エピソード 5ー4
戦争を終わらせるため、そして回帰前の罪を償うため。ルチアをレオノーラに託すという決断を下した。ゆえに、二人を国境沿いまで送るように手配する。
馬車が出立の準備が整うのを部屋で待っていると、そこにオリヴィアが現れた。彼女はアリアドネの要請に応じ、数日前からこの離宮に滞在していたのだ。
そんな彼女は、いつもよりラフな格好をしている。だが、その表情にはいままでにない種の緊張感が漂っていた。
「アリアドネお姉様、話はまとまったのですか?」
「ええ。私はオスカー殿下の擁立を支援して、和平交渉のテーブルについてもらう予定です。そして、そのための重要な役割を貴女に託します」
オリヴィアに頼んだのは、アヴェリア教国との調停役だ。しかし、小康状態を保っているとはいえ、両国が戦争中であることに変わりはない。ギャレットに気付かれれば人質に取られる危険もあり、一国の王女を派遣するのは時期尚早と言えるだろう。
けれど、戦争が再開されるまでに交渉のテーブルを用意する必要がある。
想定されるタイムリミットを考えれば、アヴェリア教国と現地で話し合えるだけの人材が必要だ。その適任者として選んだのがオリヴィア、というわけだ。
重要かつ危険な役目である。オリヴィアが怖じ気づく可能性もあったし、イザベルが反対する可能性もあった。
その場合の代案も考えていたが、オリヴィアは自分の母を説得したらしい。
「よくイザベル前王妃が許可を出してくれましたね」
「後継者争いの行く末は、私の命運にも関わりますもの。目先の危険を恐れて、自らの運命を他人の手に委ねるような教育は受けておりませんわ」
そう言い放つオリヴィアの瞳には力強い意思が込められていた。
(回帰前と違う運命をたどっても、オリヴィアはオリヴィアということね)
「貴女の覚悟を受け取りました」
アリアドネは満足げにうなづき、それから視線をレオノーラに移す。
「紹介いたしますね。彼女はレオノーラ王女殿下。アヴェリア教国の第一王女です」
「本当にアヴェリア教国の第一王女がこの国にいるとは……」
オリヴィアが驚きに目を見張った。
アリアドネは続けてオリヴィアのことをレオノーラに紹介する。それを聞いたレオノーラも「交渉役にオリヴィア王女殿下を派遣してくださるのですか?」と目を見張る。
「それだけ、グランヘイム国も本気だと言うことです」
「……理解しました。何卒よろしくお願いいたします」
こうして、アヴェリア教国へ向かうメンバーが決定した。
彼女たちを、出立の準備が整った馬車のまえまで送る。
その道の途中にある並木道、ルチアがアリアドネの隣に並びかけてきた。彼女は金色の髪を風になびかせながら、アリアドネに親愛の眼差しを向ける。
「アリアドネ皇女殿下、その……なんとお礼を言えばいいか」
「お礼は必要ないと言ったはずよ。貴女は自分が幸せになることを考えなさい」
「……どうして、そんな風に私に優しくしてくださるのですか?」
「さぁ? きっとただの気まぐれよ。だから、感謝なんて必要ないわ」
「いいえ! ……いいえ。このご恩は一生忘れません。だから、なにかあれば、いつでも呼んでください。きっと、貴女のお役にたってみせますから」
「……必要ないと言っているのに、貴女って子は。……道中に気を付けてね」
並木道の向こうに止まる馬車が見える。その直前で足を止める。アリアドネは結局、ルチアの好意をやんわりと拒絶した。
それに気付いたのだろう。ルチアは少しだけ寂しげに笑う。
「……はい。アリアドネ皇女殿下も息災で」
彼女は深々と頭を下げ、馬車の方へと移動していった。それと入れ替わりで、馬車から降りてきた少年――オスカーが、レオノーラに手招きされてやってくる。
彼はレオノーラと一言二言話したあと、アリアドネに向き直った。
「ご無沙汰しております、アリアドネ皇女殿下。今回はその……僕のために尽力してくださってありがとうございます」
「レオノーラ王女殿下から聞いていると思いますが、打算あってのことです。友好的な関係を築きたいと思っていますが、感謝する必要はありません」
貸した分は和平交渉で返せという意味。
それを聞いたオスカーは「高くつきそうです」と困ったように笑う。
「その辺りは、敗戦の将に責任を取らせなさい。ちょうどいいでしょう?」
ギャレットを追い落とし、敗戦の責任を取らせる。
そうすることでグランヘイムは和平交渉で賠償金などを手に入れ、オスカー王子はギャレットの勢力を削ぎ落とすことが出来る。
互いに利のある取引だと、アリアドネは笑う。
「姉上の言うとおり、恐ろしい人ですね。……と、そうでした。アルノルト殿下に頼まれた物は必ず用意するとお伝えください」
「アルノルト殿下に頼まれた、ですか?」
なんのことかと首を傾げると、オスカーはおやっという顔をした。
「ご存じなかったのですか? では、僕も秘密にしておきましょう」
意味深な視線を向けられる。アリアドネは首を傾げるが、自分の独断を見過ごしてもらっているのに、アルノルトの独断を咎めるのは筋違いだろうと追及は避けた。
それよりも、言うべきことがあると気持ちを入れ直した。
「オスカー王子殿下、一つお願いしてもよろしいですか?」
「ええ、なんでしょう?」
「ルチアのことです。政治的に協力を得るのはかまいません。ですが、彼女を両親に会わせ、決して彼女の自由を奪わないと約束してください」
「もちろん、聖女様の自由を奪うつもりはありませんが……もし、僕がその約束を違えたらどうするつもりなのですか?」
その言葉はただの興味本位だった。だが、彼は興味本位で聞いたことを後悔する。あるいは、興味本位で確認できたことを感謝するべきか。
なぜなら、アリアドネが宝石眼を妖しく輝かせ、恐ろしいほどの殺気を放ったからだ。
「こ、これは……っ。ア、アリアドネ、皇女……殿下……?」
「オスカー王子殿下。私は味方には誠意を尽くします。けれど、もし貴方がルチアを害するのなら――貴方は私を敵に回すことになるでしょう」
回帰前のアリアドネは、オスカーやレオノーラを虐げた。けれどそれは、彼女達がグランヘイム国に仇なした敵国の敗者だったからだ。
彼らに対する贖罪の意思はあれど、その優先度はルチアよりもずっと低い。だから、敵に回るのなら容赦はしないと言外に忠告する。
そうして警告を終えたアリアドネは、不意に殺気を引っ込めた。プレッシャーから解放されたオスカーが息を吐く。
「……はっ。はぁ……っ。肝に、銘じます。それと、さきほどの言葉は――」
「ええ、分かっています。貴方にそのつもりがないことは」
アリアドネはオスカーのことをよく知っているが、オスカーはアリアドネのことをよく知らない。アリアドネの思惑を探ろうとするのは当然のことだ。
だからこそ、ルチアを害することだけは許さないと明確に意思を示した。さきほどの殺気は、アリアドネにとって警告の意味でしかない。
「分かりました。では、彼女のことは僕が護ると約束しましょう」
彼はアリアドネの意思を汲み取って、早速ルチアの元へと歩み寄っていった。そんな彼を見送っていると、入れ替わりでアシュリーが並びかけてくる。
「アリアドネ皇女殿下、出立の準備が出来ました」
「そう……いよいよね」
戦争を終わらせる最後の一手。これでアリアドネが出来る手はすべて打った。あとは、アリアドネの蒔いた種が芽吹くのを待つだけだ。
そんな想いで馬車へと視線を向ける。
さきほどの衝撃が抜けきらないのか、オスカーの足取りがおぼつかない。そんな彼を心配したのか、ルチアが声を掛け、オスカーの汗を拭う。
オスカーが距離の近さに慌て、ルチアもまたそれを自覚して頬を染める。二人からは、どこか甘酸っぱい空気が漂っている。
「アリアドネ皇女殿下、あの二人、なにかありましたか?」
「……いいえ。でも、もしかしたら……」
アリアドネは政略結婚を計画に組み込まなかった。その方が効率的だと知りながら、ルチアの意思を曲げたくなかったからだ。
だが、彼らが自らの意思でそれを願うのなら、アリアドネが憂うことはなにもない。
(少しは、償いが出来たのかしら?)
そんな風に考えながら、彼らの馬車が旅立つのを見送った。
ほどなく――アリアドネのもとにメイドの一人が駆け寄ってくる。そして、メイドの報告を耳にしたアリアドネは目を大きく見張る。
「お母様の意識が、戻った……ですって?」
「は、はい! ルチアさんが治癒魔術をしてからほどなく容態が変化して、さきほど覚醒なさいました。衰弱はなさっていますが、意識はしっかりとしております」
「……そう」
ルチアに贖罪を。
そう考えていたはずなのに、気付けば返しきれないほどの恩を受けている。ルチアには最後まで恩を返せなかった――と、アリアドネは思わず空を見上げた。
わずかに滲んだその視界には、雲一つない青空が何処までも広がっていた。
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