前世の主人が離してくれません⁉︎

笹のこ

プロローグ

1.



「おっ、織之助おりのすけさま⁉︎」

「……すず?」


 まんまるの瞳が真っ直ぐ織之助を捉えた。

 驚きに満ちた声は少し震えているようにも聞こえる。

 懐かしい音を拾った耳が熱い。

 恥も外聞も何もかも投げ捨てて、いますぐにでもこの腕に閉じ込めたい気持ちを押し殺す。


 昼間の明るい日差しが差し込む部屋で、彼女は何一つ変わらない姿でそこに立っていた。


 ――四百年前と何も変わらないその姿で。





  ◇ ◇ ◇ ◇





 株式会社パウロニア。

 都内の一等地に自社ビルを構える大手企業であり、特にここ数年の営業成績は目を見張るものがある。若くしてトップの席を継いだ現代表取締役社長、そして同時期に社長の右腕として副社長の座に就いた現副社長の手腕が凄まじい――……というのは新人研修時代に聞いた話である。

 つい十数分ほど前に上司である開発部長から受け取った一枚の紙切れ手に、土屋鈴は大きくため息を吐いた。

 一ヶ月間の新人研修を終え、開発部に配属が決まり仕事に従事すること半年。

 

(なんで異動……?)

 

 先ほどの上長面談で言い渡されたのは、開発部からの異動であった。

 どれだけ目を凝らして見ても紙に書かれた文言は一文字も変わらない。悪あがきだというのはわかっているが――夢であれと願ってしまう。

 せめて開発部と何かしらの関連がある部署ならまだいい。

 鈴はぐっと唇を噛んで、もう一度受け取った書類を上から下まで眺める。しっかり眺めて、本日二度目のため息。

 

(しかも秘書室に異動ってなにごと?)

 

 開発と何の関係もない未経験の秘書室への異動は腑に落ちないことばかりである。

 大学時代秘書検定を取るか悩んだことはあったが結局取っていないし、なにより新入社員が半年でこんな大異動するものなのか。

 もしかして自分が気づいていないだけで、めちゃくちゃどでかいやらかしを開発部でしていた――とか。

 いろいろ考えてはみるものの、かといって現状が変わるわけではない。

 上の命令は絶対なのだ。上が異動といえば異動。

 鈴は瞳に決意を灯して天井を睨んだ。

 

(やってやる、まわりが驚くくらい完璧な秘書になってみせる)

 

 

 

 

 ――というのが、先週のできごとである。

 開発部と別れの挨拶をし、ついに迎えた秘書初日。

 秘書室にはほかにもう二人男性と女性がおり、鈴は三人目として秘書室に入室した。

 初日ということでパンツスタイルのリクルートスーツに身を包んでいた鈴は、メモとペンを手に先輩二人に頭を下げ、今後の仕事内容を教わる。

 話を聞くと、鈴には社長専属の秘書になってほしいらしい。

 それに頷きつつ、大まかな業務説明を受けてメモがびっちり埋まった昼休憩まであと数十分という頃。

 これからお世話になる社長や副社長に挨拶をしに行くことになった。

 二人とも業務が忙しいというので――一人で。

 緊張しないわけがない。

 採用面接時に専務とは会っているが、社長と副社長に会うのは初めてだ。

 肩肘張ったまま秘書室から数歩。隣の部屋が社長室らしい。

 

(深呼吸しとこ……)

 

 落ち着かない気持ちを抑えるために二、三度深く息を吸って吐く。あまり長い時間ドアの前に立っているのもマズいので、意を決して目の前のドアを三度叩いた。

 

「どうぞ」

 

 低く艶のある声が中から聞こえる。

 

「失礼します」

 

 ドキドキと早まる心臓を抑えつけ、そっと中を覗いて――

 

「え」

 

 一瞬言葉に詰まった。

 ドアを開けた先、社長室のまんなかに立っているその男性。

 180センチを優に超える長身、高く通った鼻筋、おだやかに下がった目尻、薄く品のいい唇――見覚えがありすぎるその端正な顔立ちは。

 

「おっ、織之助さまっ!?」

「……鈴?」

 

 目を剥いた鈴を、甘く垂れた瞳が上から下まで確認するように視線を走らせた。

 社長室に入る前よりも確実に心臓は早鐘を打っているし、なんなら握りしめた拳に手汗が滲んでいる。


「な、なんでここに」

 

 口をぱくぱくさせて訊いた鈴に、目の前の男はぐっと眉間に皺を寄せた。

 

「それはこっちのセリフだ。なんでここにいる」

 

 しかめてなお整った顔立ちは、記憶にある顔と一寸の違いもない。

 混乱を極めた鈴の思考を断ち切るように、バンッと大きな音をたててドアが開いた。

 

「おっ、感動の再会中だったか?」

 

 社長室に飛び込んできたのは、この状況の元凶とも言える専務・新田士郎にったしろうである。

 なにを隠そう、人事の一切を仕切っているのがこの士郎だという。

 くっきりとした丸い瞳に人好きのする笑顔を浮かべて部屋に押し入り、鈴と織之助を楽しそうに眺めている。

 鈴はヘラヘラと笑う士郎に掴みかかる勢いで詰め寄った。


「士郎さん! どういうことですか、織之助さまがいるなんて聞いてないんですがっ」

「サプラーイズ!」

「なんですかそれ!」


 キャンキャン吠える鈴をのらりくらりとかわして、士郎は怪訝そうな顔をしている織之助を見た。

 

「ということで、今日から社長秘書になった土屋鈴さんでーす」

「は?」

 

 鈴の両肩に手を置いた士郎に織之助の顔がいっそう険しいものになる。

 しかし士郎はどこ吹く風で言葉を続けた。

 

「いいサプライズだろー」

「よくない」

「よくないです!」

 

 反論する声が重なった。思わず顔を見合わせて――そっと視線を外す。

 

(待って待って待って。夢? これこそ夢⁉︎)

 

 二十数年生きてきたなかで間違いなく今日が一番心臓が大きく鳴っている。

 ちらりと織之助を窺うと、なにか思案するような顔で手を顎に当てていた。

 その指の長さと骨張った手の甲がまた胸を打つ。

 

(いやいや、待って。だって)

 

 今、鈴の前に立っている男――たちばな織之助おりのすけは、いわゆる前世で鈴の主人だった。

 

 前世なんてそんな非科学的なもの、と思わなくもないがそうでなければ説明がつかない事象が多々鈴の身には起きている。

 はじめてそれを自覚したのは鈴が高校一年生のときだった。

 会ったことがないはずなのに、なぜか知っている――という人物が一学年上にいた。それはどうやら向こうもそうだったらしく、目があった瞬間二人して固まったのはよく覚えている。

 そこからは蓋がはずれたように記憶が蘇った。あまりに鮮明な記憶に、なにが今でなにが過去なのか判断つかなくなることもあった。

 今でこそこれは過去、これは今と区別つけられるようになったが。

 とはいえ、過去をはっきりとすべて覚えているわけではない。普通に生きていて忘れることがあるのと同じである。

 

 しかし――いま目の前にいる織之助のことは忘れられるはずがない。

 約四百年前に男装してまで小姓として仕えていた相手、それが織之助である。

 ついでに言えば士郎も前世からの知人であるが――閑話休題。

 

「士郎、お前のしわざか」

「おーおー。随分な言い方してくれんじゃん? 感謝はされども責められる覚えはないね。なあ鈴?」


 士郎が意味深な視線を鈴に向けた。

 ぐっと言葉を詰まらせてあからさまに目を逸らした鈴を織之助が呆れた顔で見る。

 気まずい。

 

(たしかに織之助さまのことを探してるとは言った。言ったけど!)

 

 それは採用試験の最終面接のときのことである。

 役員面接の面接官として鈴の前に現れたのが専務である士郎だったのだ。

 このときも鈴は驚いて声をあげ、前もって書類を見て鈴が来ることを知っていた士郎はニヤニヤとしていた。

 なんとか落ち着きを取り戻したあと、もはや採用に関係のない話を始めた士郎に乗せられたかたちで「織之助さまにはまだ会えていないんです」と告げたのだ。

 士郎は「そうかあ……」とだけ言ってそれ以上なにも話さなかったので、てっきり士郎も織之助の行方は知らないとばかり。

 

「なんで面接のとき教えてくれなかったんですか……」

「サプライズ?」

「いりませんっ」

 

 織之助が同じ会社に勤めているのなら、面接のときに教えてくれたっていいだろう。

 なんで半年以上経った今になってこんな形で。

 やや不貞腐れた気持ちで睨みつけると士郎が小さく肩をすくめた。


「新入社員をいきなり社長秘書にってのはちょっとハードル高いかと思ったんだよ」

「配属半年で異動になるほうが嫌です」


 せっかく業務を理解してきつつあったのに。

 つい忌憚ない文句を口にして――昔馴染みだからって専務に向かって生意気すぎたかも、と少し勢いが削がれる。

 前世のときも士郎は織之助と同等の地位だった。織之助の小姓に従事していた鈴からみれば二人とも逆らえるような身分ではない。

 ただ士郎の明るく大雑把な性格と、主人である織之助と非常に親しいがためにこうやって気安い会話ができていたのだ。もちろん公の場などでは弁えるが。


「織之助は嬉しいだろ、鈴が秘書なの」

 

 口元を緩ませたまま士郎が織之助に話を振った。

 ――そうだ。あまりにいろいろありすぎて忘れていたが、今日から秘書として従事する旨を伝えるためにここに訪れたんだった。


(織之助さまが社長……?)

 

 自社の社長の名前を把握していないのは従業員としてどうかとも思うが、そこは見逃してほしい。

 

(いやでも、この二人が揃ってるってことは)

 

 織之助と士郎と、自分の過去を語るにはもう一人外せない人物がいる。

 

「……俺のじゃないだろう」

 

 やや硬い織之助の声に背筋が伸びた。

 やっぱり、とほんの少しの落胆。

 そんな心境を誤魔化すように手を握り直したそのとき、ギッとやや軋むような音を鳴らしてドアが開いた。

 すらりとしたシルエットがそこに浮かぶ。

 儀三郎より高く、織之助よりわずかに低い背と、キリッとした意志の強い眉。涼しげな目元はやや冷たい印象を与え、何もしていなくても他者を圧倒させるオーラを持つ男。

 株式会社パウロニア代表取締役社長、桐野正成きりのまさなり。――四百年前は、桐城城主。


「なんだ。士郎もいるのか」

 

 意外そうな顔で言いつつ、迷いなく質の良い革製の椅子へ腰を下ろした。

 ちょっとした動作のひとつひとつが様になる男だ。

 

「よっ、正成」

「敬称をつけろ」

 

 軽い調子で手を挙げた士郎にすかさず織之助が口を挟む。

 なんだかこのやりとり懐かしいな……、とやや感傷に浸ってしまう。

 昔もこうやって城主である正成への態度で二人はよく口論をしていた。口論といっても織之助が口喧しく言っているだけで、士郎はどこ吹く風だったが。

 年齢的には織之助と士郎が同じで、正成は士郎よりも五つ年下になる。

 鈴は正成よりもさらに五つ下なので、織之助との年の差はちょうど十あった。

 

「正成がいいって言ってんだからさ」

「プライベートは勝手にしろ。今は業務中だ」


 ――ああ、この流れもそのまんま。

 思わず緩んだ口角を慌てて引き締めると、正成が思い出したように声を発した。


「……今日から秘書がどうって言ってたのは」


 正成は視線を部屋に滑らせて、ややあって鈴を捉えた。

 一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐにいつもの余裕溢れる表情に戻る。


「鈴吉か」

「土屋鈴です」


 男装していたときの名で呼ばれ、間髪入れず訂正をする。

 喉奥を鳴らして楽しそうに笑う正成を鈴は軽く睨んだ。


「今世は女なんだな」

「前世も女でした」


 わかっていて言っているあたりがなんとも腹立たしい。

 とはいえ今も昔も上司であることに変わりはないのであまり突っかからずにおく。

 

(にしても、やっぱりみんな覚えているものなんだなあ)

 

 前世だなんて覚えていないほうが普通のような気がするけれど。

 士郎も織之助も正成も、鈴を見て正しく鈴だと認識した。

 それはなんだか嬉しくて、くすぐったい。


「織之助が仕組んだのか?」

「いえ、士郎です」

「サプラーイズ」

 

 正成の質問に織之助が答え、士郎がそれに応じてピースサインを作る。

 そんなサプライズはいらないと正成も言うかと思ったが、それはあっさり裏切られた。

 

「いいサプライズだな。こうやってまた四人で話す日が来るとは」


 懐かしむように正成が目を細めた。

 そんな正成にジンと胸が熱くなる。


(確かに……奇跡だよね)

 

 服装や髪型の違いは多少あれども、あのときのままの四人がこうして揃っている。

 それはうっかりすれば涙がこぼれそうなくらい、不思議で、奇跡で、感慨深い。

 

「いろいろ積もる話はあるが――鈴、お前秘書なんてできるのか」


 感動的な話が一転。

 にやりと試すような顔で正成が鈴を見た。


「でき……やります」

「できるとは言わないんだな」

「……やったことないので」


 正直に打ち明けると正成は楽しそうに喉を鳴らした。


「そうだろうな。織之助」

「はい」

「鈴はお前の管轄だろう。任せる」

「は?」

「え?」


 再び織之助と鈴の声が重なり――正成と士郎が楽しげに笑った。


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