扉を閉めて、鍵をかけて。[七折]
扉を閉めて、鍵をかけて。[七折]
死神には残りの生命がロウソクに灯る火として見えていると、多くの物語に記されている。しかし、物語のように火を消す権利などはないのだ。ただ、生命の側に行き、火が消えるまで寄り添って、話を聞く。それがわたしのお仕事だ。
それがわたしのお仕事のはずなのだけれど、わたし達が働く建屋の裏庭の草むしりをしている。上司に言われたのは、いつもより少しだけ遅い時間に出勤してきて、いつもの帽子だけは忘れずに被ってくる事。それはツバが広いから陽から肌を守ってくれる。後々に後悔する前に大切だから、らしく、上司がため息交じりで言った。軍手をはめた手で草を引き抜く度に、少し甘い緑の香りが、ふわり、鼻をくすぐるのが気持ち良くて目を細めてしまう。草の影に隠れて守られていたはずの小さな虫が慌てて逃げたり、逆にものともせず、自分のペースで移動を続けるミミズがいたり、この世界は様々な生命や宇宙の宝庫だ。
「時間、生命、宇宙…………あ。こんにちは」
甘い草の匂いがする手を顎に当てて考え事をしていると、小さなカタツムリの子どもがわたしに挨拶をしてくれた。このカタツムリも葉を食べ、少しずつ大きくなっていって、立派なカタツムリとなる。そして、一生を終えると、身体だけではなく背負った殻までもを栄養として、別の生命に引き継がれる。全ての生命には寿命というものが存在するが、興味深い事に同じ種であっても長さが違うのだ。一日どころか一分すら保たないものから、何百年も保つものまで様々な時間で生きる。顎に当てていた手の小指辺りに、今度は真っ赤で小さな虫がとまった。
「こんにちは……………はい、わたしは挨拶をします」
焦点が合った先で赤く小さな彼が聞くのだから、何だかくすりと笑ってしまった。いつからわたしは生命に挨拶をするようになったのだろう。ちまちまと動く天道虫を見ながら、こんなに派手な色をしていたら、天敵の鳥に見つかりやすいんじゃないだろうかと心配になってしまった。それとも彼は食べられる事に生きる意味を持つのだろうか。
「ご機嫌よう、良い一日を」
丸く真っ赤なその下に隠していた羽根を広げ、青い空に飛んでいった。
生命として生きる様々な宇宙が砂漠のように数多く存在していて、それぞれの長さで生命を謳歌している。数分であろうが数百年であろうが一生懸命に生き、星を数え終わる位にまで語り尽くす程の事をし、相対的に生命の時間が短いからと文句を言う生命などいない。一期は同じ意味や価値、重さを持つ時間。一期の長さに差分は無い。
────人が“生命”として認識出来る一番短い時間です。
いつか、生命の灯を見届けた兵士に言った言葉を思い出した。“生命として認識出来る一番短い時間”はわたし達“死神”が人間に見せられる時間で、人間の生命は時代や環境にもよるが四十年から八十年程が多い。ミミズが三、四年で、天道虫が三か月………。
「わたし達、死神は永遠」
軍手を脱ぎ、黒いスカートの裾を払って木陰まで歩く。青い空の下、ゆっくり流れる雲、鳥の声と静かに疾走る風が草花を撫でていく音。三階建てで焦茶色の煉瓦で出来た生命を補完し、保管するわたし達の職場は、彼らが送ってきた日々と生命の数だけ増えていく。だけど、この地が狭くなる事は無く、増えた棟から棟へ歩いても遠くはならない。
「こんな良いお天気は、誰かと話したくなる」
青い木陰の下で職場の建屋達を眺めて、わたし達はこんなにも生命を見送ってきたのだと思った。わたしがあなた達の灯が消えるまでお話をしてきた生命の本が、どの棟に保管されているかは全て覚えている。わたしにとっては、それ位に愛おしい。
あなたは人生をよく生きたと思います。
そう心の底から思い、声に出して本を閉じるようになったのはいつからだろう。わたしが誰よりも生命の事を考えるようになったのはいつからだろう。そっと樹に背中を預け、目を閉じる。鳥の声がする、葉音が優しく騒めいて、風の音がする。揺らめく草といつもの足音がする。
上司の足音だ。
職務時間中に休んでいた事を叱られると覚悟したのだけど、わたしと同じように樹を背にして座り、また生命の事を考えているのでしょう、と、当てられてしまった。良いお天気だから、誰かと話したいと思っていたのですと伝えると、上司は職務中だけど、こんなに気持ちの良い空の下だから、昼寝をするのも良いかもしれないわね、と、わたしの横で寝っ転がったのだ。わたしの上司は良い人………いや、良い死神だと思う。
二人して目覚めると、もう夕方で肌寒い事以外は良い日だった。
わたしはいつも生命を本に記し、閉じる時に言う。
“あなたは人生をよく生きたと思います”
この気持ちは心の底、誰にも覗けやしない仄暗く、深い場所から込み上げてくる気持ちだから喜んでくれるといい。わたしがいつも魂から離れた生命に贈る言葉。
用具室から出て、扉を閉めて、鍵をかけた。
おわり。
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