3.作られた暴君伝説

「あいつは真面目に走っていなかった」

「引退しても、特にこれといった故障などなかったんだ。親父と同じく手抜きして走ってたんだよ」


 ふざけんな。俺は真面目に走っていた。なぜなら、俺は走り続けなければ、生きる事自体を許されないからだ。

 普通の馬が競走馬としてやっていけない場合、良くて乗用馬への転身があるが、最悪の場合は殺処分だ。どこかの肉食動物の餌になるか、肥料にされるかだ。

 俺は突然変異の「人間の成人並みの知能を持ってしゃべる馬」という、本来ならば人間社会においてはあってはならない存在だ。それが世間一般に知られれば、どのように扱われるか? 一部の関係者たちが俺の「特性」を知ったのは、俺が競走馬として登録されてからの事だ。

「ドラド、身内だけの時以外はしゃべるな」

 現役時代の担当調教師〈先生〉は言う。

「俺はお前をどこかの研究所のモルモットにはしたくない。お前の競走馬としての将来性をつぶしたくないんだよ」

〈先生〉はため息をつく。この「しゃべる馬」という重大な秘密から世間の目をそらすには、どうすれば良いか?

「先生、良い案があるんだ」

「ん? 何だね、ドラド?」

「俺は〈道化〉を演じる。何をしてもおかしくないような珍妙なキャラクターを演じてみせる。そうすると、『実はしゃべる』なんていう噂も単なるギャグとして片付けられるのではないかな?」

「なるほど。『木を隠すなら森の中』とは言うけど、お前の『木』を隠すためにネタの『森』を作るのだな?」

「うん」

「ならば、俺もお前の煙幕になろう。お前は俺に対して反抗心を抱く馬で、俺はお前に対して手を焼いている。それでも何とか互いに仕事をこなしているという関係性だな」

「ありがとう、先生。がどれほど世間に対して『千両役者』になれるかが楽しみだ」

「危険な綱渡りだぞ」

「私もドラドを助けます」

「おっちゃん、ありがとう」

 俺たちは一世一代の大博打を始めた。


 G1レース6勝の「芦毛の暴君」、ターフの白き千両役者〈カバレロドラド〉の大航海伝説は、こうして成り立った。

 俺の「悪名」は俺と協力者たちの共犯関係によって成り立ったものだが、ここまで「存在自体がギャグ」だと見なされるとは予想以上だった。しかし、「真面目に走っていなかった」とまで言われるのは、俺自身のプロの馬としてのプライドが許せない。


《なあ、ドラド》

「何だ、〈爆弾〉?」

 隣の馬房にいる俺のマブダチ、通称〈爆弾〉。もちろん、競走馬としての本名は別にあるが、俺はこいつを〈爆弾〉と呼んでいる。こいつと初めて並走して、俺はこいつに負けて、ショックのあまり食欲をなくし、一時期は体重が20キロ近く落ちてしまった。要するに、こいつは確かな実力がある奴だ。

 俺はこの廐舎の他の馬たちの「通訳」だ。他の連中の「念」を、人間である廐舎関係者たちに伝えている。もちろん、他の馬たちも人間である関係者たちの言葉は分かるが、俺とは違って人間の言葉は使えない。だから、俺が代弁者となる。

《「赤い」とは言うけど、「赤」ってどんな色なんだ?》

 普通の馬の色覚では、赤系の色を認識出来ないという。しかし、俺には赤いものを認識出来る。どう説明しよう?

「そうだな。〈命〉の色だ。俺たち馬にも流れている血の色だ」

《それがお前には分かるのだな》

「なぜそうなったのかは分からないけどな」

《この廐舎最大の企業秘密、それがお前の存在そのものだな》

「ああ、廐舎に幽霊がいるなんて噂があるようだけど、どこかの科学者みたいなオカルト否定派がいてくれるおかげで、余計な詮索をされずに済むだろうさ」

《それでも、お前の寝言は時にはシャレにならない》

「俺、変な事言ってんのか?」

《ああ、「週刊文潮の編集長のケツは4つに割れている!」なんて叫んでたぞ》

「ま、マジかよ…!」


 そうだ。俺は現役競走馬時代から変な夢を見ていた。


「孟徳、もう追手らしき気配はないぞ」

「そうだな」

 孟徳。すなわち、三国志の曹操。先ほど、董卓のところから逃げてきたばかりだ。

 俺は走る速度を弱め、歩く。

「このまま親父さんのところに戻るんだろ?」

「ああ」

 しかし、俺たちがいるのは札幌競馬場だった。

「親父さんへのお土産買ってく?」

「うむ。すすきのに行こう」

「狸小路を見てみるのもいいだろ?」

「何かの穴場みたいな店があるだろうし、面白そうだな。元譲(夏侯惇)への嫌がらせとして、変な土産物を買うのも良いな」

 変な土産物…例えば、熊とカニが合体したような怪しいフィギュアか? それはさておき。

 俺は孟徳を乗せて競馬場を出ていき、狸小路商店街を目指した。夢の中だけあり、通行人たちは俺たちを見ても平然としている。まあ、この街では、時計台の辺りに観光幌馬車の営業があるから、俺がここにいても別におかしくはないだろう。

 アーケードの中にある映画館で、面白そうな映画をっているようだ。

「大人1枚、馬1枚」

 孟徳は俺の分もチケットを買ってくれた。まあ、俺は馬だから無一文だし。

 映画のタイトルは『地獄の黙示録』ならぬ『地獄の戦国策』。中国・戦国時代の斉の刺客が、敵国・宋の王を暗殺するために敵地に侵入するという内容だ。

 この宋の王というのは、歴史上では血なまぐさい暴君とされているが、かのケツ王、もとい夏の桀王や殷の紂王のように「作られた暴君伝説」だった可能性はある。

「何だ、駄作じゃないか」

 孟徳は呆れ返る。確かに、この映画はラジー賞ものの駄馬映画だった。モンティ・パイソンのオマージュを狙ったつもりが、日本の三流バラエティ番組みたいな安っぽい代物になってしまったようだ。

 俺たちは映画館を出て、すすきのに行く。そこに一人の男がいた。

「おう、孟徳じゃないか!」

「本初、お主も来ていたのか?」

 本初? ああ、いわゆる袁紹か。

「どうだ、〈庶民的おやじ天国〉に行かないか?」

「おお、いいな。あそこのモツ煮がうまいんだよな」

 孟徳と本初…曹操と袁紹は俺に別れを告げて、〈おやじ天国〉なる居酒屋に行った。俺は大通公園を目指す。

 テレビ塔の時計は夕方5時過ぎ。俺はアテもなく公園内をぶらつく。


「おお、ドラド」

「よう、〈爆弾〉」

 俺は〈爆弾〉と合流し、西へ進む。大通公園の西の方には、〈マイバウム〉や黒田清隆像などがある。黄昏時、俺たちは人や車の流れを眺める。

「24時間眠らない街…か」

 俺は沈みゆく夕日に目を細める。〈爆弾〉は相変わらず穏やかな表情だ。

「人と馬とでは、時間の流れが違う。もしかすると、人間同士でも違うのかもしれない」

〈爆弾〉は目を閉じてつぶやく。俺の鮑叔。今も元気だろうか?


「衣食足りて礼節を知る」

 俺は馬着を身に着けながら、飼葉めしを食う。ある程度の量の干し草をくわえて水の容器に浸し、食べる。要するに、人間の食事で言うお茶漬けだ。

 この作業は、俺自身がやらなければうまくない。あらかじめ牧草を水に浸したものを出されるのはダメだ。俺自身がやらなければ、微妙な食感や味わいが損なわれるのだ。

 もうすぐ種付けシーズンだ。それまでに英気を養うべし。俺はこれからも生きていく。

 俺の娘と〈爆弾〉の息子の縁組ならば、未来のダービー馬が生まれるだろうか?

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