エピソード 2ー1
回帰前に自ら描いた血塗られた歴史を塗り替える。その最初の一歩として、アリアドネは闇ギルドへと向かった。
供としたのはソニアのみで、ほかの者達は建物の周辺に待機させる。ギルドの隠れ蓑となっている酒場のマスターのまえでフードを脱げば、すぐに奥へと通された。
人払いが済まされた部屋で待っていたのは、ギルドマスターのキースだ。
「嬢ちゃんがまたここに来るとはな。婚約の祝いでも送った方がいいか?」
相変わらずの口の利き方だ。
だがアリアドネは気にした風もなくローブを脱ぎ、ソファのまえに移動。脱いだローブをソファに敷こうとすると、ソニアが持っていたハンカチをソファの上に敷いた。
「どうぞ、おかけください」
ソニアの気遣いに微笑みを返し、アリアドネはハンカチが敷かれたソファに腰掛ける。それを意外そうな顔で見ていたキースがにやっと笑った。
「しばらく見ないうちに、ずいぶんとメイドが板についたようだな」
「そういう兄さんは、いつまでアリアドネ皇女殿下に失礼な口をきくつもり?」
「おっと、やぶ蛇だったか」
キースが肩をすくめる。
けれど次の瞬間、彼は「だが――」と、アリアドネに鋭い視線を向けた。
「嬢ちゃんが二度に渡ってあのいけ好かない侯爵に煮え湯を飲ませたことは聞いている。よくやってくれたと、感謝していたところだ」
「あら、あの程度で満足したとか言わないわよね?」
アリアドネが軽く挑発すれば、キースは獰猛な牙をのぞかせた。
「俺たちはウィルフィード侯爵に両親を殺され、家門までも奪われた。その恨みは煮え湯を飲ませた程度じゃ満足できねぇ。どんな手を使っても、その恨みを晴らすつもりだ」
「そう、なら安心なさい。次はいよいよ、ウィルフィード侯爵の首を取るわよ」
「首? それは……なにかの比喩か?」
キースがいぶかしげな顔をした。だが、アリアドネの真剣な眼差しを受け、彼の瞳が驚愕に染まっていく。
「本気で、言っているのか?」
「冗談でこんなこと言わないわ」
「……そうか。で、俺はなにをすればいい?」
「いくつかあるけれど、まずは魔術アカデミーに所属する生徒に接触してもらうわ」
アリアドネはその整った顔に静かな笑みを湛えた。それから視線で合図を送る。ソニアは小さく頷き、ターゲットのプロフィールが書かれた紙をキースへと手渡した。
彼はそれに目を通した直後に目を見張る。
「おいおい、これは……マジか?」
「冗談でこんなことは言わないと言ったばかりよ?」
「しかし、隣国の王子がお忍びで、魔術アカデミーに通っているなんて……」
「あり得ない? そう思うのなら、彼の思惑は成功している、と言うことね」
魔術アカデミーに通っているのはオスカー・アヴェリア。アヴェリア教国の第二王子ではあるが、正妃の長子として王位継承権第一位が与えられている。
だが、それも以前の話。
王妃が亡くなったことで、オスカーは後継者として不利な立場に追いやられている。
このあたりの事情はアルノルトと似ている。
違うのは、彼の後ろ盾が弱かった、という点だ。同じ母を持つ姉、第一王女が味方をしてくれているが、彼の身を守るほどの力はない。国内に留まるのは危険だと判断し、お忍びでグランヘイムの魔術アカデミーへと入学することになった。
アヴェリア教国での彼の立場は弱い。
だが、その彼こそが隣国との‘戦争を終わらせる鍵’だと、アリアドネは考えている。
「……いいだろう。なら隣国の王子がこの国にいるとして、接触したあとはどうするつもりだ? お忍びだというのなら、正体を暴かれるのは望まないはずだ」
「そうね。でも……そうも言っていられない事情があるのよ」
「そうも言ってられない事情、だと?」
「――彼は命を狙われている」
回帰前にある襲撃事件が発生した。
事件があったのは、魔術アカデミーで行われた魔術の発表会の会場。犯人はアヴェリア教国の人間で、ターゲットはお忍びのオスカーだった。
しかし、グランヘイム国内でアヴェリア教国の王子が命を狙われたという事実により、両国間の国民感情が悪化した。戦争を激化させた要因の一つである。
ゆえに、それを防ぐ必要がある。
「隣国の王子がこの国で襲撃される可能性がある、と?」
「ええ。多くの人が集まる、魔術発表会の日に、ね」
キースが目を見張り、ソニアもまた息を呑んだ。お忍びとはいえ、下手をしたら国際問題に発展しかねない。その可能性に思い至れば、彼らが動揺するのも無理はない。
キースはゴクリと喉を鳴らし、それから絞り出すような声を漏らした。
「つまり、ターゲットの周辺を探り、その襲撃犯を見つけ出して止めろ、と?」
話の流れから、キースがそう思うのは当然だ。
けれど、アリアドネは首を横に振って笑う。
「逆よ。その襲撃を暴発させなさい」
「――はっ!?」
「魔術発表会のその日、オスカー王子が襲撃される直前に別の襲撃事件を起こすのよ。ターゲットはカルラ王妃殿下と――私」
アリアドネは広げた手を自らの胸元へ添える。そのままキースの反応を待つが、彼はあまりの情報量に硬直していた。
アリアドネは苦笑いをしながら話を続ける。
「もちろん、本当に命を狙う必要はないわ。その襲撃を呼び水に本来の襲撃を暴発させ、ターゲットが私とカルラ王妃殿下だったと錯覚させるのが目的よ」
魔術発表会に参加する王族が襲撃されれば発表会は即座に中止され、参加者達は避難することになる。それで襲撃者が諦めれば、オスカーの襲撃事件を防ぐことが可能だ。
だが、アリアドネの目的は襲撃の阻止じゃない。オスカーを狙う連中の襲撃を暴発させ、ターゲットがカルラ王妃殿下とアリアドネのように誤認させることが目的だ。
「待て待て待て、本気で言っているのか!?」
「同じことを何度も言わせないで」
「いや、だが……襲撃を暴発させるのがどれだけ危険なことか分かっているのか?」
「分かっているわ」
タイミングが合えば、彼らは混乱に乗じようと必ず動く。
けれど、少しでも仕掛けるのが遅ければ、標的の偽装は失敗する。逆に少しでも仕掛けるのが早ければ、彼らは撤退するだろう。
だけど――
「タイミングは間違えない」
社交界の頂点に立った紅い薔薇。アリアドネは自らの歴史に裏付けされた自信を露わにする。その凄みにキースは呑まれそうになった。
「だ、だが、王族を襲撃した犯人ともなれば、騎士団が血眼になって探すはずだ」
「その点も問題はないわ。貴方たちの身代わりはちゃんと用意してるから」
「身代わり、だと?」
「婚約パーティーで私が命を狙われたことは知っているでしょう? その犯人は生け捕りにしてあるの。だから、彼らに罪を被ってもらうわ」
「だが、証言をされたら……」
「証言? 死者はなにも話さないわ」
不安げなキースのセリフに被せるように言い放った。彼らがなぜいままで生かされていたのか、その理由を理解したキースは息を呑む。
「……嬢ちゃん、相変わらずえげつないことを考えるな」
「あら、私の命を狙ったのだから、その対価を支払うのは当然でしょう?」
「まぁ、それは……そうかもしれないがな」
だが彼らとて、そのような理由でいままで生かされていたとは夢にも思うまい。そう思ったキースは、敵ながらその者達に同情を示した。
それから、ふとといった感じで顔を上げる。
「ところで、襲撃犯の身元は分かっているのか? その身元によっては、カルラ王妃殿下を襲撃した者の身代わりにならない――いや、そうか。それが出来る身元。ウィルフィード侯爵の首を取ると言ったのはそういう訳か」
アリアドネは否定も肯定もせずにクスリと笑う。
襲撃者がカルラの子飼いなら身代わりには出来なかった。けれど、ウィルフィードの子飼いであるならば、カルラを襲撃した犯人に仕立てることは可能だ。
「残念ながら、私はウィルフィード侯爵の手駒の顔を知らないわ。けれど、カルラ王妃殿下の部下ならどうかしら……?」
かつてジークベルトの部下だったアリアドネが、ジークベルトの手駒の顔を知っていたように、カルラの部下がウィルフィードの手駒の顔を知っている可能性は十分にある。そうでなくとも、カルラの優秀さを計算に入れれば、彼らの素性が暴かれる可能性は高い。
つまり、第二王子派の亀裂に楔を打ち込むことが出来るという訳だ。
それを聞いているうちに、キースの顔が歪み始めた。そこに滲むのは恐怖と――期待。恐ろしい計画であると戦きながらも、復讐を果たせるかもと期待している。
説明を聞き終えた彼は長い沈黙を挟み、やがて絞り出すような声を発した。
「……まったく、恐ろしいことを考える嬢ちゃんだな」
「あら、この程度で驚いてもらっては困るわね」
襲撃の件は、アリアドネが用意した計画の一端に過ぎない。重要なのは、並行して行うもう一つの計画だ。
魔物の襲撃による被害を最小限に留めつつ、聖女を確保する必要がある。
だが、アリアドネが回帰したことで知り得た未来を話す訳にはいかない。それを踏まえて、アリアドネはある筋書きを描いた。
「さあ、本題に入るわよ」
アリアドネがそう切り出すと、キースはものすごくなにか言いたげな顔をした。
「あら、なにか問題が?」
「いや……既にとんでもない話を聞かされた気がするんだが、それが本題ですらなかったことに戦慄しているところだ。一体、これからどんな話を聞かされるんだ?」
「言ったでしょう。ウィルフィード侯爵の首を取る、と。まさか、さきほどの計画程度で、それが可能だと思っていた訳じゃないわよね?」
アリアドネが問いかけると、キースは大きく目を見張った。それから下を向くて大きく息を吐くと、頬を両手のひらで叩いて気合いを入れた。
「悪かったな。いつの間にか腑抜けていたようだ。本題に入ってくれ」
「なら単刀直入に言うわ。ソニアをある孤児院に潜入させたいの。危険な任務になるから、兄である貴方の許可を得ておこうと思って」
「危険な任務……だと? 俺たちが危険を恐れるとでも思っているのか?」
彼は少し不満げな顔をした。
そんな彼はまだアリアドネの真意を理解していない。
「ねぇ、キース。私は襲撃を命じたとき、貴方に覚悟を問うたかしら?」
「……はっ。まさか、王族を襲撃するより危険な任務だと言うつもりか?」
「最初からそういっているつもりだけど?」
キースは目を見張って、アリアドネの背後に控えるソニアへと視線を注いだ。だが、事前にアリアドネから説明を受けていたソニアは動じない。
彼女もまたアリアドネのように微笑んでいる。
「ソニア、そんな危険な任務を受けるつもりなのか? まさか、ウィルフィード侯爵への復讐を焦るあまり、冷静さを欠いている訳じゃないだろうな?」
キースが探るような目を向けるが、ソニアは首を横に振った。
「アリアドネ皇女殿下から任務の詳細を聞きました。その上で、この任務をこなせば、ウィルフィード侯爵への復讐を果たすことが出来ると判断したんです」
「だが、なにも、おまえがやらなくても……」
「兄さん。アリアドネ皇女殿下は、この依頼を断ってもいいと言ってくれたわ。でも、私はウィルフィード侯爵に復讐する機会を他人に譲るつもりなんてないの」
だから自分の意思で引き受けたのだと、ソニアは兄をまっすぐに見つめた。そうして、復讐に生きる兄妹の視線が静かに交差する。
長い沈黙の後、「そうか」と折れたのはキースだった。
「覚悟は決まったようね?」
「ああ。嬢ちゃんの依頼、黒い太陽が全面的に引き受けよう。襲撃の件はもちろん、孤児院の方のバックアップも任せてくれ」
「……そう。期待しているわ」
アリアドネは満足げに頷き、ソファから立ち上がった。その反動で肩口に青みを帯びたプラチナブロンドが零れ落ちる。それをさっと手の甲で払いのけた。
計画が成功すれば、ウィルフィードを排除することが出来る。だが、計画が破綻すれば、アリアドネは再び悪逆皇女として処刑されるだろう。
権謀術数を張り巡らせたその先に待っているのは称賛か、嘲笑か。その答えを知ることが出来るのは、己を信じて前に進んだ者だけだ。
だから――
「さぁ、復讐劇の幕を上げましょう」
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