第19話 不穏なデートの約束

「黙れよクズ男」


 高く柔らかな声質は変わらず。桃色の唇から飛び出たのは、可愛らしいマナに不釣り合いな言葉だった。

 ヴィロードの頭上に数多くの疑問符ぎもんふがふよふよと浮かぶ。マナの変貌へんぼうぶりに心も頭も体もついていけていない様子。

 ルカは正真正銘しょうしんしょうめい、マナと会うのはこれが初めてである。彼女の本性も何も知らないわけであるが、猫被りが得意な女性であることは一瞬にして見抜いていた。


「誰に口聞いてんのか分かってんのか。下手したら不敬罪ふけいざいで死刑だ」

「やれるもんならやってみな。お嬢様が黙ってないけどね」

「お前を盾にあの女に言うこと聞かせるのも一興いっきょうだな」

「とことんクズだな……。テメェみたいな男、お嬢様にふさわしくねぇんだよ。さっさと戦場に帰んな」


 止まらない罵詈雑言ばりぞうごん。ひとり置いていかれているヴィロードは、もはや考えることを止めてしまった。

 怒りを抑えきれなくなってきたルカは、立てかけてあった愛剣を手に取る。若干じゃっかん青みがかった漆黒の鞘がキラリと光る。

 マナも応戦するように、黒いスカートの中に手を入れる。恐らくなんらかの武器が仕込まれているのだろう。実は彼女は、侍女である反面、凄腕の暗殺者でもある。ルクアーデ公爵家時代は、活発に暗躍あんやくしていたのだが、今ではルクアーデ子爵家自体がすっかりと影を潜めてしまったため、暗殺業務や隠密いんみつ行動はほとんどないと言ってもいい。久々に腕が鳴るとでも言うように、彼女はそっと短剣の柄に触れた。

 戦場で無敗を誇り続ける騎士王ルカと凄腕暗殺者マナ。そんなふたりが真正面から戦ってしまえば、ただでさえ壊れそうな客間だけではなく、子爵邸そのものが破滅はめつしてしまう。我に返ったヴィロードがそれはダメだと声を上げようとした時、救いの女神が現れた。


「お兄様?」


 優しい声色。ヴィロードは救いを求める顔で、声のほうに視線を向ける。扉をそっと開け客間を覗き込んでいるのは、ヴィオレッタ。皇城から帰ってきた彼女は、現状が理解できない様子で客間に入ってきた。

 マナは急いでスカートを正し、ヴィオレッタに頭を下げる。態度を九十度急変させたマナに、ルカは今にも爆発しそうな憤怒を抱いた。


「お、おかえり、ヴィオレッタ。皇帝陛下はお元気そうだったか?」

「えぇ。元気が有り余っているご様子だったわ」


 ヴィオレッタとヴィロードの会話を聞いたルカは、さらに不機嫌となる。

 皇帝に金で雇われ、話し相手となっていることはルカも知っていた。しかし、冗談半分に受け止めていたことも事実だ。本当に皇帝と会って話をしているとは、彼も思っていなかったのだ。


「おい」

「……なんであなたもいるのよ」

「皇帝とふたりきりで会ってんのか」


 質問に答えず、ルカは逆に質問で返す。ヴィオレッタは黙り込んでしまった。

 沈黙ちんもく肯定こうていだと受け止めたルカはソファーから立ち上がり、彼女の前に立つ。目前が暗くなり、彼女はゆっくりと顔を上げる。憤怒で染められた白いキャンパスは、悲哀の色も垣間見かいまみえる。いつもなら喧嘩を売るヴィオレッタも、今ばかりは何も言えなかった。


「皇城に度々出入りするところを目撃でもされてみろ。明日のクソ新聞の見出しはテメェのスキャンダルだろうな」

「………………」


 ヴィオレッタの表情が険しいものとなる。

 一度だけならまだしも、二度も三度も皇城に出入りをするところを目撃されてしまえば、皇帝でなくとも皇城の人間と関わりがあるのではと思われるだろう。婚約者がいる身で、あることないこと囁かれてしまえば、ルカにも迷惑をかけることとなる。


「それと、これは忠告だ。アイツだけはやめておけ」

「どういうことよ……。そもそも私と皇帝陛下はあなたが思っているような関係ではないわ」

「……どうだかな」


 ルカはそう吐き捨てる。

 前までは、ルカのことなどどうでもいいと思っていたはずなのに、今では彼に信じてもらえないことがもどかしく、そして悲しく感じていた。

 ヴィオレッタがわけの分からない感情にさいなまれていると、ルカは小さく息を吐き、彼女の耳元に顔を寄せる。


「七日後の昼前、グリディアード街に来い」

「………………なんでよ」

「来ねぇのなら……」


 ルカはふところから新聞の記事を取り出す。マナに破られたはずの新聞であった。どうやら二枚も持っていたらしい。保存用にあと数枚は所持していそうだが。

 つい先程、皇帝が話していたのはこの新聞のことか、とヴィオレッタは思った。

 ルカは見出しを指さす。


「これは事実だと記者の野郎に直接話してやる」


 呆気に取られていたヴィオレッタの美貌が、徐々に歪んでいく。


「脅迫じゃない」

「なんとでも言え」


 ルカは新聞をヴィオレッタの手に無理やり握らすと、客間を出て行ってしまった。

 明らかに不服なヴィオレッタを見てヴィロードは、ルカが直接言ってくれてよかったと安堵したのであった。

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