エピソード 1ー1

 月明かりに照らされた王城の中庭、ぼんやりと浮かび上がるのは前進が黒ずくめの襲撃者達。彼らの不意打ちを、アリアドネは魔術障壁で受け止めた。

 そうして生まれた束の間の時間、アシュリーがうわずった声で叫ぶ。


「――あっ、貴方たちは何者ですか!?」


 襲撃者達は答えず、こちらの隙をうかがっている。

 代わりに答えたのはアリアドネだ。慌てるアシュリーに向かって、「何者もなにも、私の命を狙う襲撃者でしょ? あの格好で招待客ならびっくりよ」と笑う。


「のんきに言ってる場合ですか!」

「貴女は慌てすぎなのよ。ダンスの誘いに応じたのは貴女でしょう?」

「こんなダンスだと誰が……っ。そうでした、貴女はそういうお方でした!」


 アシュリーが投げやりに叫ぶ。

 アリアドネが笑ってパチンと指を鳴らせば、周囲に張り巡らせていた防御結界が喪失。代わりに、彼女の足下から氷の蔦が四方へと広がった。

 夜の帳に紛れて広がるそれは、月明かりに照らされてわずかな煌めきを放つ。

 それに気付いたのは襲撃者の半数程度。気付いた彼らは即座に飛び退って逃れたが、残りの者達は反応すら出来ずに氷の蔦に絡め取られた。


「皇女が攻撃魔術を使った、だと……?」


 一撃で半数を無力化され、襲撃犯から驚きの声が上がった。その零れ落ちた言葉を聞いた瞬間、アリアドネはわずかに口の端をつり上げる。


 彼らは、アリアドネが攻撃魔術を使えると知らなかった。

 そこから考えられる可能性は多くない。

 彼らがただのごろつきや捨て駒か、あるいは――依頼主がその情報を知らなかったか。


 城内に暗殺者を招き入れるには相当のリスクがともなう。つまり前者の可能性は極めて低い。しかし、アリアドネの暮らす離宮に密偵を送り込んでいたジークベルトは、アリアドネが魔術を使えると知っている。

 総合的に考えて、容疑者はそこから少し離れた第二王子派の誰かである可能性が高い。


「あなたの主は煽られることに慣れていないようね。それとも、準備しておいてこれなのかしら? 情報力はずいぶんとお粗末だったようだけど」


 ウィルフィードの反応を思い出し、クスリと笑みを零す。

 その瞬間、一部の者達の纏う空気がわずかに揺らいだ。アリアドネが自らの予測に確信を抱くには十分な反応だ。悠然と微笑む彼女をまえに、襲撃者が殺気をにじませる。


「……貴様は危険だ。必ずここで殺すっ!」

「貴方達に出来るかしら?」

「たしかに貴様の扱う氷の蔦は脅威だ。その歳でそれほどの魔術を使える者はそうはいないだろう。だがさすがに、防御結界と同時に行使するのは難しかったようだな?」


 氷の蔦を放つ直前、防御結界を解除した。

 それに気付いた――気付かされた男が笑う。


「なるほど、的確な判断ね。だけど――アシュリー」


 アリアドネの合図を受け、アシュリーが自分たちの周囲に防御結界を展開する。侍女として働くアシュリーだが、元々は魔術アカデミーに通う優秀な生徒である。

 なにより、いまはアリアドネから技術を学ぶ弟子だ。

 魔術の腕も相応に上達している。


「……そうか、そちらの侍女は魔術師だったな。だが、その結界も長くは展開できまい」

「そうね。でも、時間がないのはそちらの方よ」


 アリアドネが取り出した扇を広げた直後、遠くの方が騒がしくなった。アリアドネの視界の端に、魔導具の明かりを掲げた騎士達の姿が映る。


 そこから襲撃者達の判断は速かった。襲撃者達は懐から短剣を取り出し、氷の蔦に捕らわれている味方目掛けて放った。

 口封じだと考えるより早く、アリアドネは氷の蔦で短剣を弾く。いくつかは氷の蔦をすり抜けて捕らわれの襲撃者を傷つけるが、その多くは氷の蔦が絡め取った。


「……撤退だ」


 彼らが迷ったのは一瞬、襲撃者は捕らわれの味方を残して撤退していった。

 直後に入れ替わりで駆けつけたのは、ハンスを始めとしたアリアドネの護衛騎士だ。騎士達が周囲を警戒するなか、隊長のハンスが駆け寄ってくる。


「――アリアドネ皇女殿下、ご無事ですか!?」

「無事よ。まずは騒ぎが大きくならないように指示を出しなさい」

「ご安心ください。会場の者達は、アルノルト殿下の騎士達が安全な場所へ誘導してくださっています。騒ぎもすぐに落ち着くでしょう」

「優秀ね。それじゃ、氷の蔦に捕らわれた襲撃者達を拘束なさい。それと、短剣の傷を負った者は毒を受けている可能性があるわ。それを念頭に対処して」

「はっ。――聞いての通りだ。一班はこの者らを拘束しろ。二班は逃げた連中を追え。そして三班は周囲の警戒とアリアドネ皇女殿下の護衛だ」


 ハンスは部下達に指示を出し終えると、物言いたげな視線を向けてきた。

 実のところ、襲撃されることをアリアドネは想定していた。

 派閥に関係なく貴族が参加しているので暗殺者を手引きしやすい。

 しかも、主催者はアルノルトだ。

 パーティーの最中に事件が起きたとしても、その責任は第一王子派にある。第二王子派がアリアドネの命を狙うのなら、この婚約パーティーが最初にして最大の機会だった。


 だから、最初に命の危険に晒されるのは、このパーティーの最中が有力だと思っていた。アルノルトが護衛を付けようとしたのも、それを理解していたからだ。


 アリアドネはそれを理解したうえで護衛に下がるように命じた。主が襲撃されると知っていて、待機を命じられた彼らにも思うところはあるだろう。


「心配を掛けたわね」

「そう思うのなら、これっきりにしていただけませんか?」

「私もそう願いたいわ」


 ハンスの嘆きに、アリアドネも同調する。だが、ハンスの嘆きに同調していること自体が、彼の願いを聞き届けられないと言っているようなものだ。

 それに気付いたハンスは大きく肩を落とした。


「そんな顔をしないで。無茶をするだけの意味はあったはずよ」


 第二王子派にとって、このパーティーはアリアドネの命を奪う最大の機会だった。その機会を奪えば、彼らがいつアリアドネの命を狙ってくるか予測できなくなる。


 逆にここで襲撃があったという事実を明らかにすれば、彼らは動きにくくなる。襲撃者が護衛も連れていないアリアドネに撃退されたともなればなおさらだ。

 これで、敵の次なる手は限られてくる。


(それに、アシュリーのおかげで罠もしかけられた)


 アリアドネは複数の魔術を同時に使えないという小さな嘘。使う機会があるかどうかは分からないけれど――と、アリアドネは小さく笑う。


「それよりもハンス、逃げた連中のことだけど」

「周知しております」


 アリアドネが事前に出した指示は、逃亡した連中を適度に逃がせ、である。アリアドネの首を取ることがどれだけ困難か伝える大切なメッセンジャーだ。

 彼らには無事に主の元にまで帰ってもらう必要がある。


「それと――」


 アリアドネが更なる指示を出そうとするが、遠くから参列者の声が聞こえてくる。


「ハンス、拘束した彼らを参列客の目に晒すのは得策じゃないわ。すぐに連行して、私が許可するまで、決して外部の者と会わせないように」

「かしこまりました。して、アリアドネ皇女殿下は? 出来れば、これ以上はその身を危険にさらさないで欲しいのですが……」

「心配しないで、休憩室に行くから」


 ハンスに襲撃犯の移送を任せ、自分はわずかな供を引き連れて移動する。そうしてやってきた休憩室。色々と指示を出していると、侍女がアルノルトの来訪を告げた。

 アリアドネが許可を出すと、彼が部屋に飛び込んでくる。


「アリアドネ皇女殿下、ご無事ですか!」

「ええ、私は傷一つ――わっ」


 言い終えるより早くアルノルトに抱きしめられ、アリアドネは目を白黒させる。


「……アルノルト殿下? あの、皆が見ています」

「あなたが、襲撃されたとして生きた心地がしませんでした」

「それは……申し訳ありませんでした。だけど――」


 襲撃されると知っていたでしょう? そう口にしようとした瞬間、アリアドネはある予感を覚えて口を閉ざした。それからすぐに、自らの予感が正しかったことを自覚する。

 アリアドネを見下ろす彼の瞳が笑っていなかったから。


「えっと、その……アルノルト殿下?」

「はい、なんですか?」

「もしかして……怒っていますか?」

「あなたの決めたことに異を唱えたりはしませんよ」


 アリアドネは視線を彷徨わせた。アルノルトが認めたのは、異論を口にしないと言うことだけで、怒っていることは否定しなかったから。

 だけど――


(心配、してくれているのよね)


 回帰前のアリアドネは、ジークベルトに信用――つまり、信じて用いられてはいた。だけど、あるいはだからこそ、心配された記憶はほとんどない。

 なにもかもがジークベルトとは違う。

 暗躍を得意とするアリアドネにとっては動きにくいとすら言える。けれど、それが何処か心地いい――と、アリアドネは思い始めている。


「アルノルト殿下、申し訳ございません。たとえ止められても、私は次も同じことをするでしょう。だから……」

「分かっています。貴女を止めるつもりはありません」


 アルノルトはびっくりするくらい物わかりがいい。けれど、それは平気なのではなく、アリアドネの意見を尊重しようと努力してくれている結果だ。

 それがありがたくもあり、申し訳なくもある。

 だから――


「ありがとうございます。私も、貴方に出来るだけ心配をお掛けしないように努力いたします。その……婚約者として」


 アメシストの宝石眼で婚約者を見上げる。

 アルノルトのエメラルドのような瞳の奥に、アリアドネの姿が映り込んでいる。それほどの至近距離、彼はその瞳を瞬かせ、それから蕩けるような表情を浮かべた。


「貴女が契約を守る努力をしてくださっているようで嬉しいです」

「~~~っ」


 婚約の際に決めた契約のことだ。

 当初の予定では、アルノルトがアリアドネのことを護る対価に、アリアドネがアルノルトを次の国王にする――という契約を結ぶはずだった。

 けれど、アルノルトの策略にはまったアリアドネは、アルノルトを愛する努力をすることを約束させられた。

 それを意識したアリアドネの頬が赤く染まる。


「か、勘違いしないでください。いまのは別に、そういう意図で申し上げた訳ではございませんわ!」

「おや、では、いまのはあなたの本心、ということですね」


 嬉しいですと聞こえてきそうな表情。恥ずかしさに耐えかねた彼女はアルノルトの胸板を押して距離を取り、自分の腕を抱いて顔をそらした。


「……それ以上言ったら、逃げますからね」


 ぽつりと呟けば、アルノルトはふっと笑みを零した。


「逃げられるのは嫌なので、この話はここまでにしましょう」


 アルノルトの言葉に、アリアドネは疑いの眼差しを向ける。けれど彼は「それで――襲撃者を送り込んだのは何者ですか?」と続けた。

 アリアドネもすぐに気持ちを切り替える。


「いま、私の護衛騎士が尋問中です。そろそろ最初の報告が……と、来ましたね」


 再び部屋がノックされ、今度はハンスが姿を現した。彼はアルノルトが同席しているのを確認すると、部屋の中頃で「報告します」と片膝をついた。


「残念ながら、彼らは沈黙を護っています。しかしながら、彼らの所持品に、カルラ王妃殿下の領地で生産されたとおぼしき武器がございました」

「つまり、カルラ王妃殿下が怪しい、という訳ね」


 アリアドネはそう口にしながら、あり得ないと失笑する。


(カルラ王妃殿下が、自分に繋がる手がかりを残した?)


 いまは敵対しているけれど、アリアドネは彼女のことをよく知っている。

 社交界での立ち回り方や、権謀術数で相手を陥れる手管など、あらゆる技術を教えてくれたのが彼女だった。

 そんな彼女の手駒が、主に繋がる手がかりを残した。そんなことはあり得ない。あるとしたら、意図的に残した場合くらいだろう。

 だが――と思い出すのは、襲撃者とのやりとり。


「あの連中はウィルフィード侯爵の手駒のはずよ。ただ、そうであれば疑問も残るわ」

「なぜ、カルラ王妃殿下に繋がるような武器を持たせたのか、ということですね」


 アリアドネの呟きに、アルノルトが応じる。

 襲撃者がカルラの領地で作られた武器を所持していたからと言って、カルラが犯人であるという証拠にはならない。

 せいぜい、周囲の者達が疑いの眼差しを向ける程度だろう。

 だが、だからと言って、あえてそのような武器を使う必要はない。黒幕の正体を隠すのなら、出所が分からないような武器を使うべきだった。

 それなのに、あえてそのような武器を使った理由。

 ウィルフィードが思った以上に愚かだったか、あるいは――


(――あはっ)


 自らの蒔いた種が芽吹いた可能性。それに思い至ったアリアドネは指先を口の横に添え、十五の娘とは思えないほどに妖しげな笑みを浮かべる。


 これは、アリアドネがウィルフィードを討ち取る物語の第一幕。そして、回帰前の悲劇を回避して、ジークベルトに復讐を果たす物語の第二章。

 その一歩を、アリアドネは誰にも気付かれることなく踏み出した。

 

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