Episode9



「魔法使い…?」


 信じられない、とでも言いたげに、エマは目を見開き固まったまま。けれど目の前に美しく降り注ぐ光の粒が、それを真実だと告げるように輝く。

 アインハイトは一枚の羊皮紙をそっけなく、エマの前へと突き出す。


「これにサインを」

「これは?」

「契約書だ。君を雇うための、な」


 年季の入った万年筆を、その契約書と一緒に突き出す。まるで拒否権などないと言いたげに。

 話をしただけでこんなにも相性が悪いと言うのに、魔力があると分かっただけですぐに契約してもらう事になるとは。紹介をしてもらっていた相手だし、ありがたいことではあるが、いまいち腑に落ちない。

 決して円満とは言えないこの契約。不機嫌をあらわにしている目の前の男に、エマは思わず口を開く。


「…魔力を持っているのなら、誰でもいいのですか?」

「誰でも、と言うわけではない」


 エマの質問に、アインハイト相変わらず面倒そうな顔をしてため息を吐く。

 彼の返事に、エマは町での話を思い出した。

 話では門前払いをくらう人や、雇ってもらえたとしてもなんだかんだ続かなかった人たちばかりだった。この人柄では、当然とも言えるだろう。


「先ほど言った通り、僕は魔法使いだ。面倒だから、町の住民はその事を知らないが。だがこの屋敷を訪ねてくる者は、皆魔法使いである僕を目当てにやってくる。だから魔力を持っていなければ、その客人達の対応は難しい。つまり大前提として、魔力を持っていなければ話にならない」


 アインハイトはララノアに目を向ける。


「けれど魔力とは人それぞれだ。強い者もいれば弱い者もいるし、目に特化した者、耳に特化した者、様々な者がいる。僕を訪ねてくる客人は彼女のように、変わり者が多いからな。魔力が強く、それでいて使用人として完璧なスキルが備わっている者でなくては務まらない」


 今まで雇った者はあまりにもお粗末だった、と嫌味を漏らす。


「しかし、私がそうであるとは言い切れないのでは?」

「そこは大丈夫だろう。なんて言ってもあのローレンス氏のお墨付きだからな。…まぁ、この屋敷にふさわしいかどうかはその働きを見て決める。ふさわしくなければ、今までの者同様、もちろんすぐに辞めてもらう」

「…私に拒否権は」

「あるわけないだろう。もし断れば、そこにいる彼女の機嫌を損ねて、君はこの場で石ころにでも変えられるだろうね」

「え、石ころ…?」

「失礼ね」


 ララノアは、アインハイトの言葉に不満そうに頬を膨らませる。


「もし変えるのならば、彼女を追い返したあなたを変えるわ。こんな可愛らしい彼女を、石ころになんて変えるわけないでしょう」

「どうだろうか。君は少々怒りっぽい」

「アインハイト。あまり失礼な事ばかり言うと、石ころに変えるのではなく、への立ち入りを禁ずるわよ」

「ずいぶん気に入ったんだな。だが君の意思を尊重して、この気に食わない娘を雇うんだ。それで勘弁してくれないか」


 先程から、この一筋縄ではいかない男アインハイトに、かなり対等な(いやそれ以上かもしれない)態度で言い返すララノアと呼ばれる少女。

 一体何者なのか。見た目はただの少女に見えるが、なにやらただ者ではなさそうで、エマは興味津々に彼女に目を向ける。

 するとその視線に気付いたのか、ララノアは可愛らしく微笑んで手を差し出した。


「自己紹介がまだだったわね。私はララノア。あなたのような素敵なお嬢さんと縁を持てて嬉しいわ。…アインハイトは少々厄介な性格だから、何かあったら私を頼りなさい」

「は、はい」


 戸惑った様子で、エマは小さなララノアの手を握った。

 見た目と反して、なんとも大人びた口調。まるで彼女の方がなぜか遥かに年上のように感じる。


「あまり油断しない方が身の為だぞ。彼女は東の森の番人であるエルフだ」


 アインハイトは握手する2人を、腕を組みながらうんざりした顔で睨み、面倒そうに言った。


「エ、エルフ!?」


 エマはそれはそれは驚いて声を上げた。

 物語や伝説なんかでしか聞いた事のないその名前。


「そんなに驚くことはないわ」

「そうは言われても…」


 にっこりと柔らかく微笑むララノア。エマはその笑顔にどうしていいのか混乱して狼狽える。

 するとアインハイトはだいぶ苛立った様子で、2人の間に口を挟んだ。


「談笑するのは結構だが、さっさとこのサインをしてくれ。僕は忙しいんだ」

「まぁ。時間にせわしい男は嫌われるわよ」

「それで結構だ。君たちに嫌われる方が嬉しいよ。さぁ、エマ・ヴァイオレット、さっさとしてくれ」


 再び目の前に突き出される契約書。しかし見たことのない文字で細かに書かれたその内容は、エマには読むことができなかった。


「あ、あの」

「…なんだ」

「内容が、読めないのですが」

「読む必要などない」


 不本意とはいえ、契約をするのだ。その内容を読まずにサインする愚か者などいない。契約書というからにはその内容をお互い把握するべきだろう、とエマは困惑する。


「ですが」

「いちいちうるさいな、君は。僕の言葉全てに反論しないと気が済まないのか?」

「そういうわけではなく、契約するからには内容を確認するのは当たり前でしょう」


 うるさいと言われようと、嫌味を言われようと、困るものは困るのだ。それに彼の言うことの方が、いちいち棘があり、腹が立つような嫌味でしかない。

 おかしいからおかしいと言っているというのに、疑問を抱けばさらなる嫌味が返ってくる。

 今回、エマの反論に返ってきたのは盛大なため息だった。呆れと、哀れさを含んだ。


「…なんですか」

「気にするな。君の愚かさを憐んでいるだけだ」

「愚かさ?」

「愚かで、知識がなく、頭のお堅い君に特別に教えてやろう。いいか、これはただの契約書じゃない。魔法契約書だ」


 エマの鼻先に契約書が突きつけられる。


「ここに書かれている文字は契約内容などではない。僕が君の主人で、君が僕の使用人になるための魔法が、文字として記されている。つまりこの文字は言葉としての意味を持たない」


 疑問を再び口にしようとしたエマだったが、その言葉はアインハイトの怒りによって阻まれた。

 勢いよく契約書と万年筆が机の上に叩きつけられ、魔物のような恐ろしい目がエマを睨みつける。


「君は疑問を解決しないと死ぬ生き物なのか?その言葉を口に出す前に、さっさとサインをしてくれ」


 下がった黒髪の隙間から、アメジストが鋭い光を放ち、エマは息を呑んだ。

 何も問う事は許されない。

 エマは震える手で万年筆を握ると、契約書にそのペン先を滑らせる。契約書にサインが書かれると、契約書は淡い光を放ち、そして。


「えっ…?」


 一瞬のことだった。契約書は光の塊になったかと思うと、みるみるうちに姿を変え、アインハイトの瞳と同じ色の石を携えたペンダントに変わった。そしてそのペンダントは意志を持ったかのように、エマの方へと浮かび、その白い首筋に巻き付いた。


「なにこれ」

「それは契約印だ」

「契約印…?」

「君が僕の犬であるということの証だ」


 アインハイトはエマの首に光る契約印を見て、満足げに、そして意地悪そうに笑みを浮かべた。


「犬ですって…?」

「彼女に感謝するんだな。もしこの場にララノアがいなければ、僕は迷わず、契約書を出す前に君を追い出していただろうからな。僕のような優れた魔法使いと契約できるなんて、君は間違いなく羨望の眼差しを向けられる。良かったな」


 とことん嫌なやつでしかない、とエマはアインハイトを睨みつける。感謝などするものか。契約しないまま追い出された方がマシだった。

 これからこんな人のために働かなくてはいけないなど。


『エマ。これから君はたくさん苦労するだろうが、きっと幸せになれる。辛抱強く頑張るんだ』


 怒りが溢れそうになった瞬間。エマはローレンスのことを思い出した。


(そうだ。どんなに嫌でも、腹が立つ人でも)


 ローレンスへの恩に報いるためだ。今は辛抱しなくては。

 それにきっと、彼が気に入らないと判断すれば、いつかはここからおさらばできるはずだ。


「…これからお世話になります、アインハイト様」


 アインハイトは急に反論しなくなったエマに一瞬怪訝そうな顔をしたが、対して興味もなさそうにギルバートに指示をする。


「それではギル。彼女を部屋へと案内しておけ。その後屋敷の案内もな」

「わかった。…さぁ行くぞ」


 ギルバートはアインハイトの指示に表情を変えることなく頷くと、エマの荷物を持ち上げ、着いてくるよう声をかけた。

 エマはまだ暴れている心になんとか蓋をして、アインハイトとララノアに丁寧なお辞儀をすると、ギルバートと共に部屋を出た。



「………それで。一体何の用なんだ?」

「あら、何のことかしら」

「とぼけるのはやめてもらおうか。忙しいと言っただろう」

「私に言われたからとはいえ、あなたがあの子と本当に契約するとは思ってなかったわ。なにか事情でもあったのかしら」

「無駄話は結構だ。用件を言ってくれ」

「あなたは本当につまらない人ね。……では話すわ」


 エマが部屋を出て、ギルバートの後ろをついて歩いていた頃、アインハイトとララノアの間には不穏な空気が流れていた。

 それが今後のエマにも関わることなど、本人は知るはずもなかった。

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