Episode11
「遅いぞ」
なんだか聞き覚えのあるセリフだ。
食事のためダイニングルームへ行くと、そこにはすでに食事を前にグラスに口をつけているアインハイトの姿があった。
彼はエマとギルバートの姿を見るなり、は不満げに眉を寄せ、文句の言葉を言い放つ。
「時間は有限だと、言ったはずだが?」
「…申し訳ありません」
渋々頭を下げ、テーブル上に目を向ける。そこには温かな湯気が漂う美味しそうな料理が並んでいた。
立派な屋敷の割には、こぢんまりとしたテーブル。
アインハイトの斜め左にギルバートが座り、その正面、アインハイトの斜め右に案内されエマが着席した。美味しそうな料理が、エマの空腹を刺激する。
その時、エマはララノアの姿がない事に気付いた。
「そういえばあの子は」
「ララノアならもう帰った。用が済んだからな」
無駄な話などするな、と言わんばかりに、早口で冷たくアインハイトは言った。
おかげでエマは、そうですか、と小さく呟くことしかできなかった。
テーブルに並んだ料理はどれも絶品だった。
黄金色のスープ、新鮮な野菜のサラダ、ふっくら焼かれた魚のムニエル、香ばしい数種類のパン、甘酸っぱいフルーツのゼリー。
シンプルながらどれも絶品で、エマは一口運ぶたび、目を輝かせた。
「…美味しいか?」
あまりにも目の前で目を輝かせている彼女に、思わずギルバートが口を開いた。
「はい。とても」
「そうか」
なぜか嬉しそうに頬を緩ませるギルバート。
するとアインハイトが不機嫌そうに口を開いた。
「当然だ。ギルが作ったんだ。美味しいに決まっているだろう」
「え!!」
エマは驚き目を見開く。
失礼ながら、見た目だけでは料理などしそうにもない彼が作ったなど、信じられない。まるで一流シェフの料理のようだ。言われなければ、凄腕のシェフが屋敷にいるのだと思い込んでいただろう。
驚くエマをよそに、味を聞いた当の本人は、興味もなさそうに表情を全く変えずにパンを頬張っていた。
「料理がとてもお上手なんですね」
「…こいつがうるさいからな」
横でグラスを傾けている男をじろりと睨みながら、ギルバートは言った。
「先ほども言ったが、そのうち君にも作ってもらうからな」
「…分かりました」
作る事は何の苦でもない。むしろ好きな方だ。
以前の主人はどんな料理も、どんなデザートも嬉しそうに喜んで食べてくれた。
けれどこの口うるさい主人だ。おそらく材料、調味料、火の通し方まで文句をつけられるだろう。その苦労を想像するだけで、エマの顔は曇る。
するとエマの心境を察したように、アインハイトは呆れた声を出す。
「そんなに気負う必要はない。そもそも君に期待などしていない。豚の餌より酷いなんて事はないだろう」
分かっているとはいえ、多少胸に突き刺さる。
「…努力いたします」
精一杯の笑顔。貼り付けたようなその気味の悪い笑みは、塩と砂糖を間違えたケーキの方がマシと言えるほど酷いものだった。
目の前のギルバートのぎょっとした顔が、エマの目の端に映っていた。
食事は終わり、アインハイトは食後のお茶を口にしながら、自身の前に積み上げられた新聞に目を通し始める。
そんな彼をなるべく邪魔しないように、エマはギルバートと共に食器を片付けていた。
食器のぶつかるカチャカチャという音と、アインハイトが新聞をめくる紙音だけが部屋の中に響く。
その時、座ったまま新聞に目を通していたアインハイトが、突然その新聞を乱暴にたたむとエマの方を向いた。
「エマ・ヴァイオレット」
名を呼ばれ、エマは慌てて振り返る。
おかげで手に持っていた皿の上のフォークが、アインハイトに向かって飛んでいくところだった。
「なんでしょうか?」
「明日から仕事をしてもらうわけだが、守ってもらいたい事がある」
「守ってもらう事?」
「ひとつ、慣れるまでは勝手に物に触れたり移動させない事。分からない時は随時ギルバートに確認してくれ。ふたつ、勝手に敷地内から出ない事。どんな理由があれ、必ず許可を取る事」
「承知しました」
「みっつ、客人の機嫌は損ねず、信用しない事」
「信用しない、事ですか?」
訪れた客人を、信用するしないもあるのだろうか。
怪しげな者もやってくるのかもしれない。その警戒を怠るな、ということだろうか、とエマは考える。
「ここへやってくる者は様々だ。魔法使い、精霊、それに関わる者、他国の要人から暇な金持ちにただの一般人まで。そのほとんどは魔法に関する依頼をしにくる。けれど善良な依頼などほんの一握りだ。おそらくほとんどは君が目を背けたくなるようなものばかりだろう。そしてそんな考えを持つ奴らは、特に君のような人間を好む」
「…どういうことでしょうか?」
「エマ・ヴァイオレット、君のように魔力を持つ人間は本当に珍しいんだ。最近はますます減っているしな。邪な考えをもつ者は、君のように魔力のある人間を欲している。…そうだな、たとえば愛玩用、実験用、食用」
「しょ、食用!?」
「何を驚く。人間を喰らう生物もいるんだ。当然だろう」
「そんな…」
食べられるだなんて聞いていない。
エマは急に気分が悪くなり、先ほど食べた美味しい食事達が胃の中で暴れるのを感じた。
「だからこそ、信用しない事だ。あの手この手で、様々な甘言や方法を使い、奴らは君を手に入れようとするだろう。信用せず、常に警戒しろ。そして名を簡単に教えてはいけない」
「名を?」
「名にはその者の魂が宿る。その名を奪われるのは魂を奪われるのと一緒だ。…まぁ、僕と契約しているからには、そう簡単に奪われはしないがな」
「アインハイト様は、そんなにすごい魔法使いなのですか?」
自信満々に語るアインハイトに、エマは思わず口から疑問が飛び出る。
するとアインハイトはその言葉がよほど気に入らなかったのか、あからさまに不満そうな顔をした。
「当然だろう。僕ほど優秀な魔法使いはそういない。まぁ、いるにはいるが。愚かにも時に屈服させられた魔女や、神の寵愛を受けたというのに、今もその亡き影を追う哀れな魔女なんかがな。優秀な魔法使いに必要なのは、魔法に愛される才能だ。境界に触れ、世界の理を知る」
「エマ。こいつはこんなんだが、魔法に関しては本当に優秀だ」
皿を片し終えたギルバートが戻ってきて、横から口を挟む。
「ギル、君は一体どっちの味方だ」
機嫌が悪そうに、アインハイトはギルバートを睨みつけたが、そんな視線を無視して、彼はお茶に口をつけていた。
「まぁいい。とにかく僕と契約したという事は、君はすでに僕の所有物だ。それを簡単に奪われるなんて事はありえない。だが、不要な口は聞くな」
「…分かりました」
「それから」
「まだあるんですか!?」
「当然だ。最後、これが一番重要だ」
「…なんですか」
「僕の邪魔をしない事だ。以上を守るように」
「あの」
そう言うと目の前にある新聞を鷲掴み、足早に出て行ってしまった。
自分は言うだけ言って本当に勝手な人だ、とエマは呆れる。
今日はもう部屋に戻っていいぞ。明日は朝6時に部屋へ行く。そこから仕事を教えるから支度を整えておいてくれ」
「分かりました。あ、あの、食器の後片付けなどは」
「俺がやるからいい」
「…はい」
この後はどうしたらいいのか、と途方に暮れていると、ギルバートからそう指示された。
食事の準備に後片付けまで。申し訳ない気持ちでエマはいっぱいになる。
「今日はゆっくり休むように」
「ありがとうございます」
アインハイトはこの先が不安になる程相性が悪そうだ。しかしギルバートは多少無愛想ながらも優しさと常識を感じ取れる。彼がいるのなら、なんとかやっていけそうだと、エマの心の不安は多少和らいだ。
ギルバートに言われ、部屋まで戻る。まだ覚えきれていない屋敷の中。危うく迷子になりかけたが、なんとか部屋までたどり着いた。
部屋を開け、中に目を向ける。我ながら、よくあの短時間であの部屋をここまで綺麗にしたものだ、と感心した。
重たい体は自然とベッドへ向かう。
「……あれ?」
豪快に寝そべったベッドに、エマは違和感を覚える。
はたしてこんなにふかふかだっただろうか。
思わず起き上がり、手でベッドを押してみる。
「おかしい」
ぺったんこで古く埃臭かったはずのベッド。いくら片付けは出来ても、洗ったり干したりまでは出来ず、仕方ないか、と諦めていた。
しかしなぜかベッドはふかふか、そしてよく嗅ぐとハーブのいい香りがしている。
「なぜ」
部屋を間違ったのか、と思いもしたが、荷物は置いてあるし、間違いはないだろう。
ではなぜ。
しかしベッドに座っていたエマの瞼は途端に重たくなる。
(眠たい)
体は鉛のように重たくなり、瞼は言うことを聞かない。
(ご飯を食べたから?それともとても疲れていたのかしら)
長旅に、想像もしていなかった出来事。急な大掃除に美味しい食事。エマが眠ってしまうには十分すぎるほど。
エマの体はベッドへと飲み込まれ、うとうとと夢の世界がエマを呼び始める。
(お風呂にも、入ってないわ)
汗だくだし、埃っぽい。お風呂に入りたいけど。
(体が、動かない。着替えも)
服もそのままだ。着替えなくては、と鞄を見るが、その視界はもうすでに曇っている。
(あぁ、綺麗ね)
窓から差し込む光はまるで海の中のように美しい。
波を揺蕩うように、エマは夢の中へと旅立って行った。
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