Episode6



 アインハイトはエマに屋敷に来るよう伝えると、急いだ様子で席を立つ。そして事の成り行きを見守っていたトーマスに、料理を持ち帰りように包むよう頼んだ。


「僕らは先に屋敷に戻る。君はベイカー夫妻から、料理とジャムを受け取り、それを持って屋敷に来るように」


 そう言って、エマの返答を待つ事なく店を出て行こうとした。しかし何かを思い出したかのように、アインハイトはバートの方を笑顔で振り返った。その顔にバートは嫌な予感がする。


「そうそう、バート・エバンズ」

「な、なんだよ」


 このまま何事もなくアインハイトが去れば良かったのだが。息を潜めていたバートは驚いたように肩を揺らした。


「お節介は今回限りにしてもらおうか。が、自分の紹介人が雇われるかどうか、賭けをしているのは知っているよ」

「どうしてそれを」


 バートは一気に血の気が引き、青ざめる。


「僕に分からない事はないんだ。よく知っているだろう。もしもまた余計な事をするつもりなら、後悔する事になるだろうね」

「…わかったよ」


 やはり彼に隠し事など無駄なのだと、バートは後悔する。


「それから、バート・エバンズ。今日はに気をつけた方が良さそうだ」

「また奇妙な占いか?」

「さぁね。でも占いなんかじゃないよ」


 不敵な笑みだけを残し、アインハイトは着ていたローブを翻して足早に店を出て行った。ふわりと薬草のような良い匂いが香る。

 やれやれと肩の力を抜くバートを、エマは冷たい目で睨みつける。


「ところで、賭けって一体なんのことですか?」


 さすがに無視はできないその言葉。エマは問い詰めるが、バートは黙ったまま。


「黙っていないで、答えてください」

「……あまりにもアインハイトが紹介を断ったり、受けてもすぐクビにしちゃうもんだから、そのうち街の若い連中で面白半分で賭けをするようになったんだ。もちろん、賭けをしていたからと言って、紹介に責任を持っていなかったわけじゃない。…あ!君のことは賭けなんてしていないよ。そもそも俺は賭けに乗り気だったわけじゃないし、じいさんからの頼みで代わりに案内しただけだから」


 だんだんと小さくなるパートの声。申し訳なさそうな顔で俯く。

 本人が依頼したトーマス・ベイカー、オリバー・エバンズ。その2人からの紹介であっても、彼の屋敷で正式に働き続ける者は1人もいなかった。するとそのうち、噂を聞きつけたその2人以外からの紹介が勝手に増え続ける事となる。

 変人アインハイトの屋敷で、一体誰の紹介者が使用人となるのか。皆は興味津々であり、そのうちそれは遊びの一環となってしまった。とはいえ、いい加減な人物を紹介していたわけではない。雇われる可能性のある人物でなければ、賭けに勝つことは出来ないから。

 紹介側も、される側も、我こそは難攻不落のアインハイト邸に雇われてみせる、と意気込んでいたせいで、その屋敷を訪ねる者は後を絶たない事となってしまったのだ。

 しかしそこに現れた、久々のオリバー・エバンズからの紹介。孫であるバートは、祖父の代わりにアインハイト邸への紹介を頼まれたが、エマを賭けの対象にすることは出来なかった。祖父の頼みであったことと、きっとエマも雇われることはないだろうと諦めていたから。それにそもそもバートは賭けに初めから乗り気ではなかったから。

 けれど予想外のことが起きた。一つは賭けの事がとっくにアインハイトにバレていた事。これは非常に厄介だ。きっと何かしらで嫌がらせされる事だろう。

 もう一つは、期待していなかったエマが彼の屋敷に呼ばれた事。おかげでこのふざけた遊びが終わるかもしれない、とバートは少し安堵した。


「遊びでこんな事して悪かったと思ってるよ。君に関しては賭けはしてない。本当だ。でも君にも嫌な思いをさせて悪かった」


 バートはしょぼくれた表情でエマに謝罪した。

 文句の一つや二つ言おうかと思っていたが、小さくなるバートの姿を見ているとそんな気も失せてしまった。


「お詫びに、荷物を運ぶのを手伝うよ」


 本来ならば、きっと1人で運んだ方がいいのかもしれない。けれど彼のせっかくの申し出に、エマはありがたく思うことにした。


「…ありがとう」


 仕方ない、とエマはお礼を言い、彼と共に残りの料理を食べてジャムの完成を待った。




 しばらくするとバスケットに、アインハイトたちの食事と大量のジャムが詰め込まれてエマに渡される。

 あまりの重さにエマはめまいがした。


「大丈夫かい?」


 女性1人で運ぶには、少々無理のある重さにベイカー夫妻は心配そうにエマを見る。


「大丈夫です」


 確かに重たいが、このくらいの荷物を運ぶことは何も初めてじゃない。とにかくこれを持っていかなければならないのだから、ここで弱音を吐いている場合ではない。


「ごちそうさまでした」

「またおいで。うまくいくといいね」


 ケリーはそう言って、まるでエマを応援するかのように優しく肩を叩く。初めて会ったというのに、本当に温かい人達だ、とエマは頬を緩ませる。

 優しい笑みを浮かべるベイカー夫妻に見送られながら、エマはバートと共に店を出た。




「僕が持つよ」


 そう言って、バートは重たそうな荷物をエマから受け取ろうとした。けれどエマはそれを断る。手伝うと言われたものの、実際手伝ってもらうことは少しだけ気が引けてしまう。


「大丈夫ですよ」

「でも手伝うと言ったんだ。手伝わせてよ」


 ほら、と言ってバートは強引にバスケットを奪い取ろうとする。すると。

 バシャン!!


「……え?」


 一瞬のうちに、なぜか目の前にいたバートが水浸しになってしまっていた。不思議なことに目の前のエマには一滴もかかってはいない。


「ごめんなさい!!」


 そう言って若い女性が慌てた様子で2人に駆け寄る。


「大丈夫??本当にごめんなさい」


 どうやらバケツに汲んだ水を花壇に蒔こうとした女性が、誤ってバケツごと水をひっくり返したようだ。そして運の悪いことにそれが全てバートにかかってしまったらしい。


「あはは平気平気」


 そう笑いながら手を振るバートだが、まるで池に落ちたかのように水浸しだ。


『水に気をつけた方が良さそうだ』


 その時、アインハイトが言っていた言葉が頭をよぎる。

 偶然なのだろうか。しかし偶然にしてはあまりに当たりすぎていないか。


「まただよ」

「…また?」


 アインハイトの言葉を不思議に思っていたエマ。するとバートがおかしな事を口にする。


「アインハイトの言う事が当たるのは、なにも今回が初めてじゃないんだよ。よくある事、いや必ずと言っていいほどだ。これも、あいつが変人と呼ばれる理由の一つだね」


 盛大なため息を吐きながら、バートは困ったような顔をした。

 残っている料理の数を当て、まるで未来予知のような発言。ますます不可思議になっていくアインハイトという人物。彼は一体、何者なのだろう。


「それにしても、これじゃあ屋敷まで行けないな」


 水浸しのバート。このままじゃ風邪を引いてしまうかもしれない。


「少し待ってて、着替えてくるよ」

「あ、いえ。私1人で行けますから」

「そういうわけにはいかないよ。待ってて」

「いえ。大丈夫です。色々と案内していただいたり、食事に付き合っていただきましたから。ありがとうございます」

「でも」

「本当に大丈夫です。お世話になりました。もしこの町で働くことになったら、またよろしくお願いいたします」

「……分かった。気を付けてね。幸運を祈ってるよ」


 エマは深々と頭を下げる。色々あったが、なんだかんだバートは親切にしてくれた。祖父の頼みを聞き、エマをアインハイト邸へと紹介してくれたし(やり方は雑だったが)、町を案内し、アインハイトについて教えてくれた。そして食事にまで付き合ってくれた。

 バートはまた謝罪の言葉を口にしたが、エマはにっこりと笑って感謝を伝えると、バートに別れを告げ、重たいバスケットを抱えてアインハイト邸へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る