第52話

「八ノ神夕羽だろ」

「おお、そうそう! まだライブもしてねえけど、確かすっげえ綺麗な子だったよな! 確かこっちの雑誌に……お、いたいた!」


 今度はモデル雑誌を手に取って、ページを開いて見せつけてくる。


 そこには確かに夕羽が、堂々としたクール美少女として映っていた。こうして見ればアイドルというよりは、本当に本業がモデルのような風格である。


「でもそっかぁ……よりによって【マジカルアワー】だなんて。……なかなかコアな奴だな、お前ってば」


 もしここでドライバーをやってますなんて言ったらどうなるだろうか? 何だか面倒臭そうなので伝えるのは止めておく。


「まあでも、金の卵になるであろう子たちを見つけて応援するというスタンスはいいぜ! マジで売れた時はファンとして鼻が高いしな!」

「はは、まあな」

「あ、でも何で来たんだ? また雑誌を買いに来たのか?」

「ああ、実はお前に会いに来たんだよ」

「俺に? また何で?」

「ほら、今度【クオンモール】でアイドルイベントが行われるらしいじゃんか」

「おお! 最近ドルオタになったくせに耳が早いじゃねえか! 感心感心!」


 別にドルオタになったつもりはないけどな……。


「ついさっきも壁に貼られた宣伝用ポスターを見てな。けど【ブルーアステル】って子たちのこと知らなくてな。ちょうどいいからお前に教えてもらおうと思ってきたんだ」


 すると、卍原がガシッと俺の両肩を手で掴んだ。身体も小刻みに震えている。ちょっと怖い。


「……俺を……頼ってくるとは嬉しいじゃねえかぁぁぁぁぁっ!」


 うるせっ……と思った矢先、右側から飛んできた何かが卍原の頭部を直撃して、彼はそのまま左へ吹き飛んでいった。


 ……またデジャヴだよ、これ。


 もう何度、人が目の前で吹き飛ぶところを見たことか。

 見れば床に水の入ったペットボトルが落ちていた。どうやらこれを投げつけられたようだ。


「ってぇぇぇ~っ! 一体誰だ、こんな野蛮なことをする奴はよぉっ……って、げっ!?」


 頭を擦りながら怒り心頭で起き上がった卍原の視線が捉えたのは、彼の母親であった。


「アンタね……毎度毎度大声を出してお客さんに迷惑かけてぇ……っ」


 悍ましいほどの怒気に満ちた母親に気圧され、熱されていた卍原は急速に冷えていく。


「お、おおお袋、そ、その手に持っているバットは何だよ!?」


 卍原の言う通り、お袋さんの手には木製のバットが握られている。


「問答無用だよ、このバカ息子がぁぁぁっ!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁああああああっ!?」


 店内にこだまする情けない男の声。客も目を丸くしながらも、ジッと野次馬のごとく見つめている。

 そしてしばらく経ったあと……。


「今度騒がしくしたらこんなもんじゃすまないからね!」


 お袋さんは、床で死んでいる卍原を一瞥すると、俺や客に対して謝罪をしてから、また仕事へと戻って行った。


「…………大丈夫か、卍原?」

「痛い……痛いぃ……ケツが……割れたぁぁぁぁ」


 大丈夫だ。尻は元々割れている。

 まあ、あれだけケツバットされれば、間違いなく風呂に入った時は地獄を味わうくらいに腫れていることだろう。ご愁傷様だ。


 涙目になりながらも起き上がった卍原を見て、さすがに少し同情はするが、どう考えてもお袋さんの方が正しいので何も言えない。


「くそぅ……あのババアめぇ、今度化粧水にワサビを入れ込んでやるぅ」


 止めとけ。それがバレた時は人生の終わりだぞ。


「ああ痛たた……って、何の話をしてたんだっけ?」

「【ブルーアステル】って子たちの話題だよ。というか、知ってるなら【スターキャッスル】について教えてくれるとありがたいけどな」

「おお、そうだったそうだった。じゃあ長くなりそうだから、俺の部屋に来いよ」

「え……何もしないよな?」

「おいこらてめえ、いくら俺が欲求不満でも、さすがに男に手を出したりしねえよ!」


 その言葉を聞いてホッとした。

 そうして店の二階に続く階段へと案内してくれる。どうやら上階に住まいがあるようだ。


 卍原の部屋は三階の一室らしく、部屋に入って思わず目を見張った。

 そこはまさにオタク部屋ともいうべき様相を呈していたからだ。


 壁一面にはアイドルのポスターが貼られ、それは天井にもそうだ。およそアイドルグッズと思わしものが、棚にもびっしり配置されていて、ちょっと目眩がしそうになる。


「これは……凄いもんだな」

「へへ、だろぉ? 押し入れの中にもアイドルグッズがたんまりだぜ!」


 そう言って押し入れの引き出しを開けて見せてもらうと、確かにそこには所狭しとグッズが大量に眠っていた。


「これだけ集めようと思ったら、かなり浪費も激しいだろ?」

「まあな。けどファンってのはそういうもんだろ? これで推しが潤ってんだし、俺も嬉しいし、まさにwinwinってやつよ!」


 アイドルにとって、こういうファンはありがたい存在なのだろう。

 それと同時に、ここまで熱くなれるものがあるということに、少しだけ羨ましさも感じる。俺も好きなものくらいあるが、さすがにここまで情熱を注げるものには、まだ出会ったことがない。


「まあ適当に座ってくれや。ベッドの上でもいいからよ」

「……何もしないよな?」

「もうそのネタはいいっての!?」


 二番煎じはお気に召さなかったようだ。

 俺はベッドに腰かけると、卍原がある雑誌を手渡してきた。




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