呆気なく
『エレメア、起きて頂戴。話があるの』
『なんじゃ……また睡眠の邪魔をしよって』
『ここまで来た者がいるわ』
イヴがそう言うと、エレメアは目を開ける。完全に眠っていたわけではなく、狸寝入りのようなものだった。
先程の轟音で、頭が冴えてしまったのだろう。
久方振りの人間の上陸ということもあり、一応起きていたのだ。
『なんじゃと? それは正気か?』
『そうよ〜』
『ふん! 愚かな人間め、わしが直々に手を下してやるわ!』
『人間じゃないのだけれどね』
『関係ないわ! 連れてこい!』
エレメアがそう啖呵を切るものだから、イヴも言葉通りアリスをエレメアのもとへと連れてきた。
連れてきたのはアリスだけで、対岸にはオータと、彼女の守っている人間たちが残っている。万が一、戦闘となった場合に邪魔になるからだ。
湖ほどの距離があれば、戦闘が始まってもすぐに影響は出ない。抜けているオータであっても、逃したり守ったりする隙ができる。
さて、一方でエレメア。
連れてきたアリスを見て、ハンギングチェアの後ろに隠れて小さくなっているではないか。
まるで小動物。ぶるぶると震えて、自分よりも何倍も大きな生物に対して怯えているように見える。
大精霊たる威厳など全くなくなっていた。
『ぴゃう……』
『連れてきたわよー?』
「やあ、どうも。大精霊殿」
『ひぃ、ぅう……』
ガタガタと震えて、明らかに怯えている。
大精霊というだけあって、相手のステータスを読むことは可能だ。ウィアーズのような抜けている精霊ではない。少々ポンコツではあるものの、力は確かだ。
余裕の笑みを浮かべているアリスとは異なり、震える子犬だ。
(な、な、な……、なんじゃこいつ、なんじゃこいつ!! この世界におっていいものではないじゃろう! そ、それに、このわしが気圧されおるじゃと!?)
エレメアは人間と会ったことはないが、どうせ蟻のように矮小な存在だと思っていた。
彼女がひとつ魔術を展開すれば、次の瞬間には消し炭となるのだと。
だが目の前にいるこの女は、違う。消し炭どころか、魔術を発動して攻撃を食らったとしても、その中で欠伸をしていることだろう。
傷ひとつすら付けられぬまま、敗北する。そんな未来がエレメアには浮かんだ。
とはいえ、エレメアには大精霊という巨大で膨大なプライドがある。生きている年数も遥かに長いため、目の前の恐怖を見てもなお「まだ勝てる」と思う自分もいた。
大精霊たる自分が、どこの誰かも知らない女に負けるはずがないと思っているのだ。
冷静なエレメアと、高慢なエレメアが争った結果、勝者は高慢さだった。エレメアの口から飛び出たのは、アリスを煽る言葉。
『ふ、ふん! 所詮は見た目だけよ! この程度の童、ひねり潰して――』
ハンギングチェアの後ろから飛び出たエレメアは、アリスを指差してそう言った。
しかし、彼女の言葉を遮るように、イヴが言う。その表情は呆れていた。
エレメアであればステータスを見ることなど、造作もないこと。それなのに戦闘態勢を見せようとしている。
イヴも普段から扱いやすいと思っていたが、ここまでとは思わなかった。
『本当にいいの、エレメア?』
『なにがじゃ!?』
『彼女、レベルは200よ?』
『にひゃ、にひゃくうぅう!?』
アリスのレベルを聞いて、エレメアは腰を抜かした。
イヴは普段から、エレメアをからかったり冗談を言うことが多い。しかしイヴのその言葉を、冗談と疑わずすぐに信じてしまうほど、目の前のアリスという存在は大きかった。
エレメアがステータスを閲覧しないのは、その真実を見るのが怖いからだろう。
ハンギングチェアに掴まりながら、生まれたての子鹿のように足腰を震えさせて立っている姿は、もはや大精霊と言うには情けなさすぎた。
『なんなら全ての魔術を知ってるそうよ』
『すべ、すべてぇ!?』
『Xランクを含む全部よ』
『ふえぇ……』
ここまでくれば、エレメアの完敗である。
エレメアもXランクを多少扱えるものの、全て使えるアリスに勝てるはずがない。
もっと言えば、アリスは常に体力と魔力を回復しているため、長期戦に持ち越されれば確実に敗北となる。
そもそも長期戦でなくても、Xランクを絶え間なく発動が可能なので、敗北は決まっているのだ。
「で、どうする?」
『たたか……い、ませ……ん……』
「えー、不戦勝かあ。つまんないな〜」
『ぐぬぬ……』
「大精霊だってみんなが言うから、もっと気骨のある奴だと思ったのに。こーんな雑魚だなんて」
――さて、はっきりと言おう。エレメアは馬鹿である。
力を有して、長い年数を生きているものの、結局は中身も見た目通りの子供である。
イヴという優秀な右腕がいたからこそ、彼女の威厳が保たれていた。
つまるところ、エレメアはこの程度の簡単な焚き付け程度で、怒りの頂点に達するのだ。
『馬鹿にしよってぇーッ!』
そんなエレメアの怒号と共に、辺り一帯が吹き飛んだ。
氷と炎で生成されたSランクの複合魔術だ。つんざくような冷気を伴った氷が体を引き裂き、それと同等な攻撃力を誇る高温の炎がアリスを熱する。
湖が激しく波打ち、遠方にいたオータが遅れて防御を取る。
イヴはいつの間にか攻撃の範囲外に出ていた。エレメアの右腕だけあって、彼女のやる行動を理解していたのだろう。
轟音が鳴り響き、十数秒の間アリスを襲った。
魔術が収まり、荒れ果てたそこには硝煙と靄が立ち込めている。
『な、な……』
『はぁ。エレメアはもう少し、冷静さを持つべきね。あと忍耐力』
「終わり?」
『はい……』
エレメアが攻撃した場所には、ピンピンしたアリスが立っていた。
Sランク魔術を食らったのにも関わらず、傷ひとつすらない。服も破れている様子はなく、破壊されたのはアリスの周囲だけだ。
これにはさすがのエレメアも、冷静さを取り戻した。
(何のスキルが働いたかは分からなかった――が、確実に攻撃を食らっていた! じゃが奴は、即座に体力値が元に戻った。……わしなぞ、相手にする意味もないのか)
エレメアはぺたりと座り込んだ。自他ともに認める圧倒的な敗北を受けて、心がポキリと折れた。
今まであった大精霊というプライドは、この世界の常識を凌駕するレベルの女にへし折られた。
それと同時に、エレメアには安心があった。
この規格外たる女が、自分と敵対する存在でなかったこと。もしもアリスが殺すつもりでここに来ていたのならば、冗談などを言っているイヴなどなかっただろう。
彼女が島に足を踏み入れた瞬間に、死期が決まっていたも同然だった。
口には出さないものの、エレメアはそのことに感謝をした。まだ生き続けられる喜びに、生命を奪わないでいてくれたことに。
「じゃあ、ここからが本題」
『本題じゃと?』
「ウレタとエッカルトで、魔術を教える学校をやってるんだ。そこの教師になって欲しいんだよね」
『わしらに教鞭を執れと!?』
未知なる島の実態はもう知れたわけで、アリスのここまで来た目的は、現在では〝教員補充〟となっている。
アリスに完全敗北した今、エレメアには拒否権というものが存在しないのだが、それでもまだ大精霊の矜持というものが捨てきれない。
彼らにとって人間は、頭を地面にこすりつけて懇願して、やっと慈悲を見せてやる――知恵を分け与えてやる存在だ。
それだというのに、人間のために授業をしろというのだ。収まっていた怒りがふつふつと湧き上がる。
しかし、悲しいかな。
エレメアがどれだけ精霊の威厳や、そのプライドを前に押し出したところで、もはや意味はない。
彼女の右腕であるイヴは既にアリスに心を許しているし、滅多に会えなかった人間たちを教育することに乗り気である。
『あら~、面白そうじゃない。エレメアは無理でしょうけど、私はいいわよ~』
「ならOKだね」
『わしの意思!!』
かくして。大精霊の威厳のいの字もなく、永久の庭の探索――もとい、教員補充は終わった。
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