二人を繋ぐ菜の花
人の少ない桃の園庭はどこを切りとっても桃色でした。白い梅の花も咲いていましたが、周りの桃の色に染まって桃色のように見えました。地面の砂利すらも桃色に見えます。
そのような桃色の世界に私とトシさん二人で歩いていると、まるでこの桃色の世界で二人だけになったような感覚でした。それはまるで絵画の中でした…
「アッコさん」
トシさんが私を呼びます。私は「はい」と応え、彼と向き合います。
トシさんとの距離は三歩ほど開いていて、表情がよく見えます。
彼の顔は真剣で、頬は少し朱に染まっていました。
トシさんが手を差し出します。その手には先ほど買った髪飾りでした。
「アッコさんに受け取ってほしい」
彼に言われ、私は戸惑いました。薄々、私への贈り物かな?と期待はしていましたが、改めて見てもかなり高価な髪飾りです。
「嬉しい……ですけど、そんな高価な飾り、いただけないです」
私がかぶりを振ると、トシさんが距離を詰めてきます。
「受け取ってほしいんや。ほら、ミエ子がアッコさんから髪留めをもろとったやろ?そのお礼にな」
確かにミエちゃんが元気になればと思い、私の髪留めをあげました。でもあれは子供用の髪留めです。安いものではありませんが、そのお返しにしては何倍にも高価なものです。エビで鯛を釣るとはこのことでしょうか?
そう思うと私がさもしいような、忍びないような気持ちでいっぱいです。
私が受け取るのを渋っていると、トシさんは食い下がります。
「もらってほしいんや。でないと立つ瀬がない」
「ええと…」
「それに俺が前に『借りを返したい』って言った時、アッコさんは『わかった』言うたやんか」
「うっ……言った気がしますね……」
「ほらなっ」
言うや否や、トシさんが私の後ろに回ります。
それから、私の頭に大きくあたたかな手が触れます。
「へっ?な、なんですか?」
「なにって、髪飾りをさしとるんよ」
トシさんは慣れた手つきで私の髪に髪飾りをつけてくれます。
「ほらなっ、よく似合う」
「そ、そう?」
「うん、髪のツヤがええから菜の花の黄色がよく映える。とてもキレイや」
「ッ!?……」
私は顔が沸騰しそうでした。それはもう、やかんのごとくです。
なんでこうも恥ずかしげもなく言えるのか、私には理解できません。
人の頭や髪に手を簡単に触れるし…か、間接キスとかしちゃう人ですし…
もしかして女たらしなのでしょうか?軽薄な男なのでしょうか?そう思うとトシさんが怪しく思えてきました。警戒しなくては!
そんな私の心配をよそに、トシさんは言います。
「ウチの妹らは髪をとくことすらせんからな、よくほつれとるわ。クシを通さんでええアッコさんの髪はちゃんとしとるで、ほんま」
「あっ……」
あぁ、納得しました。トシさんは姉妹が多いから女性との会話とか世話とかに慣れているんですね。そうですよね、だから抵抗とかないんでしょうね。
さっき、クシを合わせて買ったのはそんな妹のためになのでしょう。
ホッとしたような、ちょっと残念なような複雑な気分です。
「トシさん、妹さんたちの面倒をよく見ていますもんね」
「ん?ああ、学生やし家におることが多いからな。ヨシエ姉さんは学校帰りにアルバイトゥをしとるから、どうしても妹の面倒は俺になるわ」
「アル…?なんです?それ」
「アルバイトゥ、ドイツ語や。仕事やな。姉ちゃん職業婦人になりたいねん」
「そうなんですね、ステキです」
「働く女性はかっこええよな。アッコさん見ててそう思ったわ」
「…ホメても何もでませんよ?」
私はもうダマされないと頬をふくらませます。
トシさんが「フフッ」と笑います。
「なんも催促してないやん。逆に感謝しとるからこその贈り物やねん。冬の間、高見家をよう助けて下さった」
お辞儀をするトシさん。
私はあわててお辞儀を返します。
「い、いえ、そんなこと、こちらこそお世話になりました」
しばらく頭を下げ合う二人。いつまでこうしていたでしょうか?
遠くでシシオドシの『カコーン』という音が聞こえ、二人は頭を上げて顔を見合わせます。
そして笑い合いました。なんでだかおかしかったからです。
ひとしきり笑って、トシさんが腕を上げて伸びをします。
「あースッキリした。ずっとお礼をしたかったんよ」
「そうなんです?それなら言葉でいいですのに、お賃金だって頂いていますし」
「それはオトンからやろ。それに言葉やとなんか違う気がしてな」
それで、今日は二人で歩きたかったのだと私は納得しました。トシさんは真摯に私へお礼をしたくてお誘いをしたのです。とても義理堅い方なのです。それでいて、家族思い。
なるほど、なるほど、全て合点がいきました。
期待していたのと少し違いましたが、彼の気持ちはとても嬉しいものでした。
「分かりました。ありがたく、ちょうだいいたします」
私はいとおしくトシさんから贈られた髪飾りをなでます。
そんな私にトシさんが名残惜しそうに言います。
「もうちょっとしたらアッコさんも帰ってしまうんよな」
「ええ、女学校も始まりますから。それに年末年始は家に帰っていませんし」
「そら、帰らなあかんよな。けど、女学校やったらウチの所からの方が近いやん?」
「え?まあ、そうですけど。家の田んぼもありますから高見家で住み込みしての年季奉公は秋まで難しいと思います」
「そっかぁ、アッコさんの料理、食べられないんは惜しいんやけど?」
「そうです?それは嬉しいことを言ってくれますね。たまには顔をだしますよ」
「そうか、あの菜の花のみそ汁、美味しかったわ。ほんのり苦いのがええな」
「でしょう?自信作です。あの苦みが春の味って感じがします」
「せやな。夏にはなにが作れるん?」
「え、夏?夏はそうですね、夏野菜を使ったライスカレーなんかいいですね」
「ライスカレー!?そんなハイカラなもん家で作れるん?」
「ええ、カレー粉に使うスパイスの一部をウチの畑で栽培していますので、そのツテで時折カレー粉をいただくことがあるんです」
「うわぁ、すごいなぁ~」
トシさんが目を大きくして言います。まるで大人から冒険譚を聞く子供のようでした。トシさんのこんな子供っぽい顔を見るのは初めてな気がします。
そう思うとおかしくて「クスクス」と笑ってしまいます。
「なんかおかしいんか?」
「いえ、トシさん、そんな顔するんだなって」
「なんよ?そらするよ。冷たい人間やと思ってたん?」
「だってほら、はじめて会ったトシさんって人を値踏みするような人だったじゃないですか」
「まだ根に持っとるんかいな。謝ったやんか……」
バツの悪そうなトシさん。そんな彼に私は詰め寄ります。
「それで、私への最終評価はいかがですか?トシ殿」
グイグイとトシさんの顔へ詰め寄ります。すると彼は目に見えてあせり始めます。
大きな男子がまるでしかられる幼い子供のようでおかしくて、ついついイジワルをしたくなります。
眉間にシワをよせた私の顔が彼の顔に近付くにつれ、トシさんは眉をへの字にして情けない顔となり、ついぞ両手を上げます。
「まいった!言う事なしや。家事も炊事も文句無し!ええ仕事やった!」
そして、その手をおろして、私の両肩がつかまれます。
「せやから、ずっとアッコさんの料理を食べていたい。菜の花のみそ汁も食べたい!」
「へ?へ?そ、そうですか?それは、また作りますけども」
「ずっとや、来年も再来年もその先もずっと、ずぅ~っとや!」
「へっ?なっ、なにを言うとるん?トシさん」
「せやから、ずっと一緒にいてほしい言うとるねん!」
「せやかて、ねっ、年季奉公やからッ!期間きまっとるし!」
「あほぅッ!俺と、一緒に、なってほしい、言うとるねん!」
一所懸命に言うトシさん。両の肩を掴む手に力が入るのが分かります。
突然の告白、いえ、プロポォズに私はもう意識がまともにたもてません。フラフラしそうです。目が熱く、前がかすみ、トシさんの顔がよく見えません。
「そんなん、急に言われても困るし……おとうちゃんに聞かなあかんし」
この時代、私一人の意見で結婚なんて決めることはできないのです。というのは言い訳で、今はまともな判断ができそうにないので逃げの一手です。
トシさんは断られるとは思っていなかったのでしょうか、焦ったように私から手を離します。
ようやくトシさんとの距離がひらき、私は冷静さを取り戻します。
勢いで告白されて、それで頷くなんて、いくら田舎者の私とて考えなしではありません。
冷静になって、トシさんを見ると彼は唇をとがらせて、「う~」と唸っていました。
まるで子供が欲しいモノをねだるようです。
そんな彼を見ていると、私はまたも意地悪をしたくなります。
「ウチはそんなにお安くないんよ?」
言って、彼の反応を見ます。確かに髪飾りを一ついただきました。高価なものとはいえ、前金としては物足りません。そんなお安い女だとも思われたくありませんし、今度はこちらがトシさんを試してみたくなります。
私が受け入れるに足る男かどうかを。
すると、トシさんは思い立ったのか、自分の両の頬を叩き、その場にひざまずきます。
なにごとかと私は両の目を見開きます。周りは幸いにして人通りが少ないにしても、こんな桃の園の中でひざまずくだなんてただごとではありません。
桃の花で敷かれたカーペットの上で女子の前にひざまずく男子、嫌でも注目を引きます。ちらほら通る人も何事かと横目に見ています。
しかし、トシさん、周りの目も気にせず、おもむろに懐から何かを取り出し、私に差し出します。
「受け取ってほしい」
「これ……ッ!」
クシです。さきほどお店で買ったクシ。べっ甲でできたクシでした。
ただのクシですが、私は、そのクシを……
少し戸惑いはありましたが、受け取ります。男の人がここまでしてくれて、私のことを想ってくれて、受け取らないワケにはいきません。
すると、トシさんは勢いよく立ち上がり胸をなでおろします。
「よろしう頼むで、俺の嫁さん」
彼に言われ、私は唇をとがらせます。
「ずるいよぅ。こんなことして」
「アッコさん、こういう古い仕来りとか好きそうや思うてな」
ええ、おっしゃる通りです。正直に言うと憧れておりました。
クシを贈る、それはつまり苦死(くし)を共にするということ。転じて『苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げる』という想いをクシに込めて贈るという江戸時代の習わしです。
つまり、その覚悟があるということです。
私はそのクシで前髪を整えます。
どう?とトシさんを見ると、
「うん、キレイや」
だなんて恥ずかし気もなく言います。
「ほな、行こうか」
トシさんが私の手を取り、歩きはじめます。
「どこへ行くの?」
「なんや小腹減ったし茶菓子でもな」
「もう、花より団子やね」
「男子、やからな」
「しょうもなっ!クシ返そうかな」
「もう受付けへんし、手も離さん」
そう言って私たち二人は桃の花でできた花道を歩いていきました。
髪につけた飾りの菜の花を光らせながら。
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