第110話:『訂正されることのない1+1の答え』

 ──完全感覚没入フルダイブ型のVR技術において、システムが受診する指令は全て、人間の脳波を仮想空間特有の電子言語に変換したもので行われる。

 変換にかかる時間は脳波の形によって個人差があり、よりVR技術で使う電子言語に脳波が近い程、変換速度──仮想空間における反応速度──は速くなる。


「へぇ!? これ避けるぅ!?」

「ヒュッ……」


 ゲーム『天光のエクリプス』における『霖』のステータスは、STRとAGIに7:3の二極振りをしたものだった。

 レベルはカンスト、スキルも装備も鍛え上げ、何千回と死を繰り返した経験を積んだ彼女は、このゲームでも屈指の強さ……そして速度を持っている。

 混乱する少女へ放たれた不意打ちの一閃。凡そ避けること等不可能な筈の攻撃は……然し、によって空を切った。


(なんつー初速……ッ、反応開始まであと5センチも無かったぞ!?)


 "避けれなければ標的じゃない"とある種覚悟はしていた結果、だとしても回避してみせた少女に霖は思わず舌を巻く。

 霖の経た戦闘経験と、それで培ってきた知識群……特に加速スキルに目がない彼女は、プレイヤーの取得可能な加速手段の大半を、レベル帯で区分け出来る程に把握していた。


 その上で、彼女が攻撃結果に抱いた感想は有り得ないの一言。

 スキルプール上回避不可能な筈の現実が歪んだのは──逆説的に、PSプレイヤースキルで歪めたことに他ならない。


「なんっ……でぇ?」


 斬閃。

 止まることの無い恩人からの殺意に晒される少女は、今何が起きているのか本当に分からなかった。

 少し怖い目にあって、それを凄く綺麗な人に助けて貰って、そのままお喋りして、この世界で初めての友達が出来て。

 人見知りの自分が不思議と気楽に話せたのは、自分と同じ時間にログインしている歳の近い霖を、心のどこかで自分と同じ、学校に馴染めない不良引き籠もりのダメな子だと思っていたからだ。

 久しぶりに楽しくて、嬉しくて。ただ普通におしゃべりしながら、解散するタイミングが分からないまま付いてって散歩していただけなのに。

 しょうもなくもくだらなくも救われた気になって、止めどない自己嫌悪の憂鬱に溢れた日常に僅かに咲く、暖かくて幸せな小さな時間を噛み締めていただけなのに。


 それら全ての思い出を引き裂いた残酷が、それをくれた少女によって叩き付けらていた。


「どうして、こんなことするの?」


これ殺し合いが目的だったから?」


 上擦って震えた声で少女は問う。

 平坦な声で霖はそう返し、100レベルの肉体を弾ませて少女に肉薄する。


「……じゃあ、なんであの時助けてくれたの?」


「万全じゃない奴と戦ってもしょうがないじゃん?」


 震えて掠れた声で少女は問う。

 気楽に会話に応じるように霖は返し、未だ捉えられない少女に向けて更に加速する。


「…………なんで、私なの? 私、何か霖さんに悪いことしちゃったの? あ、謝るから、何をしたら、何をすれば──」


「じゃあ殺し合ってよ。本気で、さぁ!」


 霖は止まらない。

 自分にとって大事な思い出は、手離したくない関係は、彼女にとってどうでもいいみたいに踏み躙られていく。

 悪魔のように爛々と目を輝かせる理不尽が、笑う、嗤う、哂う。

 楽しそうに目を見開き、愉しそうに口端を歪めて、恐怖が、未知が、理解不能な白い星が迫る。

 息が荒れていく。瞳孔が開いていく。恐怖で身が竦んでいく。背筋が冷えていく。全身から汗が吹きでて震えている。……涙が、目から零れていく。



「霖さんは、私が……嫌い、なの?」



 恐慌し、絶望し、過呼吸になりながら吐き出した言葉は……



「──君が無様に死ぬなら大嫌いだよ。雑魚ならフレンドになった価値無いし」



 ……冷徹にそう切って捨てられた。







「………………あは、」







 ──VRゲームにおける才能の指標は、頭の中の構造と認識である。

 システムは受診した電子言語通りにアバターを動かすが故に、現実の肉体では物理的制限・・・・・で出来ないことだろうと、指令さえあれば・・・・・・・アバターはそれを実行してしまう。

 本人がそう出来ると信じ、認識し、キチンと脳が命令を出せれば、電子言語はやがて千切れた先の肉体を動かし、腕を真後ろへ伸ばし、筋力のリミッターすら外せてしまう。


 現実では物理的に有り得ないことは、仮想空間においてその限りでは無い。


 常識を捨て、……それこそがVRゲームにおける認識の才能。


 ──その少女は天才だった。


 VRゲームについてさして知らず、興味も無く、VRについての常識を持たない人間でありながら、無知のままVRゲームをやっている希少種であり、


 そして誰一人として彼女に話し相手はおらず、その認識を正すものが存在しない……




 ……絶望的なまでに脳波が電子言語に酷似していた、未だ何にも染まっていない天才だった。




「……じゃあ、私は霖さんが、好きだから、……頑張って、戦いますね……?」



 か細く震えた声。泣きながら、無理矢理作ったような笑みで彼女は笑った。

 精一杯に、一生懸命浮かべたその表情は痛々しくて、ぐちゃぐちゃな感情で形作ったその顔に、はまるで迷子の子供のような印象を覚えた。


「漸くやる気になった?」


 私に大した才能・・は無い。それを理解してから出来た趣味こそが才能の否定だ。

 大した才能の無い私が、才能のある奴を捩じ伏せて否定する。

 順風満帆に生きている奴の日常が、理不尽に荒らす私を否定出来ずに踏み潰される。

 絶対的上位にいる奴や集団を、才に欠けた私が純然とした実力だけで理解わからせる。


 ……私の才能の無さを、才能の差を、努力と死力を尽くせば覆せると。


 つまらない現実を、くだらない常識を、才能が無かろうが私には必要無いと──才能の必要性を否定する!


「その証明のために……死ねよ天才が!」


 だから私は仮想世界仮説を探して挑む。

 この世界における才能の極限、その否定こそ私の存在証明で、私を肯定するために必要なことだから!

 加速スキルを全て起動し、舌を噛み切って空へと飛ばす。発生した激痛が脳を引き絞り、覚醒した意識がより鮮明に世界を捉えて──


 ──スローモーションになる視界から、目の前に居た少女が突如として消えた。


「ッ!?」


 認識した瞬間には遅かった。

 凄まじい衝撃が腕に走れば、重さに耐え切れず体が吹き飛ばされている。

 風切り音。それが遅れて届いたのに戦慄し、地面に蹴りを刺して筋力で無理矢理体勢回復。

 即座に蹴り飛ばして頭を振れば、確保した視野の中を、スローモーションで尚速すぎる影が視界の移り変わりより速くフレームアウト。

 直後に叩き付けられる斬撃を完全に勘で防げば、容易く剣は弾き飛ばされていた。

 "ごう"と鳴る風圧、人体から発生した豪風が体を叩き、それだけでよろめきかける私に、追撃の斬閃が幾重にも刻まれる。


「見えッ……!?」


 視界にすら映らず、影すらも捉えられ無い。

 音速を優に超える鎌鼬の正体は、あろうことか一人のプレイヤーだった。

 アニメチックなダメージエフェクトすら触れない程なんの前触れも無く超加速した少女は、数々のエンドコンテンツや廃人と戦ってきた私の中で……ぶっちぎりの過去最速の敵だった。

 最早銃弾の速度で駆けるその人間は、加速というより倍速再生で動いているかのようで。


 まるで対象の姿を認識出来ない私は、何も出来ないままに全方位から切り刻まれる。


「なんっ……だこれッ!?!?!?」


 ── 例えば本当に無知な子供、或いは教育を受けたことがない人間に、『1+1=3』であると教えたとしよう。

 通常、人間はそのような解を持つことは無く、自分で辿り着くことは無いのだろう。

 然し、絶対に信用している存在から思考という行為に慣れていないまっさらな状態で、仮にそんな解を植え付けられたら……はたしてその対象はいつ、どのような理由で、その理論が破綻していると気付くのだろうか?


 誤解は何れ解へと訂正される。

 だってそれは正しくないから、間違っているから、証明なんてとうの昔にされているのだから。

 誤って覚えた計算式は間違いであるとペケを打たれ、仮にそうでなかったとして……無知である者が知識を取り込んでいけば、勝手に自分で気付くものだ。


 常に変わらず純粋であり、知識を得ることの無い無知であり、そして世間で認定された誤解を解として認識し、疑問を持つことが無く、そしてそれを誰からも否定された事がない。


 それがこの『1+1=3』という公式を解であると覚えていられる条件であり、正常な人間なら誰だろうと不可能と分かりきっている非現実的な前提だ。


「……よかった、勝てるや」


 ──少女はこの世界に興味が無かった。

 故に、道具としてただ時間を潰すのに用い、モチベーションが無いのだから何一つ世界について調べな検索しなかった。


 ──少女はゲーム内時間が現実の二倍速で流れるVRゲームがあることをたまたま知っていた。

 故に、脳を加速させれば現実の一時間でゲーム内の二時間を体験出来るという事実を、無知もあって当たり前の常識だと、物理法則として認識してしまった。


 ──少女は話し相手がいなかった。

 故に、彼女の話を聞いて訂正し、常識を得る正常への片道切符を、誰からも受け取ることが出来なかった。


 ──少女はどうしようも無いほどVRゲームの天才だった。

 故に、電子言語に酷似した脳波形はシステムと見紛う程であり、"こうしたい"という少女の発想を一種のノイズが入ったシステム命令と解釈したゲームは、ゲームシステムそのものが少女の願いをアシストしてしまう。


 ──そうして少女は全ての前提を通してしまった。

 インターネットの奥底に捨てられた一つの仮説、前提条件の達成が不可能などこまでも脳構造と認識才能に基づく、そもそもこの理論を知ってしまえる時点で挑戦権の無い技術仮説の前提を。

 歪んだ誤解を抱く無知な天才にのみ、自分を天才だと知らない天才にのみ検証可能な前提を。



 それは彼女をして訂正される前の一瞬にだけ咲く、奇跡のような現象だった。



「……これで、友達でいられるんだよね?」



 ──体感速度の低速化、意識だけを何十倍にも加速させるスキルは、VRゲームにおいてそう珍しいものでは無い。

 速すぎる自分の肉体の制御のため、或いは敵の速すぎる攻撃の対処のため。様々な理由で採用される『思考加速スキル』は、その少女に偶然生えたものだった。


 低倍率の代わりに持続時間が長いそれ・・を使った少女は、スローモーションに変わっていく世界の中でただ一人、当然のように──


 脳を加速させれば現実世界の二倍の時間を、等速の感覚で体感出来るゲームがあるのだから、

 他のゲームだろうと思考速度が十倍に加速すれば、認識と等速で動ける筈だと。


 そうなるのが自分の計算と常識にとって当たり前であるが故に。



 訂正されることのない1+1の答え



 は、霖をゴミのように蹂躙する。



「なるほどねぇ……これが次の標的かよクソがァッ!」



 物語のプロローグはこうして終わる。

 一人はどうしようもないほどの才能による敗北を経て、

 一人はどうしようもないほどの絶望と恐怖に晒されて。


 衆目の最中に起きたトッププレイヤーのPKと、それを返り討ちにした超速のレベル44の初心者の戦闘は、間も無くインターネットへと拡散される。



「……さようなら、霖さん」



「次は殺すよ、白ちゃん」




 お互いに聞こえない最後の言葉を呟いて、PKは少女に殺された。

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