エピソード 2ー5

 シビラ・マイヤーズ。

 栗色の髪を後ろで纏め、侍女にしては質素な召し物を身に着けている。今年で22歳になる彼女は、貧乏な男爵家に生まれた娘である。

 本来であれば、男爵家の娘が皇女の住まう皇女宮で侍女として働くのは難しい。けれど、レストゥールは亡国の皇族。それも、愚かにもグランヘイムに楯突いた皇族の生き残りだ。

 ゆえに侍女を希望する者が少なく、シビラは運よく雇われることが出来た。


(運がよかったかは……微妙なところだけど)


 金色の瞳を彷徨わせ、声には出さずに独りごちる。

 シビラはアリアドネお付きの侍女である。

 7つ年下のアリアドネは、昔から手の掛からない娘だった。多くの家庭教師から様々なことを学び、教えられたことを瞬く間に自分のものにしてしまう。

 そんな才女であると同時、母親には名前すら呼んでもらえず、父には会ったこともない。愛情を知らずに育てられた可哀想な娘でもあった。


 いくら才能があっても、後ろ盾がなければ大成することは難しい。アリアドネのお付きを続けていても、将来の見通しは決して明るくはない。

 それでも、シビラはアリアドネに仕えることが嫌いではなかった。

 でも、それも数年前までのことだ。


「シビラ、お茶会で二人はなにを話していたのかしら?」


 アリアドネとアルノルトのお茶会が終わった後。後片付けをしていたシビラのもとに、アリアのお付きである侍女がやってきた。

 デリラとルイーゼ。二人はともに子爵家の令嬢で、シビラよりは身分が高い。実家のあれこれがあり、シビラはこの二人に逆らうことが出来ないでいた。


「ちょっと、聞いているの?」

「聞いてはいます。ですが、仕えるべきお方のお話を勝手にすることは……っ」


 みなまで口にするより早く、デリラに頬を叩かれた。


「なに、いまの。私達に口答えしているの?」

「生意気ね。実家がどうなってもいいのかしら?」

「そ、それだけは止めてくださいっ」


 デリラとルイーゼに脅されて屈する。いまのシビラに抵抗する術はない。

 そうして怯えるシビラを、デリラは満足げに見下した。


「身の程を理解したなら、さっさと答えなさいよ」

「は、はい。使用人はすぐに下げられたのでほとんど聞くことが出来ませんでしたが、アルノルト殿下は面倒くさそうに、『母の件でお礼を言いに来ただけ』とおっしゃっていました」

「……なるほど、義理立てに来ただけ、みたいね。よくやったわ」

「ありがとう、ございます」


 そう言いながらも、その顔は少しも嬉しそうには見えない。

 シビラはそんな自分の表情を隠すように頭を下げた。

 これが、最近のシビラの日課である。

 だが、今日はそれだけでは終わらなかった。


「それと、今日は仕入れの商人が来るわ。シビラ、貴方も立ち会いなさい」

「……はい、分かりました」


 仕入れの商人が皇女宮に出入りすることは珍しくない。ゆえに、普通はメイド達が対応するのだが、皇族が取り扱う品の場合は侍女が応対している。

 その商人の一人が、ジークベルトと繋がる連絡役だ。

 またなにか、指示を出されると思うと気が重い。それでも断るという選択肢はなくて、シビラはしぶしぶと二人の後に続いた。



 皇女宮にある裏門のまえ。使用人達が出入りするその門の前で、シビラ達はジークベルトの連絡役と会うことになっている。

 しばらく待っていると、商品を運んだ商人が姿を現した。


「あら、いつもと違う人なのね?」


 デリラが小首をかしげた。彼女が言うように、これまでに見た連絡役は若い男だった。だが、今回の待ち合わせ場所にやってきたのは若い女性だ。


「私はアニス。今回は私が代理よ」

「……代理? その言葉をどうやって信じろと?」


 デリラが警戒心を露わにする。

 だけど次の瞬間、アニスは隠し持っていた牙を剥く。


「あら、私にそんな口を利いてもいいのかしら。先日の騒動の時、貴方達がなにをしたのか忘れたの? あの方を裏切るつもりなら――」

「ま、待ちなさい! 裏切るなんて言ってないわ!」

「そ、そうよ。いつもと違う人だったから、本物かどうか疑っただけよ!」


 シビラはなんのことか分からなかったが、デリラとルイーゼは明らかにうろたえだした。そして、その顔は明らかに青ざめている。


「私が本物かどうか? いまの会話の他になにが必要だっていうのかしら? 私がニセモノなら、貴方達はとてもまずい立場になると思うのだけど……?」

「そ、そうね、たしかに貴方は本物よ」


 デリラが肯定し、ルイーゼもこくこくと頷く。


「やっと理解してくれたみたいね。なら、本題に入りましょうか」

「え、ええ、分かったわ。まずは――」


 デリラがアリアの容態や、アリアドネの最近の動向、それに第一王子が訪ねてきたことと、その会話の内容について報告する。

 だが、話を聞き終えたアニスは不満気に鼻を鳴らした。


「貴方達、この程度の内容であの方が満足すると思っているの?」

「なっ! 私達がどれだけ苦労していると思っているんですか!」

「黙りなさい。あの方の指示を忘れたの?」

「い、いえ、決してそのようなことは」

「本当かしら? 本当に覚えているというのなら、その指示を言ってみなさい」

「ジークベルト殿下は、アリアドネ皇女殿下を籠絡できるような情報を集めるようにとおっしゃっているのでしょう? ちゃんと覚えています」

「なら、ジークベルト殿下が求める情報を手に入れて見せなさい。時間はあまりないわよ?」


 アニスはそうやって言いたいことだけを言うと、積み荷を降ろして帰っていった。そのアニスが見えなくなった途端、デリラが盛大に舌打ちをする。


「なによ、あの女、気に入らないわねっ!」

「ほんとよ。私達がどれだけ危ない橋を渡ってると思ってるのよ」

「ふ、二人ともその辺で止めよう――っ」


 シビラはみなまで言うことが出来ず、ルイーゼに頬を叩かれる。


「なに他人事みたいに言ってるのよ! 私とデリラはアリア皇女のお付き。アリアドネ皇女のお付きは貴方だけなのよ? なのに、いつまで経っても貴方が有効な情報を得ないから、私達が叱られるんじゃない!」

「ご、ごめんなさい」


 シビラが謝罪の言葉を口にするが、ルイーゼはその怒りを収めなかった。


「謝るくらいなら、すぐに情報を手に入れなさいよ」

「そうね、いまからアリアドネ皇女の部屋に忍び込みなさいよ」


 デリラが名案だとばかりに口にする。


「それ、いいわね。シビラ、私達が見張っててあげるから、部屋を探ってきなさい」

「そ、そんなこと出来ないわよ」

「はあ? 出来ない? いま、出来ないって言った?」

「まさか、家族思いのシビラはそんなこと言わないわよね?」


 二人が詰め寄れば、シビラは拳をぎゅっと握り締めて頷いた。



 アリアドネがお稽古で部屋を留守にしているタイミングを見計らい、デリラとルイーゼを見張りとして、シビラがアリアドネの部屋に忍び込むこととなった。


「ね、ねぇ、本当にやるの?」

「当然でしょ。というかさっき、アリアドネ皇女が手紙を持ってたわよね? その中身を確認してきなさい。なにか、面白いことが書いてあるかもしれないわ」

「たしかにその通りね。シビラ、いいわね?」

「……うぅ、分かったわよ」


 ここで問答をしていても危険は増すばかりだ。そう思ったシビラは、覚悟を決めてアリアドネの寝室に足を踏み入れる。


(どうしてこんなことに……)


 お付きの立場として、寝室に入るだけなら言い訳も立つ。だけど、主の手紙を盗み見たことがバレれば、解雇だけで済むかどうか分からない。


(どうか、バレませんように……)


 心の中で願いながら、アリアドネが使っている机の引き出しを開ける。最初の引き出しは外れ。続けて開けた二段目の引き出しには、書きかけの手紙が一通しまわれていた。

 運のいいことに――あるいは悪いことに封がされていない。シビラは思い切って、封筒から手紙を取りだした。そこには、アリアドネの直筆と思われる文字で一言だけ。


『よけいなことを口にしたら死ぬことになるわよ』


「――ひっ!?」


 シビラの口から悲鳴が零れ落ちた。

 なぜ手紙にそんなことが書かれているのか。考えられる答えはそう多くない。


(こ、これ、私に向けたメッセージだ!)


 誰かが手紙を盗み見ることを想定したメッセージ。

 それを目にした彼女は、さながら蜘蛛の巣に掛かった哀れな羽虫だ。逃げなきゃ――と震える手で手紙を元に戻して振り返り、今度こそ腰を抜かすことになる。


「あ、あ、どうして……」


 目の前には、騎士に拘束されて青ざめるデリラとルイーゼ。そして二人の背後には、ハイノを従え、妖しく笑うアリアドネの姿があった。

 

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