痴女じゃない

「痴女じゃない。痴女じゃない。痴女じゃない。痴女じゃない」


 呪文のように唱える紗夜は、髪を乾かす勇の横腹を何度も突く。その度に無気力の体が左右に揺れる勇は特に言い返すこともなく、無言で髪を乾かし続けていた。

 勇よりも前に髪を乾かし終えていた紗夜は勇に注意されてもなおサラシを巻くことはなく、発言を取り消せと言わんばかりに光の宿っていない目を勇に向けた。


「痴女じゃない。痴女じゃない。痴女じゃない。痴女じゃない。痴女じゃない」

「…………」


 今訂正しようものなら紗夜に馬鹿にされると思っている勇も光の宿っていない目で鏡に映る自分を見つめ、相変わらず体を揺らされていた。

 また謎の攻防戦が始まったかと思われたが、やっと目に光を取り戻した紗夜がなにかを思い出し、一瞬で決着がつくことになってしまう。


「(痴女じゃない。痴女じゃない)」


 ゾワゾワっと勇の体が震え上がるのが見て分かる。紗夜にいきなり耳元で話しかけられた勇も半ば強制的に目に光が戻り、反応を示してしまう。


「やめろ!耳弱いのさっき知っただろ!?」

「私は痴女じゃない。訂正して」

「俺の寛大な心が痴女だろうがなんだろうが受け止めてやるから、別に訂正しなくていいだろ」

「寛大な心があるなら訂正してよ。私は痴女じゃない。はい復唱」


 紗夜が口を開く度に痴女と言う言葉が入ることに頭を悩ませる勇だったが、訂正すれば済む話だということも分かっている。

(ただ謝るだけだと俺が悪いみたいで、なんか嫌だな)

 なんのプライドなのか、自分だけが悪者になるのが嫌な勇は隣に立つ紗夜に、鏡越しで目を合わせると乾かし終わっている紗夜の髪にドライヤーを当てながらワシャワシャと頭を撫で始める。


「お前は痴女じゃありませんねー。小悪魔ムーブをしてただけだもんなー」

「な、なによ。いきなり頭撫でだしたと思ったら私の味方になって」


 鏡越しに勇に睨みを効かせる紗夜はどことなく満足そうであり、心地よさそうでもあった。

 そんな紗夜を見た勇は素直に思ったことを口にする。


「お前、ほんと撫でられるの好きだな。犬か?」

「初めて撫でられたから知らない」

「ほほーん。俺が初めての人ね〜」

「なによ」

「いーや?嬉しいことだなーと」

「ふーん」


 表では素っ気なく言葉を返した紗夜だが、

(私の初めてがうれしいんだ。ふーん。私の初めてがそんなにうれしいんだ〜)

 内心喜びに満ちていた紗夜は撫でられながら更に頬を緩ますと、勇の頭にポンっと手を置いて勇の真似をするように優しく撫で始める。


「なんだ?」

「んー?あなたにはこの味わいをあげようかなってねー」

「それはどうも。ぎこちないせいであまり気持ちよくはないが」

「こういうのは気持ちでしょ!」

「そうだな。ありがと」


 素直にお礼を言った勇はドライヤーを止め、未だに頭を撫でようとする紗夜と一緒にリビングへと向かう。

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