第22話『出会いと別れ』

 あんぐおーぐが日本にやってきて3日目。

 俺たち4人……俺とあんぐおーぐとあー姉ぇとマイは夏祭りに来ていた。

 せっかくだから、とみんな浴衣姿だ。


《すごいすごい! めっちゃきれいだし、かわいい! ”キモノ”いいな! それに”ヤタイ”も最高! おもしろいものがたくさんある!》


 あんぐおーぐが楽しそうにはしゃぎ、出店を覗き込んでいる。

 あー姉ぇが彼女のかわりに商品を注文してあげていた。

 俺はそんなふたりをよそ目に、「マ~イ~」とにじり寄っていた。


「お前~、あー姉ぇの寝相の悪さ知ってたな~?」


「ななななんのことかなぁ~!?!?!? ししし知らないよマイはなんにもぉ~!?」


「じぃ~っ」


「うっ……あ〜うぅ〜。イロハちゃん、たこ焼き食べるぅ~?」


 たこ焼きを「あ~ん」と差し出された。

 爪楊枝にぱくりと食らいつく。


「熱っ……はふっ、はふっ」


 悶えながら咀嚼する。まぁ、醍醐味ってやつだ。

 うーん、うまい!


「しゃーない。許してやるか」


「ほっ」


「……」


 しばしの静寂。祭囃子がこだまする。

 俺たちの視線の先では、あー姉ぇとあんぐおーぐとが「わーっ!」《ぎゃーっ!》と騒いでいた。


 あー姉ぇが姫りんご飴を買って差し出し、あんぐおーぐは「また”カリカリウメ”でショ!」と警戒する。

 そんな態度に、あー姉ぇは爆笑している。


 じつは、ずっと聞きたかったことがある。

 けれど聞きづらかったこと。


「なぁ、マイは自分もVTuberをやろうとは思わないのか? わたしたちの活動、知ってるよな?」


「うん、知ってるよぉ~。お母さんたちはVTuberのことよくわかんなかったみたいだけど、マイは配信しはじめたころのお姉ちゃんを見てたから。というか最初、お姉ちゃんの配信手伝ってたし」


「え? そうだったの!? じゃあなんで」


「ムリムリムリ! マイ自身が配信するのはまったくのべつだよぉ~! マイは配信とか向いてないもん! そういう人前でおしゃべりとか本当に苦手で!」


「そんなことはないと思うけど」


「そんなことあるんだよぉ~。マイはねぇ~、毎日コツコツと学校に行ってお勉強するほうが向いてるんだぁ~。……えへへぇ~。じつは、ちょっとだけ悩んだこともあるんだけど、そんなときお姉ちゃんが言ってくれたんだぁ~」


 マイが視線があー姉ぇの背中を追っていた。

 それはおそらく、尊敬と……そして憧れのまなざし。


「『どっちの人生のほうがエラい、なんてのはないんだよ!』って。『マイはマイの進みたい人生を進め!』ってぇ~。だからマイはこのままでいいの。このままいいんだぁ~」


 マイは「まぁ、まだ将来やりたいことなんて決まってないんだけどねぇ~」と照れたように笑った。

 俺は正直マイのことを見くびっていた。


 ……いや。”子ども”を見くびっていた。

 彼ら彼女らはその小さな身体で、しかしすでにたくさんの物事を考えながら生きているのだ。


《イロハ! そろそろ時間だってさ! 行くぞ!》


「ほらマイ、行くよ!」


 俺はあんぐおーぐに、マイはあー姉ぇに手を引かれる。

 連れていかれたのはすこし高台になった場所。


《さん、にぃ、いち……》


 夜闇のキャンパスにカラフルな花が描かれた。

 音と衝撃が俺を身体の芯まで揺さぶった。


《”ターマヤー”!》


 あんぐおーぐが叫ぶ。なんだか俺も叫びたくなって、一緒になって声を出した。

 いつもはめんどうくさい夏休みの日記が、今日はすぐにでも書きたい気分だった。


   *  *  *


《この3日間、本当に楽しかった! みんなのおかげだよ。ありがとう!》


 俺たちは空港まであんぐおーぐを見送りに来ていた。

 アメリカ行きの最終便が出るまでもう時間がない。


《お~ぐ~、本当に帰っちゃうの?》


《あーもう、泣くなよー。べつに今生の別れってわけじゃないんだしさ》


《いや、泣いてねーし》


 俺はそう言って目元を拭った。

 この3日間はあっという間だった。

 なのにもう、おーぐと一緒にいるのが当たり前とさえ感じるようになっていた。


《そうだ、これ。結局ドタバタして渡せてなかったから》


《あっ、サイン! ……ありがとう》


 しばし、ふたりして無言になる。

 やるべきことが全部終わってしまった。


 これで本当にお別れなんだという実感が湧いてくる。

 ぽつり、と呟くようにあんぐおーぐが口を開く。


《今回の旅行は期間が短くて、ちょっとしか観光をできなかった。けど、次は1週間ぐらい休みを取って来るつもりだから! そのときは日本中を回ってご当地グルメを食べ歩くんだ!》


 あんぐおーぐは視線を窓の外へ向けた。

 その声はかすかに震えていた。


《おーぐ?》


《日本の夏は経験できたから、次は春にしようかな。それで桜を見に行くんだ。そのまた次は秋に来て、紅葉を見る。これでお別れじゃない、ワタシはこれからも何度も日本に来るから。だから――》


 あんぐおーぐが視線をこちらに向けた。

 そのまなじりには今にも溢れんばかりの涙が溜まっていた。


《だから、イロハも絶対にアメリカに来いよ!》


《……!》


 俺がアメリカに?

 考えたこともなかった。


 いや、人生で一度だけアメリカに行ったことがある。

 その結末は悲惨なものだったが……。


《わかった。必ず行くよ》


《約束だからな!?》


 空港のロビーにアナウンスが響く。

 もう時間だ。


《……じゃあ、行く》


《……うん》


 あんぐおーぐが背を向けて歩き出す。

 その背がどんどんと小さくなっていく。


 これでお別れ? 本当に?

 まだなにか伝えるべきことがある気がした。


 けれど、俺にはその感情をどう言語化すればいいのかわからない。

 ただ気づいたときには彼女の名前を呼んでいた。


《おーぐ!》


 あんぐおーぐが振り返る。

 まるで、そのひと言を待っていたみたいに。


《イロハ!》


 カバンを放り投げ、こちらへ駆け戻ってくる。

 そして、どんっ! と体当たりするかのように俺へと抱き着いた。

 俺は彼女をぎゅっと受け止めた。


《イロハ、絶対にまた会おう! 絶対にまた会おうなっ!》


 そう、あんぐおーぐは俺へと顔を近づけてきた。

 俺は《え?》と反射的に振り向いた。瞬間――。


《んぅ!?》「んぐぅ!?」


「あ」「ぎゃぁああああああぁ~!?」


 あんぐおーぐの目が驚愕に見開かれる。俺も同じような顔をしているだろう。

 あー姉ぇがポカンと口を開け、マイが悲鳴を上げた。


《「うわぁあああ~~~~!?」》


 俺とあんぐおーぐは同時に跳び退った。

 まるで鏡映しのように、ゴシゴシと服の裾で口元を拭う。


《な、なななっ!? なにするんだ、おーぐぅううう!?》


《ち、ちがっ!? ワタシはただ気持ちが昂っちゃって、それでチークキスしようとしただけで!》


《やっぱりキスじゃないか! この発情ゾンビ!》


《ちがうっ! チークキスっていうのはほっぺた同士を引っ付けるだけ! くちびるは引っ付けない! イロハが振り向いたのがいけないんだろ!? スケベはイロハのほうだ!》


《なっ、なにおぅ!? 今のはおーぐが――!》


《いやいや、イロハが――!》


「ま、まままマイのイロハちゃんがぁ~~~~!?」


「あははははは!」


 さっきまでの感動的な雰囲気はどこへやら。

 結局、俺たちの別れはずいぶんと騒がしいものになった。


 けれどもう寂しくはなかった。

 また会える。そんな確信があった。


 ……あ、ちなみにあんぐおーぐにキスされたことは配信でバラした。

 すぐさまあんぐおーぐがコメント欄に現れ必死に弁明したが、遅い。


 あっという間に切り抜かれ、それは過去最高の再生数を叩きだした。

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