廃棄生命 1

001


 救急車だろうか。サイレンの音が鳴り響く夕方、大学の講義が終わり、四月から居候させてもらっている英美里さんの家に帰宅した。


「帰りましたー」


 帰宅を伝えても、「お帰りー」の声が返ってこない。


「? 英美里さーん?」


「あー、お帰りー!」


 大声で呼ぶと、英美里さんの声は書斎の方から聞こえてきた。

 僕はカバンを自室に置き、書斎に向かう。

 すると、髪を束ね、書斎の本を取り出し、大きめのカバンに詰めている英美里さんの姿があった?


「……何やってるんですか? 師匠」


「……お前は、何でそう師匠と呼びたがるんだ?」


「いや、だってそのモードの時は僕の師匠じゃないですか」


「いや、まあ間違ってないんだけどね……」


 師匠、本名を天蠍機英美里てんかつきえみり。僕に生き方と、生きるための術、そして現在は住み込みで魔術の修行をさせてもらっている僕の師匠だ。


「それで、師匠は何してるんですか?」


「集団食わず事件の調査のために使う、魔導書の選別をしてるんだよ」


「集団食わず逃げ事件……ですか?」


 何だその珍妙な事件は。食い逃げならわかるが。


「逃げ、といっても、一応お金は払ってるから、厳密には逃げではないんだけどね」


「ふーん……。それで、何故師匠が、その集団食わず事件の調査に?」


「私がよく行っているレストランのオーナーから依頼が来たのさ。隣市にあるフランス料理店で、ミシュランガイドで一つ星に輝いているところなんだが、何でも、客に料理を提供した瞬間、食べる気が失せたとか何とか言われて、店を出て行かれたそうなんだ。

 それも、一人二人じゃない。その日に来た客全員が、料理も食べずキャンセル料だけ支払って店を出ていったらしい。以来、客足はどんどん遠のき、営業停止状態なんだそうだ。それで、オーナーから『このままじゃ商売にならないから、何が問題なのか調べてくれ、できれば解決してくれ』と頼まれたのさ」


「……それってそのレストランの対応、というかサービスが悪かったから客足が遠のいただけなんじゃ……」


「あの店はサービスも一流だよ。利用者の私が保証する」


「じゃあ、何なんですかね、客足が遠のいた、というか、客が料理を食べなかった理由って……。偶然……じゃないですよね。偶然にしては数が多すぎるし。何でしたっけ? 前に師匠が言ってましたよね? 偶然は重なると必然の証明になるとかなんとか」


「その通りだ。意思の介在しない事象である偶然が重なる、例えば、常に九九%の確率で当たるくじを一〇〇回引いて、一〇〇回外れたら、それはだいたい必然だ。何かしらの外的要因、意思の介在している事象と考えていい」


「外的要因……。魔術絡みってことですか?」


「魔術というより、こういった手合いは呪詛だろうな。誰かの依頼で、レストランそのものに呪いをかけたんだろう」


「じゃあその本は……」


「ああ。解呪やら、浄化やらの術式が刻まれた魔導書だよ」


 と、そんな話をしていると、師匠は魔導書の選別が終わったようで、本が詰まったカバンを閉じた。


「こんなところかな。じゃあ、私はこれから出かけてくる。悪いが、夕飯は勝手に食べていてくれ」


「え、僕も行きますよ。呪いが相手なんでしょう? だったら僕が行った方が手っとり早いじゃないですか」


「――ダメだ」


 ピシャリと、有無を言わせない声色で、師匠はそう言った。

 自然と、僕の顔は不満の色を見せてしまう。


「……何で、ですか」


「そんな顔をするな。別に、君が無力だとか、足手まといだとか思っているわけじゃない。確かに君は、呪いや精神情報体に強い。異常と呼べるほどにね。でもそれは、言うならば『排除』の強さだ。『拒絶』の強さじゃない。自らへかけられた呪いに対して、君はまだ対処する術を身に着けることができていないだろう。君を危険にさらしたくはないんだ。分かってくれ」


 そう言って、師匠は、僕の手を握る。

 師匠から、心配の色が視える。

 師匠は、本心から僕の身を案じているのだ。


「……分かりました」


 ならば、僕はそう言うしかないじゃないか。

 納得し、受け入れるしかない。僕がまだ未熟なのだと。

 もちろん。僕だって自ら危険な場所に行きたいわけじゃない。

 それでも僕は、師匠と共に行きたいと思っている。

 何故そう思うのか、わからない。でも、そう思っているに違いない。

 じゃないと、僕を包む無力感と、胸を締め付けるこの痛みに、説明がつかない。


「ごめんね。ありがとう。あなたの気持ちは、とてもうれしいよ」


 師匠は、僕の手を放す。


「じゃあ、行ってくる」


「……行ってらっしゃい。あ、晩ご飯はどうしますか?」


「大丈夫だ。こちら食べてくる。じゃ、戸締りよろしく」


 バタン。と師匠はそのまま、車で隣市まで出かけていった。

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