第3話
偽札による釣銭詐欺で、エリオットから仕置きを受けることとなった若者モンタは、良くない友人からその話を持ち掛けらていた。本人もうまい話だと思った。金を好きに使って服や女を買い酒を飲んだ。それで金が入るのだ。無から金を生み出すような行為をモンタ自身も楽しんでいた。哀れな最後となったが、とりあえず命まで取られることはないだろう。
モンタが儲け話に釣られて訪れたのは旧市街の酒場である。工場の給金の他に小遣い稼ぎをと、誘いに乗ったのが運の付きとなった。ここまでがローズが薄汚い地下でモンタから読み取った情報だ。
モンタの記憶を頼りに訪れた店は大通りから少し外れていた。地元の労働者向けの店で雰囲気は塔の周りの店とさほど変わらない。ローズが店内に足を踏み入れた瞬間、客たちの動きが止まった。突然、氷漬けにされたように固まっている。もちろん止めたのはローズだ。ローズは店の中央に立ち周囲を見回した。乾杯のためカップを上げる集団、酔っぱらったために論争が過熱気味の二人、それを引き気味に見守る友人たち。給仕の女に言い寄る客などもいる。
居合わせた客たちの意識を覗いてみるが当然といっていいだろう、誰も頭の中にあるのは酒だ。偽札という言葉は知っていても、それがこの店で扱われてとは思ってもいない。だが、誰かがモンタを迎えたはずだ。観察を店員に広げてみるとカウンター内の男が窓口とわかった。どうやら指定された酒と合言葉を彼に告げた後、しばらく待っていると店の奥へと招かれるようだ。
ローズは男がいう店の奥へ向かうことにした。今夜は事情を知る責任者もいるようだ。カウンター脇の通路は少し入った先で、厨房から裏手へ続く廊下と昇り階段とに分かれている。奥というのはこの階段を上った先を指しているようだ。
彼女が階段を登り二階へ姿を消すと、一階の酔客たちは何もなかったように動き出した。何も違和感も感じることなく、止められていた乾杯や討論を再開した。
次に動きが止まったのは二階である。階段の上り口では、山門を守る木像よろしく強面の二人組が階段の両脇で固まっていた。見張り番なのだろう。一人は腕を組み、一人は説教中の司祭のような手振りで動きを止めている。このまま石にして一組で売りだせば物好きが買い取るかもしれない。名前など適当でよい。
二人組によると店長はキリゾーという男で突き当りを曲がった先の部屋にいるらしい。道中の部屋で休憩中に賭けカードをやっている四人組もキリゾーが奥にいることは保証していた。ただし仮眠中は要注意、無理に起こすとひどく機嫌を損ねることになる。
奥の部屋の中にいたのは猿を思わせる容貌の小男だった。短い茶髪ともみあげとつながった顎髭が余計にその雰囲気を強めている。書き物机に帳簿を広げインク壺を置き鼻眼鏡をかけている。部下たちが恐れていたように仮眠中ではなかったようだ。事務仕事の真っ最中だ。
帳簿を睨みつけたまま固まっているキリゾーに尋ねてみると、偽札は確かにここに置いてあるが大した量ではない。詐欺のための人員ももう十分で増やすつもりはないらしい。大半は手持ちの倉庫に隠してある。
入手先を聞いてみると知らないという。知り合いが話を持ち掛けてきて連絡を入れれば調達してくるらしい。規模は違うがキリゾーもモンタ同様儲け話に一枚乗っただけのようだ。この先も手繰り寄せることは簡単そうだ。では、騒ぎをどのように盛り上げて楽しむかだ。
新市街で暴行を受け放心状態で彷徨っている若い男が警備隊に保護された。モンタ・ローニーと名乗り旧市街で木工職人として働いていた。強盗に襲われたのかと思われたが、多額の紙幣を所持していた。何があったのかと聞いているうちに、ようやく偽札を使ったことがばれ痛めつけられたことを告白した。
新市街メルスン東分署では半信半疑ながら、ローニーの言葉の裏を取るため鑑定人を呼び寄せた。結果はローニーの証言通り偽札と判定された。鑑定人から警備隊士達はこれらの偽札は今、旧市街でも静かに出回っている物だと説明を受けた。
エレン・エヴリーは最後列でそれらのやり取り眺めている。きらびやかな制服を身に着けた長身の女性の来訪に隊士達は驚いたが、偽札という事件の性質と所属からほどなく受け入れられた。
「ワ三五号に間違いないようです」エヴリーはイヤリング越しに上官のオ・ウィンに告げた。
「そうか。今はローニーとかいう男はどうしてる?」
「病院に連れていかれ一通り証言した後は眠っているそうです」
「無理は出来んわけか」つかの間、無が生じた。「……だが、あの出来のいい札を東の連中はなぜ見破ることができた?」
「ローズが鑑別法を伝授した……のでは」とエヴリー。
「あぁ、そうだな。昨夜ローズが出向いた先にローニーがいたのかもしれん。フレアの知らせで、俺たちの介入を知りローニーの運命を奴らにゆだねず解放させた」
「それなら、彼女はわたしたち以上に情報を持っているかもしれませんね」
「そう言えるが、夜までまだ時間はある。まぁ、帰ってこい。他の奴が入れる茶はまずくてならん」
塔の雑事を終え、フレアが向かったのは旧市街にある酒屋の倉庫である。正面の扉には「本日とは臨時休業します」と書かれた紙が貼られていた。扉は閉ざされているが閂は解放されていた。中に人はいるようだ。昨夜ローズはここへやってた時は事情を知る者はいなかったそうだが、探し物は見つけることはできた。ちょっとしたいたずらをしてきたので、どうなるか見てきてほしいとのことだった。
積み上げられた酒樽の上から眺める雰囲気ははっきりと言って最悪である。フレアが訪れたこの甘ったるく、刺激臭が充満した倉庫には管理番の男女三人がいた。困惑顔の彼らの元に、やがて飛び込んできたのは猿顔の小男である。身なりもよく倉庫番たちが頭を下げたことから上司であることは間違いない。キリゾーと呼ばれた猿男は倉庫番の一人が恐る恐る手渡した札束を目にして軽く悲鳴を上げた。
無理もないだろう。ローズは全ての偽札に「偽札」と「使用禁止」の文字を入れたらしい。そして、識別のため追加された葉がある個所にも丸を入れた。ローズの魔法による焼き印だ。
「全部これか⁉」怒鳴り声を上げるキリゾーに一回り以上大柄な二人はおののき、女は彼らの後ろに隠れる。
「はい、残念ながら……」手前の男が代表して答え、他が男越しに頷く。
「昨日までは何の問題もなかったんだよな?」キリゾーは努めて冷静に言葉を吐き出す。
「……昨日は見ていませんが、一昨日までは異常はありませんでした。それが今朝キリゾーさんから連絡で、取引に必要な分を取り出すようにリリコに頼んだらこの状態でして」
男の背後にいる女が怯え顔で何度も頷く。
「樽を出せ。俺も確かめる」
男二人で古びた樽を引きずり出し慎重に横倒しにする。樽から中身を掻きだし、たちまち床に札束の山ができた。束をかき混ぜ、取り上げては中を確かめる。キリゾーは自らも膝をついて札束を確認したが、やがて束を放り出し床に座り込んだ。
百はありそうな束がすべて焚きつけにしかならない紙切れとなっては衝撃は大きいだろう。
重苦しい無言がしばらく続いた。それを解いたのは正面扉が軋む音だった。その音にいち早く反応したリリコは扉に向かって一目散に飛び出していった。ほどなく、リリコはごま塩頭の男と共に戻ってきた。横倒しの樽の周辺に集まっている男たちに目を止め足を緩める。
「来たか。ガース」
「何があった?」ごま塩の男は用心深く樽の傍に近づいた。連絡時の様子、床にまかれた札束、キリゾーと部下の目つきから尋常ではないのは察しが付く。
「まぁ、見てくれ」キリゾーは立ち上がり、床の山から一束拾い上げ男に投げ渡した。
男は受け取った束に目を見開き、次に束をぱらぱらとめくった。信じられない様子で札束に目を落とす。
「どうなってる?」
「俺が聞きたい」とキリゾー。
キリゾーたちの様子に、自分の言葉次第で今後の運命が決まることをガースは悟った。自然に息をのむ。
「まぁ、待ってくれ。俺が持ってきた時、お前だって横で立ち会って確認しただろ」
「妙な細工はしてないよな?」
「もちろんだ。何の意味がある。何で俺がこんなまねをしなきゃならん。今までお互いうまくやって来たじゃないか。お前を騙す気なんてこれっぽっちない」
「じゃぁ、誰がやった。昨夜でも一昨日でもここに忍び込んだ奴がいたとしても、この数の札に偽札やら使用禁止のハンコを押していけるか、全部ぴったり同じ場所に、人じゃ無理だろう」
「まさか、初めから仕込んであったというのか……」とガース。
「それしか考えられないだろ」
「だがな、信じてくれ。俺は誰も騙そうとしてない。偽札の販売代理を請け負っただけだ。キリゾー、お前にもいい儲け話だと思って紹介したんだよ」
「元締めはどこのどいつだ」
「それはしらんが、印刷工房ならわかる、そこから直に札を持ってきていた」
「なら、そこに連れていけ。話を付ける必要がある」
「工房までご案内というわけね」とフレア。
乱闘騒ぎ覚悟かと眺めていたが上々の着地である。
ガースによると工房は旧市街の港に停泊中の船の中にあるらしい。ガースが販売代理として目を付けられたのは港の裏を仕切っている一人だからだ。
フレアはキリゾーたちの打ち合わせが終わるまで倉庫にいた。
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