導入 遺体

副団長に続き私は廊下を歩く。入り口とは反対側の階段から1階へ降り、外へ出た。どうやら目的地は別棟らしい。


「…あ、あの、副団長様申し訳ありません。もう少し歩く速度を遅くして頂いても宜しいでしょうか?」


必死で着いてきたけど限界だ。私が特別体力がないのは確かだけども、そもそも大人と子供では歩幅が違う。このままのペースだとすぐにヘトヘトになってしまう。


「頭は回る様だが体力は年相応なのだな。あと2棟先になるが大丈夫か?」


副団長はそんな小憎たらしい皮肉を言いながらも1度歩みを止め、息を整えさせてくれた。その後は2人とも歩くペースを私に合わせてくれる。神経質そうだが悪い人ではないみたいだ。


「それと私の名はヴォルガだ。君は騎士団の者ではないので名で呼びなさい。もう知っているかもしれないが彼女はレナ。新任の騎士官だ。」


「解りましたヴォルガ様、レナ様。ありがとう存じます。」


名を教えて貰ったということは少しは信用を得たということなのだろうか。自分で言ってて何だけれどあんな子供の戯言のような説明で信用を得れたとは思えない、疑いを完全に晴らすにはやはり結果が必要だろう。頭の中で今後の対策を考えながら歩いていると別棟に着いた。どうやらここが目的地のようである。


倉庫なのだろうか。他の棟と違って窓は少なく作りが古い。それに手入れも行き届いていないようにみえる。あまり大きくはないその棟の入り口の横を通り過ぎて、側手に向かう。そこには地下へと続く階段があり、その奥にある扉の前に騎士が2名立っていた。その扉は解放されたままだ。


見張りだろう2人は副団長と幾つか言葉を交わすと道を開ける。私を見つけた彼らは最初こそ少し驚いたようだったが言葉にだしたりはしない。騎士団は子供が出歩くような場所ではないし当然だろう。でも、彼らの視線は驚きからすぐに変化する。私が物珍しいというものでもなく、どちらかというと心配?同情?してくれているように感じた。


「この奥だ。」


地下への入り口を抜け廊下に入るとすぐに空気が澱んでいる事に気が付いた。地下というだけではない、鼻を突くような人が生理的に嫌悪する異臭がした。



…この匂いは記憶にある。



副団長は1本道の廊下を進み、そしてある扉の前で立ち止まった。


「先に言っておく。君には少々酷な環境であるかもしれない。しかし、君は今回の襲撃事件の真相解明について協力すると言った。」



「君に判断して貰いたいのは彼等の生死の判断とそもそも人であるかについてだ。」


そう言って部屋の扉を開く。扉を開いた途端に今まで以上に濃密な異臭が漂ってくる。



この匂いは腐臭。



部屋の中には厚手の布に巻かれた人の形が5体、床に寝かされている。巻かれている布はそもそもボロ布だが所々茶黒く変色してしまっており、特に下部の変色は酷い。顔には布が巻かれておらず潰れた上に溶けかけたその様子が伺える。


腐臭は人が生理的に嫌悪する匂いだ。そして密閉された空間では人体に対して有毒でもある。私は服の裾で鼻口を覆う。


襲撃事件から既に7日が過ぎている。彼らが事件当日に死亡したとしたら既に7日は腐敗が進んでいるという事だ。


「ヴォルガ様、生死の判断についてとはどういう意味でしょうか。」


「言葉の通りだ。彼らは生きているのか、死んでいるのか君の意見を聞きたい。」


おかしな事を聞く。彼等は言葉を話すことも身体を動かすことも一切ない。顔はここからではよく見えないが潰されている者すらいる。姿を見れば死亡していることは明白だった。


「生きているか死んでいるかで判断しろと仰るのであれば見ての通りです。確実に彼らは死んでいます。何故そのまま放置を?」


遺体の腐敗が進み発生したガスが部屋に充満しており中に入るのは危険だ。蝿蛆は湧いていないようだが石畳の隙間などから湧いたのか小虫が集っている。


正直、私は憤りを感じていた。彼らは確かに身内に危害を加えた者たちだが、戦場で死んだ者に、この扱いはない。


「死んでいると何故わかるのだ。彼らは空に還っていない。肉体が残るのは畜生や一部の動物と同じではないか。本当に彼らは人であるのか?」


私は何を言っているのかと思った。でも、ゆっくりとその言葉の意味を考えていると少しずつ理解できてきた。



この世界では人は死ぬと灰に還り骨すらも残らない。残るのは小さな翆石と言われる石だけである。下町でも葬送はその石を埋め弔うことを思い出した。


私にとってはあっちの世界の記憶の方が長いので彼らの今の姿の方が当たり前の理になっていたのだ。


彼らの姿はどうみても人である。でも、副団長は死しても肉体が消滅しない彼らの姿を見て生死の判断が判断がつかなかったのだ。そのために監禁をして様子を見ていたというわけだ。


「どこから来た者かは解りませんが彼ら人で間違いありません。しかし、私たちと違いって死んでも肉体を失いません。畜生の肉と同じ様に放置すれば腐敗して悪臭を放ちます。それだけでなくこの悪臭は人にとっても有毒で…」


そこまで話している所でレナさんの顔色がかなり優れていない事に気がついた。私自身もこのままでは危険である。


「とりあえず危険ですので一度この場所から離れましょう。扉は開いたままで。」


密閉した部屋での腐臭はかなりの強烈なものだった。腐敗した遺体は硫化水素を発生させる。あのまま人が部屋に入れば間違いなく昏倒してしまうだろう。私たちは早足で入り口まで戻り地下から外へ出る。地上の棟には兵の待機室があるらしいので、そこで話の続きをすることになった。


しかし、彼らは何者なのだろうか。あるはずのない銃器を持ち、薄い宇宙服のような服装に装具をつけたように見えた。でも、もう彼ら自身に聞くことは叶わない。


レナさんはまだ回復していないようだ。かなり消耗しているようで顔に精気がない。とりあえず水を飲み落ち着いて貰う。


「危険と言ったが彼らに近づくと何かがあるのか。まさか、また何かの術具の類が?」


「術具…ではありませんが危険ではあります。生物が腐敗するのは目に見えない小さな生物たちがそれを分解して繁殖しているからです。その際には人にとって有毒な大気を発します。」


私は副団長の質問に答えつつ、警告を付け加える。


「あの部屋はその有毒な大気が淀み濃くなっていました。この有毒な大気を多く吸えば人は昏倒し、最悪命を落とすこともあります。」


他にも細菌による感染症なども考えられる。人が死骸から距離を置くのは生理的な理由だけでなく、その危険性を無意識下でも理解しているからだ。だから死骸に嫌悪感を抱く。近づかなければいけない理由がない限り寄らぬ方が安全であると本能で理解しているのだ。


しかし、この世界の人たちは遺体の存在に慣れていないからか危機感が薄いようだ。「匂いが不快であって、嫌だ」くらいに感じているようだ。


「彼らは既に死んでいます。このままでは彼らを放置すれば流行病の元になってしまうかも知れません。なるべく早急に『火葬』する必要があります。」


『火葬』とはと副団長は問う。流行病と聞き一層神経質な顔付きになった副団長に私は今後必要な処置を伝える。


まず、最初に私は遺体を触ることで発生するリスクを副団長に説明する。腐敗ガスによる中毒性と細菌による感染症により時間が経ってから病気を患う可能性がある事を伝えた。それを防ぐ為に簡易的なものでもよいので鼻口を布で覆うことを着用すること、素手で直接遺体に触れないこと、遺体に近づく時間を極力短くすること、遺体に近づいた後は身体を入念に清潔にして、触った時の服装等はすぐに念入りに洗浄、できれば焼却破棄するのが望ましい。


その後に『火葬』の意味を説明して感染症を防ぐ手段としては、彼らの遺体を焼却するのが望ましい事を伝えた。まず街の人が寄らない場所に動物が掘り起こさない程度の深さの穴を掘ること。夜間などの人出が少ない時間と経路を使って、そこへ遺体を移動させて掘った穴に入れて焼却し、そのまま土をかけて埋める。


私の話を聞いた副団長はすぐに騎士さんたちを呼び、遺体の処理について伝達していく。感染症のくだりは副団長に部下に説明するのに「君の話は難しすぎる。」というので「生物の遺体は放置すると災いをばら撒くと説明すると良いです」と伝えた。


遺体の処理について慌ただしくなる。私は話が一段落したところで今日のところは自宅へ帰ることとなった。


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