた人たちの方が怪しいと思う方なので」


「……人を撥ねたのは一九九七年の十二月二十四日だ。クリスマスで浮かれていたし、僕は相当に酔っていたから……詳細におぼえているわけじゃないけど、女の子を撥ねたことは今でもおぼえてる。夕子とのクリスマスデートを終えて……ホテルに向かう途中だった。飲酒運転だけど、確か……夕子もそれを咎めてはいなかったし、人を撥ねるなんて思ってもいなかった。スピードは出してて……横断歩道の信号は……赤だったけど、僕は無視して突っ込み……」


「そこに女の子が?」


「そうだよ。赤信号なのにって夕子に怒鳴られて……捕まるのが嫌で逃げたんだ。夕子には一蓮托生だって脅して……LSDはその後に入手したんだ」


「車はどうやって隠したんですか?」


「家の知り合いに自動車関係の人がいるから……解体するように頼んだよ」


「そう……ですか。古泉さん、この屋敷の持ち主だった叢雲家でも、一人娘さんが交通事故で亡くなっているんです」


「えっ……?」


「この屋敷の中で、誰のものでもない服を私は着ました。その服を見た天音さんの反応を考えるに、あの服を着ていたのは……あなたが撥ねた女の子だったんじゃないんですか?」


「そんな……まさか……」


「あなたが一人娘さんを撥ねたことで、父親の叢雲帝二は死んだ……。その叢雲家が所有していた屋敷にアルバイトとしてあなたと夕子さんが訪れた。これって……ずいぶんな因果だし、残された叢雲の関係者たちが復讐するには絶好のタイミングですよね?」


 加奈の口から出た復讐という言葉が背中を押し、秀一を殺人鬼だと思わせるような被害者選び、最初に採用されたのも秀一だ。この屋敷管理が最初から仕組まれていたと考えるのなら、密室殺人も屋敷に仕掛けを施しておくことも出来る。


「……面接の時、榊原にずいぶんと睨まれたのをおぼえてる。眼鏡の矯正だと思ってたけど……あれってまさか……」


「もし榊原さんがこの殺人事件を引き起こしているのなら、最終目標は私とエドガーさんも含めた皆殺しです。事故に直接関係がなくても……古泉さんを苦しめるには充分でしょうね」


 精神をすり減らした英字の姿が脳裏に浮かぶ。あれこそ復讐者にとって最高のショーではないだろうか。


「とにかく、加奈さんの荷物を運んだら、この推測をみんなに話します」


 荷物を、と秀一を促し、飛鳥は加奈が持ち込まなかった荷物を手にしていく。その中に加奈のスケッチブックを見つけ、中身に目を通してみた。


 描かれているのは、飛鳥の知らない光景が多い。


「ああ、最初の方に描かれているのは、僕らがこの屋敷に来るまでの道のりだよ。車の中に続いてボートで移動している時もあるね。まったく……彼女の記憶力と絵心には感服だよ」


 飛鳥が描かれ始めたのは医務室からだ。意識不明の自分が鮮明に描かれていることに苦笑いだが、アルバムのような流れでそれを捲っていく。医務室、自室、サロン、大食堂、胸を貫かれた夕子、エドガーを呼ぶ英字、ベッドに横たわる遼太郎の無残な死体――。


「やぁ、彼女はタロットカードも持っていたようだ。多趣味だねぇ」


 スケッチブックというアルバムを見ている飛鳥を尻目に、秀一は荷物の中にタロットカードが紛れ込んでいることに気付いた。加奈が占いを嗜んでいるような光景は浮かばないが、その絵柄はこの屋敷と同じウェイト版のようだ。


「僕は星として殺されるのかな……まぁ、死神や悪魔じゃないだけマシか」


 中身を取り出し、サラサラとカードを流していき――。


「……うん? あれ、絵が違うような……」


 アルカナがバラバラに積まれている所為で、不意な違和感を抱いた絵がわからくなってしまった。占いは女の子を口説く絶好の援軍だが、嗜んでいなかったことが悔やまれる。とはいえ、この違和感は飛鳥の推測を話し合う時にとっておこう。


「……飛鳥ちゃん、とりあえず荷物を全て節制に運んでしまおうよ」


「……そう、ですね」


 頷いた飛鳥は、スケッチブックと荷物を抱えて魔術師の部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る