第27話 白騎士

 厳密に、それを槍と呼んで良いかは別として、純白の凶器を標的たる沙耶香の後頭部から引き抜けば、糸の切れた人形の様にクタッと倒れた。


——こうして沙耶香はラフカンに殺された


 魔術師にはノーモーションで魔術を行使する輩もいる。戦闘向きの奴は特にそうだ。

 だから、万全を期す暗殺は、真っ先に脳を潰すのがベスト。

 以前は手っ取り早く首を斬り飛ばしたが、首が体から離されたわずかな隙、意識の途絶する僅かな瞬間に魔術をかます手練れもいたので直接脳を破壊する方針に切り替えたのが数年前。


——雨が降り続ける


 それが一滴たりともラフカンの体を濡らすことはない。

 というより、ラフカンはこの場に存在しないとも言えた。

 生と死の狭間。

 ラフカンはかつて切り離された兄の魔術を纏うことでその隙間に身を滑り込ませ、物理的な肉体を一切この世から消失させる。

 この世のいかなる生物も、あらゆる機器も観測できぬ最高のステルス。

 なぜならソコにいないから。


 そして、


「……」


 数秒、沈黙して、光も空気もその全てを透過していた彼は、じきに酸素を肺に取り込むため姿を現す。

 生と死の狭間に空気は無く、しかし運用するのが人間である以上吸わねばならぬ。

 だから、長時間は潜れない。

 どの道潜り過ぎれば死の側へ引かれ過ぎてしまう。


 そして姿を現したラフカン。

 一言、白い人型と言えた。

 右肩から腕の丸々一本は、兄の脊椎を軸とした魔術運用の道具。


 普段は右腕に擬態し姿を惑わすソレの運用を開始すればキチキチと、昆虫の足の様で白樺の枝が無数に伸びる様に、ラフカンの全身をくまなく包み鎧を顕現させる。


 そのフォルムはちょうど胸の箇所に肋骨を模した凹凸があり、背骨に沿って長い膨らみがあり、頭部など、そのままドクロであるから鎧の原料そのままの骸骨を模した白き異形の騎士。


「死んだか?」


 と呟くラフカン。

 しかし侮らない。

 油断しない。

 何事もつつがなく、普通にこなすために油断は禁物。


——しかし、標的を屠った狂喜乱舞が右手の兄の残滓から伝わる


 ということは十中八九殺した。


 万が一にも横槍を避ける為、刺客の寄り付かぬこの場所へ我先に飛び込み、標的が完全に疲弊し、勘の鈍る戦闘直後を選んだ。


 そして、念の為死亡確認を進めていく。

 何より警戒を払うのはこのホテルの崩壊。

 ラフカンにとって慮外りょがいの魔術行使。


——まずは背中側、腎臓を槍で刺す


 厳密には鎧を変形させ象ったかたどった槍。

 吹き出した血。

 しかし、それだけではない。

 まともな痛覚があれば、その強烈すぎる痛みに耐えかねる。

 どの臓器よりその部位への攻撃が痛い。

 しかし身動き1つ無く。


——だから、槍でうつ伏せの死体をひっくり返し


 開け放った目。


——ペンライトの光を当てる


 瞳孔の収縮なし。

 

——脈拍を図る


 微動すらなし。


——念の為首を切り落とす


 反応なし。


 と、そこまで徹底的に調べ上げ、ようやく首を拾い上げた。

 証拠としてこれは持っていくつもり。

 帰るさなかで他の討ち手に邪魔されないようにと祈りつつ、その整った顔付きの首を小脇に抱えようとして、雨で滑ったのか落ちて、ゴロゴロ転がってゆく。


 そして、何の因果か切り離した胴のちょうど首の位置に納まった。


「おっと……」


 ちょっと落とし物をした様に一言漏らす。


——彼は、ラフカン・A・ハーンはあくまで己を普通の人間と自称する


 ここまで徹底的に死亡を確認し、最終的に首を切り離す行いに何の呵責も覚えないでなお、その価値観は揺るがない。


 普通にこだわる異常の形。

 結局のところアハト卿が彼の兄ではなく彼を生かしたのは、その資質が何より気に入ったからだ。


 ただ、この時は、


「え……」


 彼の言うところの『普通』の基準では無く


「は、はぁ⁈」


 フリでもなく彼は心の底から驚愕を表情と口に上らせた。


——ゆっくりと起き上がった死体


 殺したはずの盧乃木沙耶香の死体。

 それが1人でに、気怠そうに立ち上がり、切り落とした首が再び接合部と癒着を果たしていた。

 いや、正確にはその重さから癒着仕掛けの段階で転げ落ちそうになったが、それを彼女自身が手ずから抑え、そして10秒ばかしかけ、立ち上がりつつ生き返った。


 というよりは死ななかったと言えば良いのか。

 死という概念すら病の様に完治せしめる特異点の怪物の名は、流石にラフカン・A・ハーンもよく知っている。


「『不老不死者ノスフェラトゥ』……聞いてねぇぞ」


 標的が『不老不死者ノスフェラトゥ』であるなら、そもそもこの『咎人狩り』というイベント自体が茶番だ。


 何せ殺せないのだから。

 いや、それとも


「無力化して連れてこいってか?」


 しかし、この標的の魔術の強力さは、街の中での有象無象の討ち手との戦闘を見て、知っている。


 触れれば死ぬ


——のみならず、


 このホテルの崩壊を起こした大規模な魔術運用。


 はっきり言って割に合わない。


——逃げるか


 その思考が移ったのは至極真っ当な事。

 ただ、その早さは神がかったもの。

 しかし行動を起こすより早く、沙耶香がラフカンへ全力で疾走——


「いいっ!」


 その突進をかわされて、しかし脇をすり抜ける彼女は止まる事なく、唯一、この曝け出されたフロアで瓦礫が落ちず、無事なくだり階段へ到達。


 その無事はラフカン自身が登ってきた事実から証明済み。


 それを降りずに、その手前で陣取った。

 そしてニヤニヤ笑っている。


——気味の悪い女


 と、初対面で普段の沙耶香を知らないラフカンはその違和感を気取れず、そう思う反面、彼にはその意図が読めなかった。


 ラフカンの纏う、この兄の魔術ほど、逃走に向いたものはそう無い。

 結局その足で逃げ切る必要はあったが、彼がその息を止められる間は魔術含めあらゆる攻撃を完全に透過する。

 彼の兄の魔術で定義されるところの『生と死の狭間の世界』とは、即ち何物も通さぬ世界。

 いわば強制的に彼を幽霊の如き存在へ落とす世界と言えた。


 そして、激しい運動の中でもラフカンは数分、その世界に潜り込める。


 その効果に疑いの余地は無い……が、目の前で逃走経路を塞ぐ女を見ると、どうしてか。

 不安な感じが拭えない。


 が、ことここに至って他に手はない。


 だから、


——まずは狭間の世界に潜る


 そして僅かに歩きつつ様子見。


 真っ先に階段へ向かう事はしなかった。


 万一こちらの存在を察知する可能性を疑った慎重な行動。しかし、その気配はない。


 だから、ゆっくりと階段へ向かう。

 ただし正面ではなく、その側面へと。

 そこは床にぽっかり空いた大穴の様で、その見下ろす先に下り階段が続く。

 よってその正面で待たれた所で、脇に回り込めば良い。人1人の体で塞ぐには階段は大き過ぎる。

 それだけのこと、と、思った矢先。


 黒い球体が出現。


 ラフカン自身がその正体を知ることは無かったが、それは沙耶香の『死』の『流転』する魔術の顕現。

 その出現した数は3つ。

 それが、形を変え、平たく薄い布の様に。


 高きから黒い緞帳どんちょうを降ろし、階段に入り込める四方のうち、沙耶香の立つ正面以外に壁として立ち塞がった。


——それに触れてでも、脇から階段を降りる


 結局、ラフカンはその選択肢を取れなかった。


 この点に関しては彼の慎重な性格が災いしたと言える。

 彼が生と死の狭間の世界に潜ったままそれに触れたらどうなったか。

 狭間の世界に居てなお、そこから魂を吸い出されて、死に至るのか。

 それとも沙耶香の『死』の魔術すらすり抜けて階段を降りられたのか。


 結局、ラフカンはその行いを試せず、沙耶香の脇を抜け、真正面から階段へ至る道を選んだ。


 なぜだろう。

 なぜ、あの女の魔術に自分はここまで警戒を払うのだろうか。


——彼にはついぞ答えが出せなかった


 ただ、この世の全てを吸い込む様な究極的で本質的な『黒』。


 それを操るあの、自分と同い年くらいのあの魔術師に、いわば魅了された様な。

 触れてはならぬ繊細さを併せた様な。


 そうした何かをどうしようもなく感じてしまうのだ。


 しかし結局、あの女の魔術を浴びてはならぬ不安に全ては帰結する。


——しかし、あの女も意地の悪い……


 本当にこの場から逃したくないなら、階段へ到達する道を完全に塞いで仕舞えば良いのにあえて、それを残している。


 希望をちらつかせる残酷さ。

 あの位置へ誘い出すための。


「行くか……」


 その呟きは当然ながらこの世の空気へ響かない。


 ただ、彼の頭蓋で響いたそれと同時に駆け出した。

 逃げ道を塞ぐ沙耶香の元へと。


 わざわざ一度殺してやる事はしない。

 そんなことしたらこの場から立ち去ったと、少なからずバラす羽目になる。


 だから、ただ立ち去りつつ『まだ、この場にいるかもしれない』認識を与え、時間を稼ぐ。

 

 瓦礫から音一つ、砂埃一つ立てず、残り数メートルの肉薄を果たして、女の意識がこちらに向かない確信を得て逃走が成功するかに見えた瞬間。


 女の右腕が、ちょうど右脇を通り抜けようとしたラフカンの頬を撫でようと、


「⁈」


——なぜバレた?


 その思考はやや遅れつつ、それより先に前のめりに転がり、階段を下へ下へ、もつれ落ちてゆく。


 そして転げ落ちて見上げた先。

 ちょうど真上から


「うぁっ!」


 飛びかかってくるあの女。

 目と鼻の先の位置で視線が近く咄嗟に腕を掲げる反射的な防御に沙耶香の右手が触れ、その瞬間に。


 全身に纏われていた鎧が、生と死の狭間の世界において、宇宙服の様に安全を保証する装置である鎧がボロボロ崩れ灰になり、そうなれば狭間の世界に生身のラフカンだけ残されて。


 その事実に骨の髄から怖気を感じたその時には、誰からも認識されないまま彼は死の側へ引き摺り込まれていった。


 ……いや、誰からも認識されなかったわけではない。

 彼を殺害した沙耶香だけがそれを見ていた。

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