第11話

 スメラギは手紙を携えて2階へと階段をあがっていった。

 歩くたびに床板がきしんで音をたてる。落ちるのではないかとスメラギはびくびくしながら次の一歩を踏み出していった。

 宮内小夜子は、割れた窓のそばの大きな肘掛け椅子に腰かけていた。椅子が大きいのか、宮内小夜子が小さいのか、背もたれは彼女の座高の倍はあり、花模様は今や擦り切れて、染みと見分けがつかない。肘かけには杖がたてかけてあった。

「はやく、手紙をちょうだい」

 またしても命令口調だが、そこにはまるで子どもが欲しいものをねだる無邪気さとかわいらしいわがままがあった。外からちらっと見えた幽霊のように白い顔には血の気が戻っていた。

 宮内小夜子は、恋人柏木孝雄からの手紙をずっと待っていたのだ。だが、柏木孝雄から手紙が来ることを、どうして宮内小夜子は知っているのだろうか……。

 宮内小夜子にせかされ、スメラギは手紙を差し出した。しみだらけの干からびて骨の浮き出た手で手紙を奪い取った宮内小夜子だが、裏書を確かめると、たちまち高揚した頬が血の気を失っていった。

「私の待っている手紙じゃないわ」

 宮内小夜子は手紙を床に投げ捨て、再びその白い顔を窓の外にむけてしまった。

 床にはコンビニの袋が散乱し、中には食べかけの菓子パンや弁当が残っているものもあった。その隙間を埋めるようにして投げ捨てられているのは、ダイレクトメールのたぐいのもので、封も開けられずにあちこちに散らかっている。

 柏木孝雄の手紙を拾おうとして、スメラギは視界に入った封の切られた手紙を手に取った。手紙には、甘ったるい文を散々書き散らしたあげく、最後は金を用立ててくれとあった。消印は20年以上前の古い手紙だ。

「本当に、この手紙ではない?」

 スメラギはもう一度手紙を差し出し、たずねた。

 鬼籍によれば、柏木孝雄の恋人、宮内小夜子である可能性のある人物は3人。地獄に落ちた一人目はスメラギ自身も違うだろうと思い、実際宮内小夜子ではなかった。二人目も人違いだった。であれば、3人目が柏木恋人の宮内小夜子でなければならないのだ。

 老婦人は86歳、「待っている手紙とちがう」というが、柏木孝雄という男の存在が記憶からすり抜けてしまっているだけかもしれない。

「柏木孝雄という青年に心当たりは? 昭和20年ごろ、あなたの婚約者だった男だけど」

「柏木? 私は佐川啓介と結婚するんです。彼は今ハワイにいるけれど、もうすぐ帰国して私たちは式を挙げるんです」

 愛おしそうに老婦人が撫でた左手薬指には大粒のダイヤの婚約指輪が光っていた。窓から差し込む午後の光に鈍い虹色の光を放つそれは、ただのガラス玉だった。男は戻ってこないだろう。

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