ああ、届かぬ愛をどれだけ待てば

墨色

三度目の私。

 街と街を繋ぐ道路を走る一台の高級車。


 車内から夕暮れに染まる街をぼんやりと眺めていたのは助手席に座る女だった。


 光る山肌をぼうっと眺めていて、情事の気怠るさが身体から抜けていなかった。


 左手の薬指が、偶にミラーの陽光に反射していた。



 夕夏は田畑に車で送られていた。


 昨日は田畑の用意したホテルで一夜を共にし、朝に帰る約束を夫にしていたが、思っていたより遅くなってしまった。


 罪悪感はあったが、昨日のリモートのせいで、身体が昂ってしまい、朝からまた交わってしまったのだ。


 まったりと昼まで過ごし、帰り支度をすると、田畑がまたいつものように高級なお店に強引に連れて行ってしまい、その後適当なラブホテルに入り、結局夕方に差し掛かる時間になってしまった。


「また今度誘うから付き合ってくれよ」

「田畑さんに言われたら仕方ありませんね」


 そうして田畑に自宅近くの駅まで送ってもらい、スーパーに立ち寄り、夕飯の材料を買って家路についた。


 今日は休みだからと夫とゆっくりと過ごすつもりだった。なのに遅くなってしまったことに以前ほどの罪悪感はなくなっていた。


 それもこれも昨日の夜、ついに夫に見られながら田畑に抱かれたからだった。


 リモートで繋ぎ、夫と顔だけを突き合わせていた。


 恥ずかしくて仕方なかったが、夫の辛そうな顔と呻く声に端なくも興奮してしまった。


 田畑は夫と話そうとしている夕夏を邪魔するように動いていた。


 その度に夫は状況を聞いてきた。


 その度に夫は顔を歪めていた。


 その度に私は気持ち良かった。


 夕夏はたまらない快感で我を忘れたのだ。



 最初は一度だけ許すと言ってくれたことに気をよくし、疑っていた夫の浮気を半ば認めたのだと受け止めて、当てつけるかのように田畑と関係を待った。


 田畑は夫の勤める会社の顧客だった。


 自身にも一度だけだと言い聞かせていた。


 だが田畑は多くの人妻を恋人にしてきた男だった。


 得たことのない快楽に混乱する夕夏に二度目を約束させた。


 二度目は一度だけの一泊だけの温泉旅行。本当にこれだけ。そう田畑に言われて夫に相談した。


 夕夏自身、止めて欲しかったが、会社での関係もあるのか夫は何故かそこまで反対しなかった。


 でも夕夏は夫に隠し事は嫌だった。


 一人残して旅行を楽しむのも辛かった。


 だから田畑が提案するまま、全ての動画を夫に送っていた。


 夕夏はそれがどんな風に夫に伝わるかなどは考えていなかった。


 もちろん身体だけの関係だったのだが、二度目の時はもう夫に殴られても離婚を突きつけられても仕方ないと思うくらい乱れてしまった。


 その動画の中の自分は自分とは思えないくらいの有様だったからだ。


 しかし、帰った夕夏を夫は優しく抱きしめてくれた。


 その時、夕夏もハマりつつあると自覚していた。これ以上は後戻り出来ないところまで来てしまったと。


 そして二度目で約束してしまっていた三度目の昨日。


 ついに田畑に抱かれて嬉しいと、リモートで見られながら言ってしまったのだ。


 凄まじい快楽の中、夫の声は聞こえなかったし、自分も何と言ったかわからなかった。


 その時はもうどうでも良くなっていた。


 それまで夫とは田畑が提案したようにハグしか許さなかった。もし万が一妊娠してしまったなら、責任の所在をはっきりさせた方がいいと言われたからだ。


 そして真面目な夫は律儀に守り、夕夏に触れようとも抱こうともしなかった。


 もしかしたら、汚れた妻など抱きたくなかったのかもしれないと夕夏は自分勝手にも悲しくなっていた。


 それを田畑は違うと言った。


「旦那さん、性癖が歪んでるぜ」

「あまり詳しくありませんが…そうなのですか?」


「ああ、送った動画は全部見たのだろう? 昨日だって切ろうと思えば切れたはずだ。あんなに淫らなポーズをとったのだからな」

「も、もう…顔だけだったでしょう? やめてください」


 確かに昨日は夫が喜んでくれるのならと、田畑に言われるがままに夕夏は恥ずかしいのを我慢していた。


 もっとも、顔だけしか映っていないと思っていた。


 それを思い出し、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなる夕夏だった。


 それを見た田畑は、夕夏の股ぐらを探り出した。


「も、もう、外ではやめてください」

「照れているのか。ああ、また抱きたくなったな」


「いけません。帰って晩御飯の支度をしないといけませんから」

「ああ、残念だ。こんなにも夕夏さんを想っているのに」


「…本当ですか?」

「ああ、確かめてみるか?」


 車に乗せられているし、田畑が強引に連れて行くのだから何処に連れて行かれても仕方がない。


「高臣さんは…仕方ありませんね…」


 呆れた表情で昂った感情に蓋をし、夕夏はそんな返事をした。


 いつの間にか名前呼びしていることに気づいてはいなかった。


 気をよくした田畑はアクセルを踏んだ。


 そして車はお城の形をした場末のホテルに入って行った。


 こうして、夕夏は帰宅がまた遅くなったのだ。

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ああ、届かぬ愛をどれだけ待てば 墨色 @Barmoral

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