5.プロの種馬としての矜持

 Today, I'm gonna have myself a real good time…。


「ドラドさん。今日の種付けの相手は、あのロードシャンヤンさんの孫娘さんですよ」

「ああ、あの短距離の驀進王の孫か」

 よし、未来のダービー馬が授かるための儀式。願掛けとして、後ろ足で立ち、万歳三唱。

「わーっしょい、わーっしょい、わーっしょい!」

「相変わらず元気だねぇ」

「行くぞ!」

 俺は今日も仕事に励む。


《Don't Stop Me Now》


 朝チュンならぬ昼チュン。俺は今、放牧地にいる。その合間に、この牧場のスタッフたちが俺たちの馬房の掃除をしている。隣の放牧地では、俺と同じ芦毛の先輩馬が青草を食べている。今日は特に来客はなく、俺は芝生の上に横たわり、青空を眺めている。

 瑞々しい春。「生命」という概念のためにこそある季節。俺たち生き物のための季節。青草から金色の生気がきらめき出す季節。長い冬が終わり、俺たちは生きる喜びを実感する。あの太陽が、俺に力を与えてくれる。

 ゆったりとした雲の流れを、俺の目線が追いかける。

 人間は有史以前から、空を飛びたいという願望を抱いていただろう。しかし、人間はその身一つでは空を飛べない。だからだろうか? 人間たちは、俺たち馬が走る速さに目をつけた。人間にとっては、馬が走る速さが空を飛ぶ代わりになったのだ。

 馬車が生まれ、自動車が生まれ、飛行機やヘリコプターなどが生まれ、ついにはスペースシャトルが生まれた。いずれ人間たちは本格的な宇宙船を作って、外宇宙を目指すだろう。それまでに、俺の血統のダービー馬は生まれるだろうか?


 ふと思った。昔のスポ根漫画みたいな「ダービー馬養成ギプス」なんて代物があったら、どうするか?

 さすがにそれは動物虐待だ。俺は自分の子供にも、他の子馬にもそんなもんは着けさせたくないし、何よりも、俺自身が着けたくない。そんな非人道的・非馬道的なもんを身に着けてまで勝ちたいとは、思わん。

 まあ、レース引退後の今なら、そんなもん身に着ける必要はないがな。それに、今の俺には「大種牡馬養成ギプス」を身に着ける必要がないくらいの「力」がある。あとは、子供たち自身の運と努力の問題だ。

 それにしても、春眠暁を覚えず、夏眠暁を覚えず、秋眠暁を覚えず、冬眠暁を覚えず…要するに、一年中眠くなるが、こんな天気の良い日に放牧されていると、芝の上に寝っ転がるのが気持ち良い。はぁ〜、極楽、極楽。

 そうだな。放牧中に寝ると、たまに幽体離脱をする夢を見るんだな。ほら、俺はだんだんと眠くなる…はぁ、離脱するぜ。


(すぅ~、すぅ~)


 あれ? 何だここは?

「ほほう、人類代表を呼ぶはずが、馬代表を呼んでしまったとは、嬉しい誤算だな」

 ん? 何だこいつ?

「カバレロドラド、G1レース6勝の名馬。日本競馬界屈指の生ける伝説だね」

「な、何なんだよ、あんたら? 神様か? それとも宇宙人か? 俺に一体何の用だ? まさか、この俺に短距離レースを走れっつうんじゃねぇだろうな!? アイビスサマーダッシュだと、俺には短過ぎるぞ」

 俺を呼び寄せた宇宙人(?)は微笑む。

「スタートの不得手をスタミナと筋力のゴリ押しで補って勝つのが、長距離馬ステイヤーである君の戦術だね。だけど、我々は君とレースをしたいのではない」

「うっ、俺の弱点まで知ってやがんのか? そんな俺に何の用だ?」

「ズバリ、この子に種付けしてもらいたい」

 そこには、毛艶が良くて、顔立ちや体型が整った白毛の牝馬がいた。優しく澄んだ瞳が潤んで、こちらを見つめている。

「おいおい、美人局つつもたせかよ? 俺に種付けしてもらいたいなら、オーナーや牧場に問い合わせてくれ。『英雄色を好む』俺だって、種付け出来ればそれで良いんじゃないんだよ」

 とはいえ、この牝馬おんなのこはかわい過ぎる。俺のの食指が動く。

「…俺にはプロの種馬としての矜持がある。見ず知らずの人間からの突撃依頼には応じる訳にはいかない」

「ドラド君、未来のダービー馬がほしいのだろう?」

 ダービー馬。俺自身が果たせなかった夢を自分の子供たちに託す。俺は息を呑む。俺のの食指がますます動く。

「では、頼むよ」

 謎の宇宙人は消え、真っ白い空間には、俺とかわいい白毛の牝馬が残された。

「私の事…お嫌いですか?」

 牝馬が言う。このは俺と同じく、人語を解する馬だ。

 色々と不安がっている。俺に嫌われるのを恐れているようだ。俺は彼女の緊張感を和らげようと話しかける。

「君のような魅力的な牝馬おんなのこを嫌いになる訳がない。さあ、どうか怖がらないで」

 俺は彼女に寄り添った。


《Don't Stop Me Now》


 朝チュンならぬ昼チュンならぬ、夜チュン。俺は夜中に自分の馬房へやの中で目を覚ましていた。俺は昼間に種付けを終えて、放牧地で寝ていたはずだ。なぜここにいる? まさか俺、夢遊病じゃねぇよな?

 それにしても、あの夢の中の牝馬おんなのこは良かったなぁ…。現実世界でもまた会えて種付け出来れば良いのだけどね。

 もう真夜中だし、ラジオを流していない。他の馬たちはすでに寝ている。朝までやる事がないから、何とか再び寝よう。

 牝馬が一匹、牝馬が二匹、牝馬が三匹…ダメだ、それじゃあ眠れない。

 というか、そもそも俺が往年の名短距離馬ロードシャンヤン号の孫娘に種付けしたのは現実だったのか?

 ええい、余計な事を考えないで、目を閉じて横になるのだ。何も考えずに、時が過ぎるのを待つだけ。


 そう、俺はだんだんと眠くなる。春眠暁を覚えず、夏眠暁を覚えず、秋眠暁を覚えず、冬眠暁を覚えず…。


 う…。


 ん…。


 ちょす…。


 ん〜、清々しい朝だ。メシだ。種付けだ。俺の心が踊る。よっしゃー! 必殺仕事馬カバレロドラド、参上!

 仕事の時間だ。若手厩務員の須藤ちゃんが俺を呼ぶ。この人は最近、結婚した。奥さんは須藤ちゃんの高校時代のクラスメイトで、他の牧場のオーナーの娘だ。つまりは、須藤ちゃんの奥さんのコネで、俺の新しいお嫁さんを紹介してもらえる可能性がある。そして、須藤ちゃんの奥さんハルカちゃんも、この牧場のスタッフとして在籍している。

 そうすると、この二人のおかげで未来のダービー馬が、さらには三冠馬がこれから俺の子供として生まれる可能性もあるのだ。

「ドラドさん。今日の種付けの相手は、あのロードシャンヤンさんの孫娘さんですよ」

「ああ、あの短距離の驀進王の孫か」

 よし、未来のダービー馬が授かるための儀式。願掛けとして、後ろ足で立ち、万歳三唱。

「わーっしょい、わーっしょい、わーっしょい!」

「相変わらず元気だねぇ」

「行くぞ!」

 俺は今日も仕事に励む。


 Today, I'm gonna have myself a real good time…。

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