魔法使いの使用人
雪月香絵
変人と呼ばれるその人物
Episode 1
あいつは変人だ。
誰もが彼の印象について聞かれれば、必ずと言っていいほど最初にそう語る。
その男はこの大きな町の外れの大きな屋敷に住んでいて、1人の使用人と暮らしているらしい。
花や木に話しかけていたり、一日中井戸の前で座っていたり、かと思えば酒場でその場の全員に酒を振る舞ったり、女性を何人も惚れさせて屋敷に連れ帰ったり。とにかくその行動はいつも謎に包まれている。
そして彼の職業も謎である。医者だと言う者もいれば、探偵だと言う者や魔法使いだと言う者までいた。
とにかく謎が多く、掴みどころのないその人物を、皆変人だと言う他ないようだった。
そんな変人のいるこの町に、大きな鞄を持ってやってきた人物が1人いた。
彼女の名前はエマ。違う町の屋敷で働いていたのだがそこを辞めることになり、働き口を探してこの町にやってきた。
エマは汽車から降り、目の前に広がる大きな町に目を向けると鞄から封筒を取り出す。その封筒から紙を取り出し、それに目を落として何かを確認した後、駅から続く道を辿り、街並みの方へと目線を移す。
封筒の中身は紹介状。屋敷を離れる際に、屋敷の主人が次の働き口への紹介状を持たせてくれていたのだ。封筒の中には丁寧に書かれた紹介状の他に、この町の簡単な地図、そして紹介先の手助けをしてくれる人物について書かれた紙が入っていた。
エマは緊張で高鳴る胸を押さえ、重たい鞄を持ち直すと、書かれていた店を目指し歩みを進めた。
この町は比較的都会的な町だ。町自体も広く、汽車は通っているし、海も近いため船が常に行き来している。店も生活にはまず困らないであろうほど種類があり、どこも人で賑わっているようだ。
けれど都会的とはいえ、町の所々には古き良き歴史が残っている。それは道に、年季の入った建物に、町のどこからでも見えるであろう大きな時計塔に。
ちょうど時計の針が午前11時を指し、なんとも心地の良い鐘の音が響き渡る。
エマはこの美しく情緒あふれるこの町で、これから働けるかもしれないことが嬉しくて仕方なく、思わずその足取りは思わず軽くなった。
紹介状を頼りに辿り着いたのは、街並みから少しはずれた一軒の古びた本屋。中に入ると紙とインクのいい匂いがうっすら香る。外観の古さとは裏腹に、中は整理整頓されていて、本の背表紙が美しく並んでいた。大切に扱っているのだと、一眼見てわかる。
カランとドアにつけられたベルが鳴ると、店の奥で店番をしていた青年がエマの姿に気付いた。彼は何やらペンを走らせていた書類からエマに目を移動させると、少し驚いたように目を見開く。
「もしかして、君がエマ・ヴァイオレット?」
「え、えぇ、そうです」
男性は座っていたカウンターから飛び出てくるのではないかというほど身を乗り出し、嬉しそうに言った。一方でエマは、なぜ名乗ってもいないのに分かったのかと、驚き目を丸くして動揺を隠せないまま返事をした。
「…アインハイトが言うことは、本当に奇妙なくらい当たるな」
「え?」
「いやいやこっちの話。長旅で疲れたでしょう?さぁ座って」
ぼそぼそと言った言葉は、残念ながらエマの耳には届かず聞き返すが、はぐらかされてしまう。青年は慌てた様子でエマの元へ椅子を運んでくると、カウンターの前にそれを置き座るよう促した。
エマは渋々座り、荷物を椅子のそばに置く。そしてなにやらバタバタと慌てて、カウンターの上に重なった本を片付けている青年に、エマは遠慮がちに聞いた。
「あの、オリバー・エバンズさんを探しているんですが」
「あぁ!それはうちのじいさんだよ。僕は孫のバート・エバンズ。よろしく。ローレンスさんの紹介で来たんだろ?」
「はい」
バートはエマに人懐っこい笑顔を見せながら握手をすると、カウンターの引き出しの中にしまってあった一通の手紙を取り出しエマに見せた。
その手紙に押された紋章は、エマにはよく見慣れたものだった。
「うちのじいさんがローレンスさんと古い友人だったみたいで、手紙をもらってたんだよ。その手紙に君の仕事ぶりや容姿が事細かに書いてあってね。見てすぐ、君がエマだと分かったってわけ」
「そうだったんですね」
「使用人を他へ紹介するのは珍しいことじゃないけど、ここまで丁寧にしてくれるのは珍しいよ」
優しい人なんだね、とバートはにっこりと笑って言う。エマはそれはそれは誇らしげに、はい、と頷いた。
前の主人であるローレンスは、それはそれは優しく穏やかで聡明な人物であった。貴族であった彼は、決して広くはないが、豊かで美しい土地を管理しており、領民は皆、彼を敬愛していた。
しかし長年患っていた病により、彼は静かにその生涯を閉じた。あとを継ぐ者はおらず、領地は他の者の手へ。そして使用人はローレンスが手配した紹介先へと散り散りになったのだ。
「さて、さっそく紹介先のことだけど」
バートは人懐っこい笑顔を少しだけ困ったように歪めて、先ほどまでペンを走らせていた書類に何やら書き足すとそれを折りたたみ始める。
「この店からもう少し行った先。森の近くに一軒の大きな屋敷がある。君にはそこでメイドをやってほしいんだ」
メイド、と言うことであればなんの問題もない。ここに来る前にいた屋敷でもメイドの仕事をしていたのだから。
しかもメイドと言っても、屋敷の使用人の数が少なかったものだから、エマは屋敷に関する仕事であれば、主人の支度の手伝い、清掃、料理、来客の応対、薪割りに至るまで、なんでも一通り一人でこなせるほどだった。
「ただひとつ」
バートは言葉を詰まらせ、何と言うべきか言葉に悩んでいるようだった。そんな彼に、エマは言葉の続きを求める。
「なんでしょうか」
バートは渋々、言いづらそうにしながらエマの気迫に負け、続きを話す。
「今までその屋敷には何人も雇われてるんだけど、みんな3日ともたずに辞めてしまってるんだよ」
「それはなぜですか」
「なんて言えばいいのかな。…屋敷にはアインハイトという人物が住んでいて、他には長年勤めている使用人が一人だけ。そのアインハイトが、とても変わっているというか」
「変わっている…?」
「…ちょっと人とは違う人なんだ。おかげでみんな次々辞めてしまって、紹介できる人物はいないかと僕まで話が回ってきたってわけ。そしてちょうどそこに君が現れたんだけど」
困ったようにバートは首を捻らせ、眉間にシワを寄せると、手に持っていた書類を封筒に入れる。そしてそれをまるで押し付けるかのようにエマに手渡す。
「とにかく一度会ってみて。僕はちょっとついて行けないけど、これを渡せば大丈夫だろうから。店の前の道をまっすぐ行けば着くし、大きな屋敷だからすぐに分かるよ」
「え、あの」
「頑張って」
そのままエマは、まるで店を追い出されるかのようにして外へ出た。
紹介してくれるというわりに、なんと雑な事だろうか。渡された書類を握りしめて、エマはしばし店の前で放心状態だった。
(行くしかないわ)
せっかく前の主人が自分のために用意してくれた紹介先なのだ。そのチャンスを無駄にはできない。たとえその新しい屋敷の主人が変わっていようと、仕事がもらえるだけありがたいことだ。
それにまだその人物をこの目で見たわけではない。それなのに決めつけるなど失礼極まりないだろう。前に辞めていった人たちにも、きっとなにか主人以外の理由があったのかもしれない。
理不尽さへの込み上げそうになる怒りと悲しみを胸の底に押し込めて、エマは大きく深呼吸をすると、パートに言われた通り森の方へと続く道を歩き出した。
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